充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6310.2024年8月22日(木) 地球沸騰化に無策、郵便料金大幅値上げに異議なし?
このところ天候が不安定で、かつ極端に変化が激しいことがどうも気がかりである。全国的に猛暑と雷雨が混じりあったような気象が続いている。近年の猛暑続きには、皆些かバテ気味である。昨夕の関東各地の天候の急変には、街行く人も大分戸惑っていた。東京都内の区によっては、道路も洪水のようになり大雨警報が発せられた。新幹線も一時的に運休したが、その30分後には回復していた。今日も同じように各地でゲリラ雷雨が暴れまくっていた。
今日南洋上のマリアナ諸島付近で、熱帯性低気圧が台風10号に変わった。いずれ日本列島を襲うことだろう。
この100年間に世界の平均気温は、0.76℃も上がっている。それを上回るのは、何と日本の気温でその2倍近い1.35℃も上がっている。因みに1920年の鹿児島県では、年間平均気温が17.1℃だったものが、100年後の2020年には、19.2℃と平均にして2℃も上昇している。東京都では1920年は14.2℃だったが、100年後には16.5℃となった。
2015年のパリ協定では、世界の平均気温の上昇を1.5℃以内に収めようとした。だが、EUの研究所の発表では、それ以上、つまり工業発達以前に比べて、年平均で1.5℃以上上昇していたことが判明した。今夏の気候は、日本のみならず、世界的にも厳しいものとなりそうだ。この現象が将来的にも続くとすれば、大雨などの気象災害として農作物が育たなくなり、食料問題で厳しい環境に追いやられる。更に、干ばつから飲料水の確保、サンゴの白骨化などに見られる生態系への影響、洪水・暴風雨による海洋沿岸湿地の消失、栄養不良など数多くの問題が発生する。
これらの気象問題、特に地球温暖化について日本としてもこのまま放置しておくわけにはいかない。そうだとすれば、戦争を知らず、憲法改正にまっしぐらの国会議員らにも、一度真剣に地球温暖化を巡る場を設営して、その防止対策について各政党の対策を提案して活発な議論をやってもらいたいものだ。それだけでもメディアの伝え方によっては、国民が広くこの問題に関心を抱くのではないかと思う。
最近私が気にしているのは、今年10月から郵便料金が大幅に値上げされることである。最も基本となる手紙の定期料金とハガキ代が値上げされれば、今でも減りつつある手紙やハガキを書く人が、益々減り、手紙を書かなくなることになる。それは文章を書かなくなるということでもある。このことは、文章力の低下につながる。
例えば、25g以下の定形郵便代が、現在の84円から110円に、ハガキ代が63円から84円に値上げされるそうだから、ほぼ30%の大幅な値上げをしようというのである。日本郵政㈱という独占企業の言いなりに、こんな強引な値上げが許されても良いものだろうか。文章力を低下させ、出版業界を苦しめるこんな無謀な値上げを、メディアは追求せずに、見逃しても良いものだろうか。
6309.2024年8月21日(水) 麻布台ヒルズ内で人間ドック検査を受ける。
1日に受診する予定だった人間ドック検査を、コロナ感染により今日に伸ばして慶應病院予防医療センターへ出かけた。人間ドックは、今年13年目を迎えた。80歳を超えてから付き添いが必要とされ、今日も妻を伴って出かけた。昨年11月にそれまで信濃町慶應病院の背後のビル内にあった予防医療センターが麻布台ヒルズ内へ移転したので、今日初めて麻布台ヒルズへ出かけた。。
スタッフの丁重な対応などは今までと変わらないが、待合室の雰囲気などは目新しさもあってやや落ち着かず、慣れ親しんだ昨年までの信濃町の方が少し気が休まる雰囲気だったと思う。例年通り一通りの検査をしてもらい、幸い大きな症状や、問題はなかった。敢えて言えば、口から管を流し込む食道、十二指腸、胃のやや苦痛の内視鏡検査の結果、それらは問題なかった。ただ、その傍に3年前に除去した腸のポリープ箇所に少し大きくなりそうなポリープが見つかったので、最後の総合的面談の際、それについて担当の医師と相談のうえ、秋口に信濃町の病院で手術してもらうことに決めた。
