4714.2020年4月8日(水) シベリア、サハリン視察のDVDを観る。

 1992年10月下旬から11月初旬にかけてシベリアで亡くなられた旧日本軍兵士の埋葬地の様子を見てきて欲しいと旧厚生省から依頼され、若い社員を連れて2週間近くシベリアからサハリンの日本人墓地を視察に出かけたことがある。その時8ミリ・ビデオを持参して行く先々でビデオカメラを回していた。その時の8ミリ・ビデオが思いも寄らず机の抽斗から出てきた。それをDVD版に移し替えてもらい今日送ってもらったので、懐かしい気持ちもあって一気に2時間も観てしまった。

 イルクーツク、チタ、ハバロフスク、ユジノサハリンスクを拠点に郊外都市も訪れた。DVDを観ると何とも懐かしい。ロシア地方都市の様子やバイカル湖がよく撮れている。季節的には晩秋だったが、すでに各地で積雪が見られた。その時にも感じたことだが、各地の日本人墓地はきれいに整備され、訪れる日本人が違和感を抱くことはないと思っていた。広いスペースに一人ひとり無名の墓石があり、死者の名前が分かれば名前も刻まれている。改めて観て他のアジアの国々の日本人墓地に比べて遜色はない。むしろより整備されていると思った。それが、最近になってシベリアで発掘して日本へ持ち帰った遺骨が、DNA検査の結果、ほとんどが日本人のものではないと公表された。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。ロシアの日本人墓地を観る限り随分きちんと整理されていたが、DNA検査のような確実なチェックをしなかったということなのだろうか。

 久しぶりにロシア地方都市の雑駁でのんびりした様子を観ていて、つい笑ったしまった。首都モスクワのような大都市と違い広く荒れた道路に沿って古ぼけた木造家屋が点々と立ち並び、交通信号もあまりなく車の往来がやゝ危険な感じである。食品の移動販売車も目についた。その11年後にシベリア鉄道で大陸を横断した時はほとんどレーニン像を見ることはなかったが、その時はまだレーニンは偶像視されていて各地でレーニン像を見かけたものである。また、あか抜けないところが、国土の広いロシアらしいところだと思う。

 あれからもう30年近い月日が経つが、今それらの都市はどう変貌しただろうか。或いは、相変わらずロシア的のんびりムードのままなのだろうか。機会があれば、もう一度訪れてみたいところではある。

2020年4月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com