2637.2014年8月2日(土) 中国共産党の「七不講」

 中国共産党政府が国民の不満の暴発を恐れ、徹底的に言論弾圧を繰り返していることはいくら中国政府がひた隠しにしようとも国際的には周知の事実であり、今後もよほどのことでもない限り、当分の間中国はこのまま非民主化の道を歩んで行くものと思われる。

 中国に慕容雪村(ムーロン・シュエツン)氏という若い作家がいる。朝日新聞によれば、その慕容氏が、権力を一手に握った共産党が統治の危機を感じているからだとずばりその理由を指摘している。そのやり方は、国外からも疑念のまなざしで見られているが、共産党が大学で話してはならない7つのアイテムとして禁じている「七不講」というものがあるそうだ。「人権などの普遍的価値」「報道の自由」「市民社会」「市民の権利」「共産党の歴史的過ち」「司法の独立」「特権的資産階級」である。自由の学府であるべき大学で、最も講義すべき課題である。

 これでは、中国の大学でいくら学んでも自由とか、民主主義についてその何たるかをまったく知らないまま4年間を過ごすことになり、学士の資格はないと言える。ひとつひとつ項目を見ていると、「人権などの普遍的価値」「報道の自由」「司法の独立」などは民主国家では当たり前のことであり、政府の意向を酌んだ裁判では、信じがたい判断が下されることが当然のように受け取られている。三権分立なんて言葉は中国では死語なのだ。

 大学で批判精神を学ぶことを禁じるとは、中国共産党という組織は大学の本質というか、大学というものがまったく分かっていない。唯々諾々と上から言われたことを忠実に実行するだけで、思考力を欠いたなまくら学生だけを養成するところだと勘違いしているようだ。亡くなったゼミの恩師は、常に物事を批判的な視点から見るようにと口酸っぱく言っていたが、我々の学生時代に共産中国に理解を示していた恩師も今なら追放されようというものだ。

 中国共産党政権の学生への囲い込み抑圧もさることながら、学生たちももう少し団結して言論の自由を発揮して、政府にひと泡吹かせることはできないものだろうか。

 さて、今夕千葉市内で幕張小学校のクラス会に参加した。早や小学校を卒業して63年。すでに黄泉の国へ旅立った同級生も多い。今日もともに市川学園へ進学した野口くんが癌で亡くなったとの訃報を聞いた。離れて住んでいるので、普段あまり会う機会がないせいだろうか、特別親しく突っ込んで話合うようなことはない。話題もやはり大学時代の仲間に比べるとバライエティに欠け、共通性がないような気がする。でも顔を見ているだけで、ほのぼのとした懐かしい気持ちになるものだ。これが幼馴染ということなのだろうか。お互い元気で機会さえあれば、今後もこういうクラス会には出続けたいと思っている。

2014年8月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com