4494.2019年9月1日(日) 関東大震災から96年

 今日は1923(大正12)年の今日関東大震災が発生したことを忘れずに、防災を心がけようという誓いと願いを込めた「防災記念日」である。例年ほどテレビで報道されていないように感じたが、改めてこの震災について考えてみると被害は東京、神奈川を中心に関東一円に及び、史上最大となった犠牲者の数は10万5千余人を数え、近代に入ってから空前絶後の災難だったことが分かる。

 当時朝日新聞が撮影した動画がネット上にアップされていたが、上野公園の西郷隆盛像や、東京駅前の巡査派出所に安否確認の張り紙がたくさん張られている光景や、無蓋貨車に大勢の人が乗り込んでいるシーンには胸が痛む。

 寡聞にして知らなかったが、震災の8日前に加藤友三郎首相が急逝して、震災当日は総理不在だった。内田康哉外相が臨時に総理を兼任して、震災の翌2日に新首相に山本権兵衛・海軍大臣が就任した。皇族の中にも別邸などの倒壊により閑院宮戴仁寛子第4皇女が小田原で、東久邇宮稔彦第2皇子が藤沢で、山階宮武彦佐紀子妃が鎌倉で亡くなられた。この他にも、松岡康毅日大総長が葉山の別邸の倒壊により、また英文学者で評論家の厨川白村も鎌倉で津波に呑まれ、翌2日に亡くなった。このように名の知られた多くの方々が東京のみならず避暑地の湘南地方で命を落とされている。外国人の中にもフェリス女学院校長やイギリス人外交官も犠牲となった。

 日本では不幸にして昔から地震や台風などの自然災害が多い。ここ数日九州北部を襲った豪雨では、犠牲者の数こそ多くはなかったが、住宅、田畑に甚大な被害があった。「災害は忘れたころにやって来る」と言われるが、今では「災害は忘れるまもなくやって来る」と言ってもいい。

 そんな日本にとって今日は歴史上のエポックメークな1日であるが、暦の上では夏は終わりいよいよ新涼の季節、秋になった。各地の学校は明日から2学期が始まるところが多い。自分自身を振り返ってみると、今からちょうど70年前の1949年2学期は父の仕事の関係で、房州の勝山小学校から現在の千葉市立幕張小学校への転校で始まった。その直後に湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞受賞という慶事があったことをよく覚えている。今年の夏は異常に暑かったが、地球温暖化の流れの中で、果たしてとうきょオリンピックが開かれる来年の夏はどんな夏になるだろうか。

 さて、ちょっと首を傾げていることがある。このブログも書き出してから13年目に入っているが、毎日書き続けてきてあと6回で4500回にまでなった。それなりの苦労はあるが、書く題材はいくらでもあり、それ以上に書くことの楽しさがあり、今日まで書き続けてくることが出来た。友人たちも読んでくれているようで、張り合いがあり、それが書き続けていくことへのパワーとなっている。

 実は、このブログというよりホームページへのアクセス数が7月から急激に増えたのである。実際4~6月の1日当たりのアクセス数は平均88回だったが、節目が変わって7月21日から急に増えて8月中の1日平均アクセス数は157回になった。以前に比べて2倍近くに増えたことになる。その原因にはまったく心当たりがない。7月下旬から毎日同じようなペースでアクセスがある。増えること自体はHPを覗いていただいていることであり、有難く歓迎すべきことであるので、あまり気にする必要はないと思っている。ただ、7月21日は参議院議員選挙投票日だった。これについて特別に異説を書いたわけでもないので、不思議だなと思っている。選挙で言えば、7月21日以来毎日組織票が入っているということになるだろうか。あと半年もすれば、少しは原因が分かるかも知れない。

2019年9月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com