5932.2023年11月18日(土) 池田大作・創価学会名誉会長死去

 4週間に1度の間隔で糖尿病クリニックに通っている。一昨日東京医療センターで変形性手指関節症のその後の診察の際に受けた血液採取の結果、糖尿病の基準数値HbA1cが大分良くなったと言われたが、今日糖尿病の専門医からも、その数値を評価され、現在服用中のジャヌビア錠25㎎を半減するということで、今後12.5㎎の錠剤を服用することになった。その効用はどう表れるか分からないが、歩一歩と回復に向かっていることは間違いないので、楽しみにしている。

 さて、創価学会の池田大作名誉会長が15日に亡くなっていた。享年95歳だった。創価学会という宗教団体なんてまったく知らなかったが、池田氏が60年安保闘争の激しくなった1960年に第3代会長に就任してから、創価学会の活動が大きく報道されるようになり、一応関心が集まるようになった。64年には現在の公明党を創設し、創価学会は政治活動にも積極的に関与するようになった。その後創価学会員の熱心な選挙運動により、学会員が国政にまで進出するようになり、65年には初めて11名が参議院議員に当選し、公明党が初めて国政の場に登場した。67年には衆議院にも進出し、23人を当選させた。このころより国会の内外において影響力を発揮し始め、翌々年の69年の衆議院選では、47議席を獲得して、衆議院第3党となった。その後若干の増減はあったものの、83年には結党以来最大の59議席を得るまでになった。そして93年の細川連立内閣では、公明党から6人が入閣するようになった。その後分裂、中小政治党派と合併を繰り返していたが、99年に自民党、自由党、公明党により「自自公」連立内閣が成立し、爾来形は変われども自民党との連立内閣は今日まで続いている。この公明党の基盤を強化させた人物こそ、池田大作その人であった。創価学会を国際的な創価学会インターナショナル(SGI)にまで育て上げ、海外普及にも力を入れ、世界の要人とも会談して独自の民間外交を展開した。

 79年に一応会長職を退き、名誉会長に就任したが、実権を握り続けていた。今創価学会では「永遠の師匠」と呼ばれ、政治的には公明党を創設した絶大な権力を握っていた名誉会長が、この世から去ったことは、創価学会にとってはもちろん、公明党にとっても大きな痛手であり、厳しい試練を迎えることになったと考えても好い。

 実際党勢拡大を図っていた政治的には、まだ初期の時代には、一般的に生活向上とか、平和憲法順守のようなリベラルなスローガンを掲げて会員を増やしていたような記憶がある。ところが、今では自公連立内閣の一翼を担うようになったことで、保守的で右翼的な自民党に同調し平和憲法改正や自衛隊増強、防衛費増額など公明党創設時のスローガンと矛盾するような動きを示すようになった。これでは初期の学会員の純真な気持ちを裏切る行動ではないかと不審感を覚える。

 現在の党執行部が池田名誉会長とその辺りの整合性について、話し合ったのかどうかは不明であるが、池田氏の初志から考えると納得されたとは思えない。偉大な創設者亡き後、今後公明党はどのような路線を進むのか、明確にすべきではないだろうか。

2023年11月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com