4884.2020年9月25日(金) コロナ禍に登山を思う。

 今朝も昨日手術を受けた左眼白内障の経過状態を診てもらうため、東京医療センターへ行った。担当医師との話し合いの前に視力検査などをやってもらったが、その直前昨日の手術後から着けっ放しだった左眼の眼帯を外してもらった瞬間、まぶしいほど周囲が明るく見えた。近視的な傾向もなく、今まで右眼だけで物を見るような感じだったが、右眼より左眼の方が良く見える。左右を比べると右眼がやや黄色っぽく見えるのに対して、左眼は「白」とか、「光」のような感じである。近視もやや修正されたようで、随分周囲が明るく見えるようになった。今後検査をフォローするために3度ほど検査の予約をしてもらった。まだまだ予断は許せないが、これからは目のことはあまり気にすることなく、パソコンを使えれば好いと思う。

 実は、今日は小田急山岳部OB会が開かれる予定だった。昨年今年の再会を期して別れたが、新型コロナウィルスのために会場も閉鎖され中止となった。この1年の間に山岳部のために随分貢献された2人のOBも亡くなった。今日偶々私の白内障手術を知ってメールを送ってくれた山岳部OB仲間から、2人へ黙とうを捧げられないのが残念だと伝えてきた。特に大先輩の小林経雄さんとはあまり普通の登山者が登らない山を登ったり、あまり知られていない田舎へ出かけたことがある。小林さんが詳しい妙高・戸隠へ行ったことがあり、小林さんが書いたブルーガイドブック「妙高・戸隠」には、小林さんが撮った私の写真が載っている。人間国宝となられた、こけしの里・木地山の小椋久太郎さんの工房もともに訪ねて、人間国宝から直々にお手製のこけしを手に入れたことが懐かしい。

 このところ登山ともすっかりご無沙汰してしまったが、かつての山仲間と今も変わらず交流できるのも神聖な山を仲介しているからだと思う。実際大分以前に膝を痛めて、いまでは体力的にも登山は難しくなった。しかし、年賀状だけになってしまったが、相変わらず学生時代の山仲間とも交流を続けることが出来て、山の思い出がいつまでも懐かしく心に留まっているのは、やはり「山の神」のお導きだろう。学生時代から国内の海抜3千m以上の山はほぼ登ったが、やはり山は人を惹きつける魅力がある。来月上梓することになるだろう新著「八十冒険爺の言いたい放題」にも、イランの最高峰ダマヴァンド(5,610m)の麓の峠で吹雪に遭った経験を書いている。実は、その時地元の人のアドバイスで雪の峠からテヘランへ引き返した。そのため世界一の湖・カスピ海へ行く予定だったのだが、行きそびれてしまった。山の経験はいつまでも心に残るものだ。キリマンジャロも近くまで行っていながら、麓の村まで行けなかった。そう考えると今まで近くに行っていながら、辿り着けなかった山は、癪に障ることだが、心の中に懐かしいメモリーとして残っている。きっと永久に残り続けることだろう。

2020年9月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com