充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6569.2025年5月8日(木) 沖縄戦を知らず軽薄な発言をする世襲議員
ロシアが今日から身勝手にも一方的な3日停戦に入った。一方のウクライナは直前にロシアが首都キーフに大規模攻撃を仕掛け、3日間の間に次の戦略の準備を進めるということから、ロシアの芝居がかったパフォーマンスであると反発し、以前から求めている無条件で30日間の停戦に応じるよう要求している。
こうしてウクライナ戦争は一向に止む気配がなく、アラブではイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区攻撃も継続的に行われ、戦火が絶えることがない。
そんな時に、不意にカシミール地方で新たな戦火が口火を切った。インド軍がカシミール地方のパキスタン側が実行支配するパキスタン・イスラム過激派組織の拠点9カ所にミサイル攻撃を仕掛け、26人が死亡し、46人が負傷した。パキスタン軍は、直ちに報復すると表明した。
元々このカシミール地区というのはややこしくて、インドとパキスタンのいずれもが領有権を主張し、インド実効支配地とパキスタン実効支配地、更に中国までも北東部の領有権を主張している有様である。インド人とパキスタン人は同じ民族でありながら、お互いの信仰する宗教がインドのヒンドゥ教とパキスタンのイスラム教で、主導権争いの様相を呈している。世界中が懸念しているのは、インド、パキスタン両国ともに核保有国であり、どちらかが核を使用するようなことになれば、核戦争が起き、それは世界中を恐怖の坩堝に追い込む恐れがある。このイ・パの衝突に懸念を示し、旧宗主国イギリスのスターマー首相、中国政府、トランプ大統領らが両国間の話し合いを求めているが、どうも片手間でそれほど真剣な要望には思えず、そんなに効果のあるようには思えない。
一方国内では政治的なもめごとは最近あまり聞かないが、こんな理不尽なことがあった。3日に沖縄県那覇市内で開かれた「ひめゆりの塔」に関するシンポジウムの後に登壇した自民党西田昌司・参議院議員が、展示内容が「日本軍が入って来て、ひめゆりの隊員が死ぬことになった。そしてアメリカ軍が入ってきて沖縄が解放されたという文脈で書いている。歴史を書き換えるとこういうことになる」と不謹慎な発言をしたことについて、玉城デニー知事をはじめ、自民党県連幹事長ら県民から事実誤認も甚だしいと反発を招いている。このシンポジウムは沖縄県神社庁、神道政治連盟県本部、日本会議県本部に、自民党県連が共催したものである。
「ひめゆりの塔」については、映画も制作され評判になった。津島恵子、香川京子、藤田進、岡田英次ら名優が出演し、1953年度売上1位になったヒット作品である。広く国民に同情と哀愁の気持ちを抱かせた名作で私も鑑賞した。沖縄女子師範らの女子学生たちが犠牲になった沖縄の悲劇を具体的に描写したもので、これを今更西田議員ひとりだけの思い込みで、証拠もなく「事実が曲げられた」とか、「歴史の書き換え」とか言いがかりを言うのは、戦後生まれでまったく戦争体験のない世襲議員だからだと思う。西田議員は浅はかにも裏金問題疑惑のマイナスを補って、今夏の参議院選で極右選挙民の支持により自民党候補者の立場を有利にしようとの目算でもあるのだろうか。
厳しい批判を受けた西田議員は、発言を撤回する気持ちはないと強気に語ったが、沖縄振興調査会長を務める小渕優子・自民党組織運動本部長は大変残念な発言だと述べた。だが、発言の撤回についてまでは言及しなかった。しかし、各党の幹事長クラスからは、尊厳を踏みにじるもので断じて容認できないと厳しい非難の声が上がっている。それにしてもどうして戦争を知らない愚かな国会議員は、「ひめゆりの塔」の悲劇的な犠牲者を揶揄するようなことを軽々に口走るのだろうか。
6568.2025年5月7日(水) ドイツ首相とローマ教皇の異質な選出方法
