213.2007年12月13日(木) 少し良くなった「ひょうそう」

 月曜日に松本整形外科で診てもらった左手中指の「ひょうそう」の傷跡があまり芳しくないということから、昨日また切開して血を出してもらった。水に濡らしてはいけないので、2日間は風呂にも入らず我慢していたが、ビニール袋を被せて濡らさないように気をつければ入浴しても大丈夫と言われ、中指をビニールで二重に巻いて湯船に浸かった。今日その結果を診てもらいに整形外科へ出かけたら大分良くなったとの診断で、化膿止めの薬はもう要らないことになった。まあとにかく不便で、いまこうしてパソコンを打っているのも四苦八苦である。

 妻も今日3度目のオペの抜糸を済ませたが、面相が幾分変化したのでかなり気にしている。まだ、他人にはあまり素顔を見せたくないと言い、タクシーの中へ置き忘れた顔隠し用の帽子を求めて、玉川高島屋内の帽子店へ新しい帽子を買いに行った。

 どうも夫婦揃ってぱっとしない。家にいながら仕事が捗らない。次回作品「停年オヤジの海外武者修行」の筋書きは、九分どおり書き上げたのだが、少し書き直そうと思う箇所もあるし、加筆したいストーリーもあり、なお若干時間がかかる。まだ、年賀状も書いていない。今年も年賀ハガキ650枚を用意したが、これで足りるのか足りないのか、分からない。今年も送り相手に合わせて3種類の異なった図柄の年賀状を作成する必要がある。それに、宛名書きは自分のこだわりで毎年万年筆による手書きなので少々時間がかかる。明日は海外へクリスマス・カードを送り、年賀状もそろそろ「筆まめ」で印刷して来週中には宛名を書き出さないといけない。だんだん忙しなくなってくる。これも年末が少し近づいたせいだろう。

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212.2007年12月12日(水) ロシアのトップ人事にウルトラC

 ロシアのプーチン大統領は後継者にメドベージェフ副首相を指名した。この国は中々一筋縄で行かないお国柄ゆえ、大統領を辞めた後権力志向の強いプーチン氏自身が、どのような立場に身を置くのか一入興味のあるところだが、出来レースによって即座に氏は大統領選出後、プーチン氏を首相に任命したいと表明した。何とプーチン大統領が首相の座に座るというウルトラCには世界がびっくりである。

 シナリオはこうである。大統領は憲法規定により、2期8年間しかその職に就けない。若くロシア人の間では人気があり、まだまだやる気満々のプーチンとしては、権力を維持したままこれからどう国の政治の中枢に居座り続けることが出来るかを考えた挙句、編み出した奥の手が、憲法改正の道を選ばずに一旦権力の最高職から座を外し、院政の道を選択することであった。まず、自分の影響力を残して院政を行うために、次期大統領を操り傀儡とすべく腹心中の腹心、メドベージェフ氏を大統領に推薦し、新任大統領の不慣れな面を補佐する形で大統領に影響力を与え続け、次の大統領選で再び立候補する腹積もりである。その間、首相としての重要職務を全うし、絶対権力を更に固めてカリスマ性に秘かに磨きをかける。ロシア憲法上は、共和制政治体制を執行していて、大統領が行政府の最高権力者ということになっているが、首相の権力が大統領のそれを上回る権力行使を行った場合は、いわゆる議院内閣制と同じシステムになり、政治制度と大統領の地位が形骸化することは必定である。国家行政をひとりの人間の意のままに操るやり方は、明らかな独裁政治、ファッショ以外の何物でもない。そのおかしな道をロシアは選択しようとしている。

 メドベージェフ副首相は、悪名高いガスプロム会長として知られているが、月刊「選択」12月号に「ガスプロムは損をさせない」との記事が掲載されている。そこにメドベージェフ氏の顔写真が載っているが、どうも当人のものではなく別人のものではないかとの勘が働いた。以前に見た彼とは明らかに別の顔の気がした。余計なことであるが、「選択」誌の名誉のために同誌へ連絡して聞いてみた。しばらくして編集部の担当女性から返事があった。やはり、指摘した通り写真は別人であったという。同じガスプロム社の別人、メドベージェフ氏の顔写真を使用したらしい。人違いである。誤植のないことを誇りにしていた「選択」誌としては上手から水が漏れたということかもしれない。次号で訂正し、取り違えたことを注記するべきでしょうとアドバイスしておいた。

