2387.2013年11月25日(月) 中学校の中にもう1つ別の中学校があった不思議

 東京都内で活動している湘南高OB・OGの同窓会組織「東京湘南有志会」が、六本木アークヒルズで開かれた。一昨年会の中心人物、森ビル会長・森稔氏が亡くなられてちょっと寂しくなった。お話しようと思っていた佐々木信也さんも出席されるかと思っていたが、来られなかった。

 ただ、今日は意外な収穫があった。いま執筆中のノン・フィクションの主役、トラック島大酋長の相澤進さんの出身校について、湘南か、近くの他校か、真偽取り混ぜた憶測がある。これという決定打がない。現時点で一番可能性のあるのが、相澤本家の現当主相澤重男氏の母親が生前湘南高校の隣の学校に通っていたようだとの証言である。現市立藤沢一中に該当する学校で、戦後藤沢高等小学校と見られる学校だ。

 しかし、これが相澤さんの主張する母校湘南であるとは断定しきれない。それが、今日1年先輩の天野武和さんから思いがけない話を伺った。天野さんの話だと、終戦前後に旧制湘南中(現湘南高)の校舎内に湘南中とは別に、旧制湘洋中という湘南中に入学し損なった生徒を迎え入れた学校があったということを聞いた。そして、幸いにもその頃湘南中に通学していた12年先輩に当る元三菱商事専務の堀江昭さんからお話を伺うことができた。堀江さんによれば、その当時湘南中には1学年に5組あって、全クラスはまったく同じ授業を受けていたが、そのうち1組が湘洋中の生徒だったという。つまり先生も同じ、教室も同じで学校名だけが別々だったという。従って同じ日時に卒業しても4組の生徒は湘南中卒、他の1組は湘洋中卒という話である。これも摩訶不思議な話で初めて知った情報だが、どうもすんなり受け入れることはできない。

 信じがたい話だが、現実にその渦中におられたのが堀江さんだ。同期生の中には、湘洋中の卒業生もいると言っておられたので、間違いあるまい。これらの話を総合すると、相澤大酋長が通学していたのは、湘南ではなく、いまは廃校となった湘洋(現存する新制湘洋中とは別)である可能性が少し浮かび上がってきたようだ。知る人は皆黄泉の国へ旅立たれた。

 ノン・フィクションはいま追い込みに入っているが、少し文章を変更することも考えなければならないと思っている。

2013年11月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com