先日通過した台風12号より先に発生した11号が、12号が去った後になってゆっくり北上し始め、各地に大雨、土砂崩壊の災害をもたらしている。11号は何と時速15㎞程度の遅いスピードで九州から四国、関西地方に接近している。三重県には大雨特別警報が出された。
そののんびりした台風のせいもあって、長崎原爆投下記念日の今日、夏の甲子園高校野球大会開会式は、明日の天候も勘案して2日間延期されることになった。残念ながら開会式直後の第一試合で一時中学時代に在学していた龍谷大平安が、埼玉の春日部共栄高校と闘う予定だったが、順延となって観戦できない。平安は今春のセンバツ大会で念願の初優勝を遂げているので、何とか7校目の春夏連覇と4回目の全国制覇を成し遂げて欲しいものである。
さて、昨日朝日朝刊を見てびっくりした。元小田急百貨店常務取締役だった内藤政武氏が今年10月学習院院長に就任されるという。新宿内藤町にお屋敷があった内藤氏は存じ上げているが、元々日向の殿様家で元華族だった。由緒正しいお家柄で、おっとりしたご性格だったように思っているが、皇室・皇族の教育行政機関の最高位に就かれるとは恐れ多い。昨年は現在NHK朝ドラの主役モデルのひとりを務めている柳原白蓮が大叔母に当たる元上司が亡くなったが、会社勤めの頃は元上司からは皇室関係の珍しい話を随分伺ったものだ。
皇室と言えば、無署名記事の多い月刊誌「選択」に珍しく署名入りの「本に遭う」というコラムがある。その8月号に元朝日新聞記者・河谷史夫氏が、舌鋒鋭くかなり思い切った文を書いている。何と昭和天皇批判である。これまで思うところはあっても、公にこれほど露骨に天皇個人を非難した個人のレポートは極めて珍しい。
その一例として、1945年7月26日連合国が日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言を発したにも拘わらず、それを黙殺し原爆投下とソ連の参戦を許して死んだ人は天皇と側近を恨んでいいとまで言っている。
もっと驚いたのは、大元帥天皇が決めた戦争の終結を、天皇自身は眼鏡を拭い、重臣も泣いた。だが、臣たちの涙は天皇に向って、天皇の涙は「皇祖皇宗」に向って流されたのであって、この男たちの意識の中に、東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎における死者への思いは一切なく、天皇の頭には「三種の神器」を保全して「国体護持」するという神話的妄想しかなかったと、これまでに巷間窺がわれなかったほどの手厳しい昭和天皇批判である。
戦後これまで国民と皇室の関係において、大きな波風はないように見えていたが、お互いの心の奥底には必ずしもそうではなく胸に秘めたわだかまりがあったのではないか。見方によっては過去において触らぬ神に祟りなしとばかり、小さなわだかまりや不満を隠ぺいしたままにしていたことが、いまになってついに噴き出したとも思える。
とかく、恐れ多い皇室に関係することとなると、物言えば唇寒しということになって身に降りかかってくると思われたが、少しずつ隠された不満の芽が顔を出してきたとも言える。
一旦噴き出した昭和天皇に対する責任論と不満が、大きく噴出するかも知れない。ともかくいずれ一波乱あるやも知れない。