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211.2007年12月11日(火) 天満敦子さんヴァイオリン・コンサート

 売れっ子ヴァイオリニスト・天満敦子さんのクリスマス・コンサートがあると吉祥寺の建築家・山本富士雄さんからご案内をいただき、妻ともども今日のコンサートを楽しみにしていた。演奏は文句なしに素晴らしかった。やはり超一流の音楽家の演奏を生で聴くのは、心を打ち、感動的である。最初にクリスマスに因んで、誰でも知っているクリスマスに関連の曲目をカトリック吉祥寺教会聖歌隊が歌った。

 天満さんの演奏会は5年ほど前に、有楽町のよみうりホールで聴いたことがある。地味なお召し物、魚でもつまむようなヴァイオリンの持ち方、飾らない表情等々に個性的なところがあり、中々ユニークな女性だと思っている。シューベルト、グノー、カッチーニの3大アヴェ・マリアを含め、全部で11曲演奏してくれたが、一番良かったのは、「ツゴイネルワイゼン」だった。それに好きな「タイスの瞑想曲」も良かった。これだけ演奏家として優れた演奏技術を持っていると、どんな音色でも編み出せるのではないかと錯覚するほど、素晴らしかった。CDやラジオで聞く音色とまったく異なる臨場感を伴った音色、とりわけ超一流の音楽家が作り出す音色には、人の心をゆっくりと溶かす魔法が隠されているようである。とにかく一足早い感動のクリスマス・プレゼントだった。

 今日の失敗は会場、武蔵野市民文化会館へのアクセスだった。吉祥寺駅からタクシーで会場へ向かったが、運転手が武蔵野市民センターですね、などと言うものだから、「武蔵野市民文化会館です」と告げて、略図を見せた。そのうちに、芸術文化センター?の話を始めて、挙句の末にその?センターへ連れて行かれ、目的地は「武蔵野市民文化会館」だと再度説明してやっと間違いに気づかせた。結局会場まで30分もかかり、料金も3倍近くなったが、開演には間に合ったし、年配の運転手がおしゃべりでサービスもしてくれたので、多過ぎとは思いつつ2千円払うことにした。運転手はすっかり芸術文化センター?と信じ込んでしまっていたようだ。われわれが知りもしない芸術文化センターの名前なんか出してもいないのに、一人合点し乗客に迷惑をかけたのは、ベテラン運転手としては少々お粗末だったと思う。会場から帰りは順調で、演奏会が終わってわが家まで、ちょうど1時間で着いてしまった。しかし、タクシーによるケチは、ここにもあった。自由が丘駅からわが家まで乗ったタクシー内に妻が帽子を置き忘れてしまった。

 感動と失望の一日だった。

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210.2007年12月10日(月) 世襲経営者の無能と無責任

 今年は偽ブランドや、食品偽装が大きな話題になり、経営者のモラルを問われる事件が後から後から噴出している。今日「船場吉兆」がこれまで不祥事は部下になすりつけて、彼らの責任と言い続け、経営者が責任逃れをしていたが、万策尽きたか、遂に全面的に経営者の一存で偽装を行ったと白状した。この一連の失態劇を見ていると、無能な世襲経営者一族の経営能力と倫理観の欠如、そして世襲経営者の成れの果てを見ているようである。

 この夏講談社編集部の副部長と同社出版物の間違った表現の件を話し合った際、あまりの非常識と知的レベルの低さに驚いた。これが大出版社の社員かと思うほど社会常識に欠け、自己主張だけを繰り返していた。当方も負けずに正論を主張して、「訂正する」との言質を引き出したが、手紙ひとつ満足に書けない人物が、会社を代表していると言い張る図々しさには開いた口が塞がらなかった。その副部長氏は、指摘した講談社の世襲経営について、経営とは一切関係ないと言い張っていたが、果たしてそうだろうか。気位ばかり高く、この程度のレベルの社員が大きな口を利いているようでは、会社もいずれ馬脚を顕すだろうと見ていた。