人間ドックは、費用もやや高額であるが、事前に病根を見つけ除去することが出来るのが大きなメリットで、これまでもそれが理由で検査を受けて来た。年齢とともに人間ドック検査で毎年のように新たな病根を発見することが出来ている。面倒ではあるが、そのせいで手遅れにならずに済んでいると思っている。3年前には胃にポリープ、昨年は心臓不整脈が見つかった。今年も腸に成長しそうなポリープが見つかった。
今日は、麻布台ヒルズという現代風にあか抜けた外部の人が多く集まるビル内を、人間ドックの帰りにでもぶらついてみようと思っていた。大手企業や多くの若者らから待望されていたビルが、本当にオープンした昨年はびっくりした。実は森ビルの創業者森泰吉郎の次男の森稔・2代目社長は、東京都心部に胃衣・食・住・文化をまとめた職住近接型の総合的街づくりを計画、建築してきた。森稔氏は2012年に急逝されたが、実は高校の4年先輩で、ノーベル化学賞を受賞した根岸英一博士と同級生だった。東京に職住のある母校同窓会を六本木ヒルズで毎年開いていた。ある時、森氏はこの近くに総合高層ビルを計画していると話されたが、その土地を見下ろすと住宅がぎっしり押し詰まっていた。その時は、とても無理だろうと友人と話し合ったが、その住宅群が転居した跡地へこの麻布台ヒルズを見事に建設したのである。今や故人となられてしまったが、その有言実行型の計画と実行力には敬服している。何とか日を改めて、近い内にゆっくり麻布台ヒルズを訪れて見たい。
さて、このところ北関東、東北地方を中心に荒れた天候であるが、同時に猛暑も伴っている。暑いと思ったら、急に雷雨が訪れて土砂降りとなる。栃木、群馬県と埼玉県には、激しい雨が降ることが多いが、東京はこれまであまり降らなかった。ところが、昨夜一時的に集中豪雨のような激しい雨が降って、漸く東京にも雨がやってきたかとホッとしていたところ、ほんの30分程度で上がってしまった。そして、今日の天候は晴れかとの予報だった。麻布台ヒルズにいる間は、晴れ渡っていた。ヒルズのガラス窓から地面の緑を見下ろすと家族連れなどが、自由に行き交っていた。我々もタクシーで帰宅したところ、突然雨が降り出し、一時的だろうと思ったら、夜になってそれが都内いくつかの区内に大雨警報が発せられるほど、激しい雨が降って来た。
今後の予報を見ると、マリアナ諸島周辺に熱帯低気圧が発生し、それが明後日には台風に発展し、いずれ日本列島を襲うようだ。超然とした自然現象には、現代人は手の打ちようがなく、ただ茫然とするだけだ。
6308.2024年8月20日(火) 残忍な戦争なんて考えたくもない。
昨日未明靖国神社正面入り口の石柱と土台に、また何者かに塗料で落書きされていた。「靖国神社」の表札看板に、トイレットのような下卑た中国語が書かれていた。今年5月にも同じように落書きがされて書いた中国人の若者が逮捕されている。この行為は断じて許されるものではないが、中国人をそのような行為に仕向けさせたのは、終戦記念日に靖国神社へ参拝した複数の保守派国会議員にも責任がある。彼らが神社に参拝し、満州国侵略に始まる太平洋戦争に積極的に関わっていたA級戦犯に対して、国のために尊い生命を犠牲にされた故人に哀悼の誠を捧げ、尊崇の念を表したといつもながら戦犯を賛美する行動を取ったことである。このような行為は、日本人のみならず、海外、特に旧日本軍に侵略され、残虐な行為をされた人々が快く思う筈はない。メディアは靖国神社へ参拝する国会議員の行為だけを批判的に報道しているが、それがこのような破廉恥で礼を失した行為にもつながった議員らの行動についても、非難すべきは非難しなければいけないと思う。
若干拘り過ぎかも知れないが、昨日のサイパン玉砕のブログに続いて、反戦的な立場から私の過去の経験も併せ、つい似たり寄ったりの延長戦のような文を綴ってしまう。
戦後79年が経過して、家族を失った遺族の数は年々減り、15日に行われた「全国戦没者追悼式」に出席された遺族も、戦後生まれがほぼ半分の47.1%にまで減少してしまった。旧軍人に支給される軍人恩給の受給者の数も減少し、今年3月時点で1,093人となったが、これは前年より788人も減って急速に受給者が少なくなっている。1年で40%以上も減少したことになる。如何に旧軍人が残り少なくなっているかということが察せられる。近い将来にはいずれもゼロとなる。
