4342.2019年4月2日(火) 「令和」ブームの始まりか?

 昨日発表された平成後の年号に決まった「令和」の熱気が冷めやらぬまま余韻として残っている。今日は、朝日朝刊と夕刊がともに「令和」の謂われをトップ記事として書いている。何といっても典拠した「万葉集」が俄かに注目され、書店には万葉集が積まれていて、出版元でも増刷しているそうだから驚く。引用された大伴旅人が大宰府の公邸で宴を催したことが歌になった。「天声人語」に依れば、その時旅人は招いた九州一円の役人、医師、陰陽師ら31人を歌宴に招いた。奈良時代の天平2(730)年の春だったというから今から1300年近くも昔の史実がよくも正確に伝えられたものである。

 「令和」が引用された「初春の令月にして、気淑く風和ぎ~」は庭に咲く梅を詠み比べる歌宴だった。そしてこの開宴には、「天空を覆いとし、大地を敷物として、くつろぎ、ひざ寄せ合って酒杯を飛ばす。さあ園梅を歌に詠もうではないか」という続きがある。昔の公家や有識者には、随分教養豊かで風流を好む人たちがいたのだなと感心する。時代性もあるが、今日の政治家や役人にはとても真似出来ない芸当だろう。昔の風流人の遊びが1300年の時を経て現代の元号につながるとはわれわれ現代人はもちろん、昔の人たちにとっても想像を超えた幻想のように思える。

 「令和」についてそれぞれの文字の意味や字源が解説されている。「令」は上の部分と下の部分に分解されて、君主が家来を集める形を表し、下部分は膝まづく人を表し、命令の意味を持つことから「令」を好まない人もいるようだ。また、「和」は左の偏と右の旁を分けて、偏は稲穂が丸く実って垂れ下がる形で、旁は口を表し、併せて穏やかで角が立たないことを意味していて、平和を表す言葉として使われる。小学校時代の恩師は湯浅和先生と仰ったが、しばしばお名前を「やわら」と読むと言っておられたことを懐かしく思い出す。

2019年4月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com