 案に違わず、このところ出版業界で問題を起こしているのは、決まってプライドの高い講談社である。野間一族が経営するこの会社の体質こそが問題ではないだろうか。キャノンとの係争事件、中田横浜市長との訴訟事件、アンケート調査に学生を騙して利用した市場調査、等々と思っていたところ、月刊「選択」12月号に依れば、野間文芸新人賞選考委員交代の件で、社内が大揺れに揺れており、「選択」誌は「良識が看板の出版社でそんな横暴がまかり通るとは驚くばかりだ」とあきれ果てている。所詮思い上がった世襲経営者なんてこんなものだろう。

 一昨日あたりから、右手中指先端から第二関節まではれぼったく熱を帯びている。どうも自分の指でないような気がする。昨日から氷をあてているが、不自由でしようかない。松本整形外科へ行った折りに診てもらったところ、松本先生は一目見て今治療中の膝より大変だと脅かされた。直ぐに血を抜いて化膿止め錠剤をいただき、明日もう一度診てもらうことになった。一種の「ひょうそう」のようなもののようだ。学生時代に、三田の階段でころんで指を傷つけた時に、済生会中央病院の医師はすぐ血を抜いてくれた。このまま放っておいたら手遅れになったのかもしれない。チベット旅行中でなくて良かったと思う。

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209.2007年12月9日(日) 中国政府の非常識と呆れた自己都合

 チベットへ旅行中に北京で日中経済対話が開かれていたということを知った。日本からは6人の閣僚、中国側から副首相と7人の閣僚が出席した。2日に日本側代表団が温家宝首相と会見した時、温首相が対話は成功だったとその成果を評価し、日本の高村外相も成功だったと強調していた。

 然るにこの対話でまとめられたプレスコミュニケの文面を中国側が一方的に書き換えて公表した。合意文書、しかも国家間で交わされた公式文書を、相手国の了解を得ずに自分の都合だけで変えてしまうとは、いかにもいま偽ブランドを売り物にしている中国らしいやり方である。こんな外交儀礼に反することはこれまで聞いたことがない。早速日本側が抗議し、訂正を求めているらしい。中国が一方的に変更した箇所は、①中国政府が人民元の為替レートの上昇に向けて努力することを日本側が期待したことと、②エネルギー憲章条約への中国の参加の意義を日本が指摘した点である。いずれも中国にとっては触れられたくない箇所である。すでに新華社通信は変更された内容を伝え、人民日報や商務省のウェブサイトにも掲載された。どうも対話では一応合意したが、中国とすればあまり他所から指摘されたくない項目で、これをきっかけに欧米諸国から現在の中国の対応に対して、一気に問題が拡大化される点を懸念している節が見られる。

 それにしても、最近のロシアにしても中国にしても、マイペースでことを運び、自分たちにとって都合が悪くなると強引に約束違反とか、契約破棄とかをやってのけるパフォーマンスにはあきれ果てる。社会通念や外交常識から考えて、まったく理解に苦しむ行動であり、日本政府が抗議したのも当然といえる。しかし、これからもこういう奇想天外な手段を二の手三の手と繰り出してくるであろう中国と渡り合っていくのは、相当な覚悟と相手を上回る戦術を駆使出来る腹芸と交渉力が必要で、果たして世襲議員ばかりで、地力のない日本の政治家にそれが務まるかどうか、いささか悲観的にならざるを得ない。

2007年12月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

208.2007年12月8日(土) 開眼法要と開戦記念日

 妻は抜糸と検査があるので、施主側としては結局ひとりで開眼法要に立ち会うことになり、少々早めに宝仙寺へ出かけ、仏花、水、果物を用意して簡単に掃除をして法要に備えた。兄弟と連れ合い6人が揃ったところで、お坊さんの読経を始めてもらった。これで自分の墓を建てたことになり、先行き息子にいざという場合の心配をさせないで済む。役目をひとつ終えたことになるが、生前墓というのは妙なものだとも思う。自分の墓に手を合わせ拝んでいても気持ちが入らない。無事法要を済ませて都営地下鉄大江戸線でハイアット・リージェンシーへ移り、ゆっくり中華食を楽しんだ。ここの中華は美味しくて評判がいい。とにかく一仕事終えたというゆったりした気分である。

