2627.2014年7月23日(水) 拙著タイトル「南太平洋の剛腕投手」に決定

 今日は24節気の大暑に当たり、暑い、暑い。それもそのはずである。全国にある観測点925か所の内何と528か所で真夏日の30℃を超え、17か所で猛暑日の35℃を超えたという。このところテレビで熱中症の注意と警報ばかりである。

 さて、昨日拙著のタイトル変更について書き込んだばかりだが、現代書館と話合った末今日「南太平洋の剛腕投手」ということに決めた。赤道以北にある旧トラック島を南太平洋と呼ぶことに若干抵抗があり、編集者にその旨伝えたが、それは理解できるが戦前から旧トラック島を含む南洋群島を南太平洋と呼ぶことに間違いはないとの確証を得たと言う出版社の言い分と、彼らの営業サイドの意見に押し切られた。サブ・タイトル「日系ミクロネシア人の波瀾万丈」のミクロネシア人ということから、南太平洋がミクロネシア、つまり旧トラック島であることは明白になると説得された。まぁ、こういうことなら良いと納得して受け入れることにした。

 ただ、ススム・アイザワ大酋長は現役時代は必ずしも剛腕投手ではなかった。それは実績によっても分かるし、佐々木信也さんもそう言っていた。むしろその剛腕とは、プロ野球を辞めてから旧トラック島へ帰ってからの政治的、社会的活動に因んで名づけたものである。

 さぁ、これで正式にタイトルが決まった。もう2度と変更することはあるまい。

 ところで、昨22日あの「世界遺産」モン・サン・ミッシェルで式典があった。島と陸地の間に橋が架けられたのだ。これまでは干潮時に海水が退き島と陸地が繋がって歩いて行ける。そして満潮時には島と陸地の間が海水で満たされ、島が浮かぶような光景が見られた。それが近年満潮時でも島と陸地の間が繋がったような状態になっていた。この橋の完成によりモン・サン・ミッシェルが本来の島の形を毎日見られることになった。

 2001年にここを訪れた時、中々の風物だと見たが、当時からすでに島と陸地の間に土砂が堆積しつつあったのだ。今改めてモン・サン・ミッシェルを思い出すと、その近くのしっとりとした小さな漁港の街オン・フルール、映画で知られたシェルブール、象の鼻の形をしたエトルタを始め、ドーヴィルの名門「ホテル・ノルマンジー」に宿泊した体験などが懐かしい。機会さえあれば、いつかもう一度あの世界遺産の島を、完成した橋を歩いて渡って訪れてみたい。

2014年7月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com