2492.2014年3月10日(月) 東京大空襲から69年

 今日は東京大空襲からちょうど69年目である。私は国民学校入学直前だったが、一度に10万人の都民の命が失われた忌わしい日である。残念ながらこの東京大空襲についてはメディアでほんのちょっぴり報道されている程度である。どうしても明日の東日本大震災3周年の方に目が移って行ってしまうのも仕方がない。今日夕方には、安倍首相が3周年を前に記者会見を行ったくらいである。

 今日から明日にかけて大震災の関連報道が派手になされるだろう。しかし、震災について被災者にとっては、復興はまだまだ先の話だという認識が強いようだ。相変わらず放射能漏れや汚染水漏れのニュースが報道される度に、もう原発は好い加減にしてほしいと言う声が増えていくのが普通の神経だと思うのだが、それとは逆に原発再稼働の動きはじわじわと強まっているようだ。与党の政治家を先頭に経団連が何が何でも再稼働を推し進める反社会的な動きの中に、他人の不幸を横目に自分たちだけ儲けよう、楽しもうとのさもしい根性が透けて見える。

 さて、今日珍しいCD映画を観た。長年何とかこの映画を観たいと思っていたが、先日漸くアマゾンを通して買い求めたものである。その映画とは一世を風靡した「加藤隼戦闘隊」である。昭和19年山本嘉次郎監督、藤田進主演で製作され、当時の情報局選定の国民映画として陸軍省が後援までしたものである。映画は戦意高揚の空気を受けて全国的にヒットした。

 1972年に初めて「加藤隼戦闘隊」ビルマ戦跡巡拝慰霊団を企画し添乗員として同行した。以降毎年加藤部隊を主とする陸軍航空隊慰霊団を企画しては、度々ビルマを訪れた。ある時寝釈迦のあるペグー近郊でこの映画が上映されていたのをポスターで見て、ビルマ人ガイドに尋ねたところ現地でも人気のある映画だと聞いて、加藤部隊の人たちも感激していたのを思い出す。

 映画ではいろいろ懐かしいビルマの地名が出てきたが、その中で加藤隊長が戦死されたベンガル湾沿岸のアキャブを映していた。そのアキャブ海岸で加藤建夫少将ほか戦死された戦友の冥福を祈って慰霊祭を行った。その後加藤部隊の方々からは親しくお付き合いさせていただき、戦時中ビルマでのいろいろ厳しい話を伺った。しかし、その加藤部隊の人たちもいまやほとんど鬼籍に入られた。

 画面の最後のテロップは「神鷲去ってまた帰らず」だった。2014

2014年3月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com