 さて、今日12月8日と言えば、大東亜戦争開戦記念日であるが、新聞やテレビでは、その関連ニュースがまったく報道されていない。これはどういうことだろうか。かつては、必ず日本国民が自戒の念を込めて、昭和16年の今日忌まわしい戦争が始まったということを繰り返しニュースとして流し、改めて反省したものだった。あの朝日新聞にしても、僅かに「声」欄で読者である83歳の老婦人の投書を載せている程度である。あれだけ悲惨な出来事をいくら時間が経過したとはいえ、何らかの形でニュースとして伝えるだけでもすべきではないかと、マス・メディアの対応に不満が残る。反戦につながるデモの動きすら感じられない。戦争は忘れ去られようとしているのだ。

 同じ12月8日に起きた事件として、ビートルズのジョン・レノンが27年前に暗殺されたことは、かなり取り上げられていた。ジョン・レノンが殺された事件もセンセーショナルではあったが、日本国民にとっては歴史上どっちが報道する価値のある事件かよく考えてほしいものである。ジョン・レノンが亡くなったことは、私にとっても大きなショックを持って受け止めた。丁度茨城県教育視察団のお供で、マルセイユに宿泊していた時、号外で知った。しかし、それにしても日本人にとっては、開戦記念日は忘れてもらいたくない日である。このまま放っておくと、いずれ大東亜戦争も風化して、いつの間にか憲法改正、再軍備という動きが出てこないとも限らない。

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207.2007年12月7日(金) 忘年会シーズン始まる。

 「JAPAN NOW 観光情報協会」企画会議に引き続き、同じ海事会館内の喫茶店で忘年会を行った。実は、「知的生産の技術研究会」でも同じ時間に赤坂で忘年会がある。八木会長はもちろん、仙台から久恒理事長も参加され、出席者がそれぞれ知的生産的研究とか、業績を発表する機会を作った。先約優先だからそちらに出られないのは、残念だがいたし方ない。これからしばらくすると年の暮れを迎え、いつも通り夜は賑やかなことになるだろう。1年が経つのは早いものだと感じ入る。

 企画会議は、今年1年間の実施計画と来年度のスケジュール報告に終始した。来年の予定で、宮崎市内で開催される「観光立国フォーラムin宮崎」の日程について、検討することになった。一応現地の都合を斟酌して、暑いが7月中旬あたりが妥当ではないかということになった。出来れば、いま話題の東国原宮崎県知事にも出席してもらいたいという狙いもある。

 今日も妻は昨日のオペの結果を診察してもらいに行ったが、昨日と同じでもう一度オペをやってもらう羽目になった。大分遅くなってまたまた顔面を大きく腫らして帰ってきた。いまのところ妻も結果には、満足していないが、執刀医も納得出来ていないのではないかというのが、妻の実感。ただし、目の上で微妙な箇所でもあり、そう何度もオペを繰り返すことには、妻も私も納得しがたいので、これを最後にしたいと妻も言う。明日午前中にもう1度医師に術後の様子を診てもらうことになった。そんなことから、明日の懸案の開眼法要には、妻は出席出来ず、我が家では施主である私以外出席が叶わず、法要後に豪華なハイアット・リージェンシー「翡翠宮」で予定した、せっかくの食事会がちょっと寂しいものになってしまった。

2007年12月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

206.2007年12月6日(木) 宝仙寺墓地に墓石建立

 妻が先日オペをやった箇所の抜糸の予定なので、医院の近くまで車で送ったが、中々帰って来ない。その内電話がかかってきて、右下瞼をもう一度オペしたという。随分簡単に決めちゃうものだと少々驚いた。それでも今朝よりは様相的に全体のバランスが良くなって帰ってきた。これからまた腫れたり、瞼が下がったり、百面相を演じるのではないだろうか。一番肝心なことは、手術前より視界が開けて見やすくなったかどうかということで、現時点では良さそうなので、取りあえずは善しとするか。

