4474.2019年8月12日(月) イエメンで新たな内戦が勃発か?

 噂ではちらほら聞いていたが、アラビア半島のイエメン民主共和国が大分荒れた状況下にあるようだ。紛争の種が多く存在するのか、独立後もしばしば紛争の起きるお国柄である。昨日あるテレビ局で内戦状態にある現在のアデンの画像を流していた。半世紀以上も昔1968年1月11日苦労を重ねたうえで、漸く独立直後のアデンに最初の日本人として入国し今でも灌漑深く思っている。アデンは地勢的に優位なアラビア半島の紅海の入口にあり、また石油が絡み難しい立場にある。長年に亘って宗主国大英帝国が利権を手放さず植民地として支配し、被支配国アデンは虐げられ、宗主国の圧力に耐えてきた。

 1967年11月30日アデンはイギリスから「南アラビア連邦」として独立した。私が入国するほんの42日前のことである。その後アデンはアラビア半島のイエメンに吸収される形でイエメン民主共和国となった。しかし、その後度々内戦を繰り返している。現在正式には国家の大統領は不在である。独裁政権だったサーレハ大統領が国内外の批判にさらされ、挙句に砲撃によって負傷したことから辞職したまま暫定大統領を名乗っているハーディー氏が主導するハーディー暫定大統領派と、亡くなったフーシ師を大統領に推していたフーシ派が対立している。ハーディー大統領派はアデン中心に、フーシ派は首都サヌアを中心に北西部を支配している。前者はサウジアラビアのスンニ派連合軍が支援し、後者にはイランが弾道ミサイルなどを供給して後ろ盾となっている。そこへ2017年に南部暫定評議会という新しい組織が立ち上がり国内の抗争はさらに泥沼化している。国内に三つ巴の対立・抗争が起きているのである。

 アラブの主導権争いを一層複雑にしているのに宗教紛争・対立がある。ご多聞に漏れずこの両者の背景にもスンニ派とシーア派の対立が見え隠れしている。

 昨日の映像にもアデンの風景が映し出されていたが、その細かい情景は今以て余韻が残っている。苦労して入国し、まだ砲弾の痕跡も消えぬままのアデンには殊更強烈な印象がある。元イギリス軍将校の宿舎に使用されていた、怪獣のような名の「ゲジラ・パレスホテル」のフロントにいて、勤務明けに街をガイドしてくれたムッタナさんは今どうしているだろう?

 ついては、今朝の朝日によると10日新しい南部暫定評議会が南部アデンの大統領宮殿や軍事施設を占拠したと伝えている。分離独立派の南部暫定評議会と暫定政権側の戦闘が7日から激化して民間人を含む70人以上が死亡したという。これまで暫定政権を支えるサウジアラビアと、フーシ派を支援するイランの代理戦争ともいわれていたが、アラブ首長国連邦(UAE)が支援する南部暫定評議会が介入したことによって益々複雑で混沌とした政治情勢になった。日本では一般にあまり関心を持たれていない国ではあるが、アデン独立前の内戦の実態について関心を抱き、多少学んでいた私としては他人事ではないくらい気にかかる。

2019年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com