もうひとつ気がかりなのは、近年戦没者の遺骨収集があまり進まないことである。これは相手国の事情もあるので、止むを得ない面もあるが、かつては収骨数が多かったのに極端に減ったとか、ゼロになった戦跡地もある。この最大の原因には、遺族の数が減少していることと、相手国の事情が影響している。
例えば、日本人戦没者収骨数はビスマルク・ソロモン諸島における収骨が一番多かった。次いで、旧ソ連領内である。しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって日ロ外交関係が悪化するや、ロシア政府がロシア国内における遺骨収集を承認しなくなった。
2021年12月現在、海外における日本人戦没者概数は、約240万柱、収骨数はほぼ半数の約128万柱と言われている。未収容遺骨約112万柱のうち、最大に見積もっても収容できるのは、約59万柱で、残り23万柱は相手国の事情により収容困難と見られている。更に海没した遺骨が約30万柱あるとされ、今後収骨の可能性のある遺骨はかなり限られる。
遺骨収集をこれまで支えてきたのは、遺族の強い要望だった。前記のようにその遺族が年々減っていることからも今後の遺骨取集は難しくなるだろう。深い悲しみの中で長年家族の戦死に耐えてきた遺族の気持ちを考えると、どうやったら戦後処理に方が付くのか分からない。その中で防衛予算を倍増してはしゃいでいる国会議員の無神経な戦争志向は、とても許せるものではない。
今日テレビに出演した、自民党総裁選へ出馬を表明した小林鷹之・前経済安全保障担当相が、憲法改定で喫緊の課題は、緊急事態条項と自衛隊を明記することだといきなり言い出した。こういう戦争を知らない若い好戦的な国会議員が、得意になって自説を主張することが恐ろしい。日本は間違いなく戦争へ向かってひたひたと進んでいる。
6307.2024年8月19日(月) サイパン玉砕のドキュメントに驚愕と感銘
漸くお盆休みも終わった。相変わらずの猛暑にうんざりであるが、立秋を過ぎたことでもあり、ひたすら涼しい秋の訪れを待っているところである。
終戦から79年が経過した。今年は例年より太平洋戦争に関する報道が多かったように思っている。特にNHKテレビでは、終戦記念日を過ぎても連日のように、開戦の原因や敗戦に至る経緯をドキュメンタリー編集にして放映したので、つい関心をそそられ、いくつかの番組を考えながら鑑賞した。中でも昨夜放映された「“最後の1人を殺すまで”~サイパン戦 発掘・米軍録音記録~」は、米軍の映像を基にして編集されたもので、玉砕のサイパン島は何度も訪れて知っているだけに、最後まで目が離せなかった。
サイパン島へは、旧厚生省による「太平洋戦争戦没者遺骨収集団」に1970年代から20余年間同行して、毎年1か月近くサイパンに滞在して団長だった厚生省課長の小間使いのようなことをしていたから、特別印象深く感じた。画像には、昔サイパンの繁華街だったガラパンの風景も観られ、特に懐かしく感じた。
実は、小学生のころ、母が親しかった近所のおばさんのご主人がサイパン玉砕で亡くなったと聞いて、サイパンという島が頭の中にこびりついていた。
米軍第4海兵師団25連隊が、サイパン島へ攻撃を仕掛けたのは、昭和19年6月15日だった。この最初の米軍上陸戦で、日本兵4万8千人のうち、2万5千人近くが戦死した。その他に現地人のチャモロ族5千人が亡くなった。6月27日には、南部アスリート飛行場周辺へ陸軍独立歩兵第317大隊120人の特攻的日本兵が「バンザイ攻撃」を仕掛け、指揮した佐々木巳代太大尉は、「天皇のため、お国のため、最後の総攻撃だ!生きて帰ったらダメだ!大声を上げて突っ込め!」と激を飛ばした。これには、米兵もびっくりして日本人は狂信的で、文明的なことは通用しないと驚いたようだ。日本軍高官の佐藤賢了・軍務局長は、「1人たりとも生きてはいけない。女子供も玉砕してもらいたい」と全員玉砕を命じた。7月7日、日本兵をサイパン島北部のマッピ岬へ追い詰めた米軍は、最後の総攻撃を敢行し、日本兵3千人が戦死、自決して玉砕した。さしものサイパン攻撃も終焉となった。このサイパン玉砕戦の死者の数は、日本兵4万1千人、日本人住民1万人、先住民1千人という惨劇だったが、米兵は3千人だった。最後には、米軍も「最後の1人を殺すまで戦い続ける」と言っていたが、7月9日米軍はサイパン占領を宣言した。こうして悲惨な戦闘は終結した。