 午後から中野の宝仙寺へ出かけ、新たに建立した自分の生前墓を見てきた。この秋に石材店に頼んで、先祖の墓地の一角に次男である私の墓を建立してもらっていたところ、旅行中に完成したと連絡があった。大辞林には載っていないが、生前墓のことを「寿陵」というのだそうだ。近藤家本家、分家の墓と私の墓を合わせて3つの墓石が建ったことになる。私の墓石の裏には、はっきりと「平成十九年十二月吉日、施主近藤節夫建之」と彫ってある。3つとも似たような墓石だが、分家の墓石も作り直してしっかり根を下ろし、床面はすべて玉砂利にしてきれいに整備された感じである。明後日兄弟妹と連れ合いに参加してもらい、僧侶にお経を上げてもらって開眼法要式を執り行う。もう1年以上も懸案となっていたが、漸く自分が納まるべき場所を確保することが出来た。ところが、妻の面相が腫れてあまり良くないので、開眼法要に孫たちを参加させると彼らが妻の顔を見て怖がるといけないということで、長男浩史へ話して、当日孫たちは来ないことにした。

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205.2007年12月5日(水) 血圧が安定してきた。

 午後からかかりつけの内科医森先生に診察してもらいがてら、チベット旅行中の体調経過報告に行った。血圧降下剤服用の効果が少しずつ現れてきたのか、最近は上が大体140以内に収まり安定しつつあった。ところが、標高2,200mの西寧から、5,000mを超え3,650mのラサ、およびツェダンのような富士山とあまり標高差がない都市に滞在中は上が160近くまで上がった。現地ではガイドに、やれ酒は飲むな、とか、熱い風呂に入るな、とか言われ、その金言を守ってきたお蔭か、大きく体調をこわすことはなかった。しかし、やはり高山特有に酸素が薄いせいで、脈拍が突出して上がってしまった。普段は60以下で安定していたが、28日から、つまり鉄道で5,000mを超えた日から100をオーバーした。普段の2倍である。以後北京へ戻ってくるまで、92~112を記録した。明らかに激しい脈拍を示している。この点をPCで作成した血圧チェックシートを持参して、森先生に説明した。

 先生には、西寧で購入した高山病予防薬の漢方薬「紅景天」の空箱を持って行き、服用法についてもお話した。今日の血圧はもう平常値へ戻っており、先生からも大分落ち着いてきましたねと言われた。

 今更ながら、人体というのはかなり環境に左右されるものだと実感として感じている。幸い痔の方も少しずつ落ち着いてきた。

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204.2007年12月4日(火) 清水丈夫さん、ご健在!

 旅行中、前進社、否「現代文化研究所」の「大久保正」氏から書簡をいただいた。長い間消息不明で所在が気になっていたラグビー部の先輩、清水丈夫さんについて、「清水議長は健在で、大いに活躍しております」とお知らせいただいたものだ。長い間まったく足取りすら掴めず、ひょっとするともう亡くなられたのではないかとさえ思っていた知人、友人も多い。ところが最近になってインターネットを通して、偶々清水さんのお名前を見つけてから、もしかすると元気に活躍しておられるのではないかと、期待を抱き楽天的に考えられるようになっていた。それが、清水さんと身近に接触しているらしい「大久保」氏から、清水さんは活動しているとの確かな連絡をいただいた以上、喩えもう同じ目的の下にともに行動することは出来ないにせよ、少なくとも若かったころに一時的に一緒に活動した経緯と懐かしさがあり、かつての清水さんの温かいお人柄も想い、今後は清水さんの活動を遠くから静かに見守っていきたいと考えている。

 それにしても、「大久保」氏の文面を拝読すれば、清水さんは相変わらず勇ましく、組織の先頭に立って活動している様子が窺え、その弛まざる強靭な信念には、ただ恐れ入るばかりである。

 書簡には、週刊「前進」デジタル縮刷版刊行に際して寄せた、革命的共産主義者同盟(略称「革共同」)議長としての清水さんのメーセージも添付されていた。題して「原点から学び、到達地平を確認し、新たな決意で先頭に立つ」というものである。文章は易しく書かれてはいるが、論点は厳しく、とても私ごときには就いていけない。すごいなあと思ってしまう。先月の集会を前に発表されたようだが、先日近所の和田先輩から、11月に前進社に対して公安の家宅捜索があったという話を聞いており、案外この集会情報を得た公安が動いたのではないだろうか。この書簡について、和田さんにもメールでお伝えした。

2007年12月4日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com