5314.2021年11月29日(月) アメリカのお節介と置き土産

 昨日の朝日朝刊にアメリカのハガティ前駐日大使のインタビュー記事が掲載されていたが、この人の自分(自国)の考えや都合を他人(他国)へ押し付けようとする平素の強圧的な言動には、在任当時から鬱陶しさを覚えていた。新聞記事によれば、最近の中国の動向に対して日本の軍事的貢献が不可欠と訴え、剰え日本の防衛予算額にまで過剰に言及し、国内総生産(GDP)比で2%に引き上げるべきだと述べた。アメリカはGDP比3.5%以上を軍事費に充てていると言うが、それはアメリカの国内事情であって、他国に対しては大きなお世話ではないか。ここまで内政に干渉するのは言葉が過ぎる。日本は憲法が軍備を持たない第9条をひとつの拠り所にしていて、日本人ですらそう軽々しく軍事予算の増額についてコメントしないのに、このアメリカ人は今以て日本占領下にあるという感覚なのだろうか。やはりトランプ前大統領が選任しただけに、少々理性が伴わない人である。
 直接関連する話ではないが、そんな時に一昨晩NHKドキュメンタリー特集「ずっと、探し続けて~‘混血孤児’とよばれた子どもたち」を今日ゆっくり録画鑑賞した。1時間番組だったが、アメリカ軍兵士と日本人女性の間に生まれ、両親に捨てられた「あいの子」と呼ばれ、施設で育てられた子どもたちの様々な人生を終戦後から現在までを描いたストーリー性のある秀逸な番組だった。ハガティ発言のもやもやから少しは救われた。

 神奈川県は戦後間もなくマッカーサー元帥が降り立った厚木飛行場をはじめとして、日本軍の軍事施設が接収されアメリカ軍に転用されたため、アメリカ軍の軍事施設が多い。この舞台となった‘BOYS TOWN’(少年の家)も当時の高座郡大和町(現大和市)にあった。施設は1954年にカトリック教会によって建てられ、71年閉鎖された。収容児童は皆米軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血児で、兵士が帰国して母親が育てられないと施設に預けられた。母親はそのまま姿を消して子どもにとっては両親から見捨てられた不幸な人たちである。当時は10年間で約3,500人もの混血児がいたという。大和市内の学校に通えず、わざわざバスで横浜市内の学校へ集団通学していた。食事も充分に与えられなかったために、デブはひとりもいなかったと語っていた。世間から冷たい目を向けられ、学校にも充分通えず、仕事も得られず、素性がはっきりせず、とても結婚なんか考えられなかった。大人になっても町で会う警官からは常にある筈のない「外国人登録証」の呈示を求められた。‘BOYS TOWN’が撤去された際、唯一の生活住居を与えられ何人かの「あいの子」が肩を寄せ合って今も生活している

 何といっても一番可哀そうだったのは、幼くして彼らが両親から見捨てられたことで、彼らの履歴書には親、家族、誕生地などがほとんど書き込まれていないことだ。後年になって家族を探そうにもその手掛かりさえ掴めなかった。その中で母親の名と誕生の地が分っていた人が、叔母を見つけ出し、母親が姿を消した遠因は父親から勘当されたからだと教えてもらったが、その母親がその後どうなったかを叔母も知らないという。彼らの中には、ベトナム戦争で命を落とした人や、仕事に馴染めず自殺した人もいた。

 養子としてもらわれる子は、比較的女の子が多かったが、中にはアメリカ人家庭へ養子となった妹がいたタクシー運転者は、リモートでアメリカにいる妹の養母と話した結果、妹は訪米して間もなく亡くなったことを思いもかけず知らされた。その養母からは母親と思ってくれという言葉を聞いて涙を流していた。気の毒な話ばかりで、とても正視に堪えない場面もあったが、このような事実があったことはともかく、実情についてはあまり知られていない。

 幸い私は戦時中から南房州に疎開のような生活をしたが、戦後アメリカ軍兵士の姿は時折見かけたが、駐留軍がいなかったので、「あいの子」のような子供たちを見たことはなかった。
 ただ、ここには現在でも考えなければならない複雑な問題があった。それは、彼らの施設が建てられるという話を聞いて町内で反対の声が上がり、趣意書には独特の血統的特徴を有する子どもたちは諸外国にその機会を与えた方が良いという差別的なものだった。戦地となったところでは、似たような話があると思うが、戦争がある以上同じような不幸はいくらでも可能性がある。結局、戦争さえなければ、不幸は大分減るということである。心したいものである。

2021年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com