4291.2019年2月11日(月) 日本もイランも建国記念日

 今日は建国記念日であるが、かつては紀元節と呼ばれていた。昭和20年国民学校初等科1年生時の夏休みに太平洋戦争は終わった。翌年の今日日本は敗戦国とはなったが、学校で紀元節の式典が行われ、紀元節の歌を唄ったことをよく覚えている。

 ♪雲に聳える高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん大御世を 仰ぐ今日こそ楽しけれ♪

 出だしと最後の方の歌詞はよく覚えているが、あとはあまり記憶にない。ただ、あの時の式典では子どもなりに随分緊張させられ厳かな空気があったように覚えている。今や小学校ではあのような厳かな式典は行われていないのではないだろうか。

 さて、日本が建国記念日を祝っている今日、イランでも40年前に新生イラン・イスラム共和国が誕生した。親米派のパーレヴィ国王が国王の座を追放され、国外へ脱出した後、入れ替わりにパリへ亡命していたイスラム教シーア派最高指導者ホメイニ師が帰国し、1979年2月11日政権を掌握しイラン革命が成った。1967年パーレヴィ国王が栄耀栄華を誇っていた当時のイランを訪れた時、テヘラン空港はパーレヴィ空港と呼ばれ、空港内には国王の大きな肖像画があちこちに掲げられていた。また、紙幣はすべて軍服姿の国王の肖像画で、イラン国内はパーレヴィ国王一色に包まれていた。その4年後の71年10月には、ペルシャ帝国建国2500年祭が由緒ある史跡ペルセポリスで行われ、世界中にその華やかな式典模様が伝えられた。その当時テレビ画面を観ていて、改めてパーレヴィ国王のペルシャ帝国への強い思い込みに感銘を受け、懐かしく思っていたものである。それがその8年後には、権勢を誇っていたパーレヴィ国王がよもや失脚するとは思いも寄らず、その当時豪華な車に乗ってにこやかに手を振る誇らしげな国王の姿が勇ましく見えたものである。

 奢れるものは久しからず、アメリカべったりだったパーレヴィ国王治世下のイランは、皮肉にも今では反米デモの先頭に立ち、アラブの沿岸諸国とも対立している有様である。

 わが国の誕生を祝う建国記念日が、思い入れの強いイランの建国記念日であったとは寡聞にして知らなかった。その後イランに再び出かけてペルシャ帝国の史都ペルセポリスも訪れたが、あの時地方都市で楽しい思い出をいっぱいもらった。他方で、今日のイランは、核開発を進めたり、シリアに軍事支援を続けるとか、ホルムズ海峡を艦艇で警戒して戦争と一触即発の状態である。イスラム教内部の宗派対立があるとはいえ、優しく親切なイランの人々がどうしてこういう危険な状態に自らを追い込むようになったのだろうか。残念で仕方がない。

2019年2月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com