この戦闘に参加した元日本兵、及び米軍兵もあまりの惨状に言葉がなく、インタビューされて涙を流しているばかりだった。戦争の惨さを徹底的に追求し、その悲惨さをアピールしていた。
遺骨収集では、広島、長崎へ原爆を投下したB-29 爆撃機が飛び立った飛行場のあるテニアン島から、そこで収骨された遺骨を積み、遺骨とともに上陸用舟艇でサイパンへ帰って来たこともあった。収骨事業の最後に、北マリアナ諸島から広く収骨されたお骨を荼毘に臥す焼骨式がサイパンで行われたが、立ち上る煙を見て、遺族の方々が涙を流しておられた悲しい姿が強く印象に残っている。
終戦記念日が近づくと毎年決まって戦友やご遺族の方々とご一緒した戦跡慰霊団の記憶も蘇って来る。何度でも繰り返すが、どんなことがあっても戦争は誰にとっても悲しい事実と記録の集合体で、それ故に絶対にやってはいけない、この世の地獄である。戦争を知らない国会議員には、そういう当然のことが分かっているだろうか。
6306.2024年8月18日(日) 東南アジアにおける首相交代の背景
去る14日岸田首相が、来月行われる自民党総裁選に出馬しないことを公表した。岸田政権の支持率は一向に上がらず、本人は精一杯任務に励んでいると思い不本意な思いであろう。だが、いくら動き回っても支持率は上がらず、辞めるのもこの辺が潮時だろうと思う。致命的だったのは、昨年自民党派閥の裏金問題が公になって、根底に派閥問題があったことである。麻生派を除き、岸田首相も派閥を解消したが、党員へ党員資格の剥奪や、離党勧告などの制裁を課していながら、自らへの責任は問わず、また旧統一教会問題の対応もうやむやのままである。それがどういう風の吹き回しか、不出馬発言の中で裏金問題の責任を取るとの発言があったが、あまりにも遅すぎる。少々ピントがずれている印象を与えた。
いずれこの時が来るだろうと思いながらも、虚を突かれた次の総裁を狙っていた面々も内心慌てているようだ。まだ、正式に出馬宣言をする議員は分からないが、メディア報道によれば、出馬意欲のある議員は現状で11人だという。過去の総裁選では、出馬したのは5人が最多であり、残り1か月でどういう経緯を辿り、誰が次の総裁に選出されるか興味深い。
さて、先日バングラデッシュで大きなデモが起き、多くの死傷者を出す事態となり、長年絶大の権力を行使していたシェイク・ハシナ前首相が、国外脱出してノーベル平和賞受賞者のモハマド・ユヌス氏が首席顧問として暫定政権を管理しているが、90日以内に首相選出のための総選挙を実施し、新しい首相を選任する。バングラデッシュの政治がどうなるか懸念はあるが、バングラデッシュ以上に今後の政局運営が気になるのが、タイである。
タイでは、14日憲法裁判所がセター首相に対して即時解任を命じる判決を下した翌々日、議会で新たな首相を決める投票が行われ、最大与党「タイ貢献党」党首でありタクシン元首相の次女ペートンタン氏が選出された。新首相はまだ37歳で歴代最年少であり、如何に英才と言えども、複雑な要因が政治を混乱させている国内政治を安定させることが出来るだろうか、指導力と政治力が問われる。タクシン元首相家系では4人目の首相になる。インラック元首相の姪でもある。タイ国内には政治的な不安定要因があり、軍がかなり政治に影響力を持つだけに、いかに英才であろうとも政局運営は難しいと思われる。10年前のクーデター以降、タイでは軍に近い政権が続いていた。漸く昨年の総選挙で、幅広い階層から支持を集めた民主派政党「前進党」が予想を覆して第1党に躍進した。ところが、王室への不敬罪の改正や、軍の影響力の排除などを主張する前進党に対して保守党が反発し、前進党は連立政権の枠組みから外れ野党に転じた。こういう政治的混乱の中で、海外亡命生活を送っていたタクシン元首相が15年ぶりに帰国してタクシン派の「タイ貢献党」と行動をともにし、次女を同党党首に抜擢したのである。すべて父親の敷くレールの上を歩いてトップの座に就いたものであり、その政治的力は未知数である。なぜか再び大きな政治的転換の局面が現れるような気がしてならない。初めて出かけた海外旅行先がタイで、その時のタイの人びとの優しさに触れたことが、タイに心を惹かれるようになった理由である。どうも気になるこれからのタイ国内の政治的不安定さである。