今のアメリカを見ても分かるように保守・右翼化思想及び現象が世界的に広がりつつある。昨日ドイツの連邦議会で首相選出のための議会投票が行われた。些か意外だったのは、当然選出されるだろうと予想していた中道右派「キリスト教民主・社会同盟」党首のフリードリヒ・メルツ氏が、過半数に届かず首相に選出されなかったことである。こんなことはドイツ議会にとって初めてのことである。そして、5時間半の中断の後に実施された2度目の投票でメルツ氏は何とか過半数を獲得し、首相に選出されることになった。メルツ氏が所属する「キリスト教民主・社会同盟」だけでは、過半数に達せず、極右政党「ドイツのための選択肢」とタイアップして選挙に臨んだ。しかし、両党内に不満分子がいて過半数に6票だけ不足した。2度目の投票で何とか1回目で棄権票を行使した議員が賛成票に転じ、一応新政権が発足することになった。メルツ氏もやゝ求心力が低下して今後の政権運営は、中々厳しいものになることだろう。特に、難しいのは、移民・難民政策である。フランスやイギリスなどに比べて、これまで穏やかな移民政策を取り移民を受け入れて来たドイツでは、近年移民問題が大きなネックとなっている。メルケル元首相、シュルツ前首相はともに移民の受け入れに前向きだった。今ドイツのデモ風景などを観ていると、右翼というより最早ナチ化の空気が感じられるほど右翼傾向が見える。ヒットラーのネオ・ナチが復活しなければ好いがと願う。
今ヨーロッパでも右翼化の勢いが強く、フランスのマクロン大統領もかなり警戒している。トランプ大統領に引っ張られるように保守的ムードが蔓延るのだけは、勘弁してもらいたいものである。
さて、政治とは全く別の事象であるが、今世界中、特にカトリック教徒の間で強い関心を呼んでいる問題がある。世界で14億人もの信者がいるカトリック教徒の頂点に立つローマ・カトリック教会の教皇を選ぶ、「コンクラーベ」である。今日からミケランジェロのフレスコ画「最後の審判」で知られるバチカンのシスティーナ礼拝堂で始まる。何度も訪れて見惚れていた素晴らしい礼拝堂内部である。何とも舞台仕掛けは、歴史的にも文化的にも最高の場で行われる。どうも政治の世界とは異なり、一部の人びとが秘密裏に最高権威者を選ぼうとする、他に例がない選挙であり、報道陣はもとより外部の人との接触も一切拒絶して密室で行われる。教皇に次ぐ聖職者である枢機卿の内、80歳未満の枢機卿による互選で決まる。この「コンクラーベ」と言う言葉が、日本語の「根競べ」を想像させて日本人にとっては、まさに「根競べ」のように競って教皇を選出するシステムが興味深い。原語は「鍵をかけて」と言うラテン語に由来するという。13世紀には権力闘争も絡み、教皇が3年間も決まらなかった時に、枢機卿らを会議場に鍵をかけて閉じ込め、早く決めるよう促したことから生まれた言葉である。選挙とはいえカトリックのトップである教皇を選出する儀式のようなものである。
今回の「コンクラーベ」では、133人の枢機卿が投票する予定であるが、教皇に選出されるためには、2/3以上の89票が必要とされ、早くても3日はかかるようだ。教皇が決まり選出されると礼拝堂の煙突から白い煙が出ると同時に、サンピエトロ大聖堂の鐘も鳴ることになっている。
かのトランプ大統領も教皇になりたいのか、教皇の衣装を纏った自らの肖像画をSNSに投じたが、こればかりは世界中から非難の声が上がり物議を醸している。果たしていつ、どんな枢機卿が新教皇に選ばれるのだろうか。
6567.2025年5月6日(火) 戦後80年、戦没者のご遺骨未だ帰らず
先月26日から始まった長いゴールデン・ウィークも今日が最終日である。今日は朝から雨模様で、一昨日から長男が我が家に泊まっていたが、今朝雨の中を奈良へ帰って行った。昨日は横浜に住んでいる次男家族4人とともに近所の洒落たイタリアン・レストランでディナーをともにして、久しぶりにラグビーに熱中している中学3年生の孫ともラグビー話で打ち解けることが出来た。
さて、今年は終戦後80年という節目の年でもあり、戦争に関する記念行事や、戦没者の慰霊、或いは未帰還のご遺骨収容などに関して、多くの情報が話題に上がる。今日の朝刊で中部太平洋のペリリュー島の遺骨収集の話が一歩進んだと知った。すでに集団埋葬地が見つかったとの情報は、昨年水落日本遺族会会長から聞いて承知していた。そこへこの連休に福岡資麿・厚生労働大臣がペリリュー島のあるパラオ共和国政府を訪れ、遺骨収集が出来るようパラオ政府担当大臣に協力を要請して受け入れてもらい、2027年度に実施されることに決まったようだ。
パラオ共和国のペリリュー島へは新しい首都マルキョクのあるパラオ本島からかなりの距離があり、しかも海は平素からかなり高波があって収容したご遺骨を運ぶのは中々の苦労を強いられると思う。ペリリュー島の南のアンガウル島も玉砕の島として知られるが、この両島間が大分荒れ狂う。今度の遺骨収集団ではアンガウル島の遺骨収容は考えられていないようだ。半世紀ばかり以前にペリリュー島を訪れ、モーターボートでアンガウル島を目指した際に、随分荒波に悩まされ思うように前へ進めなかった。アンガウル島岸壁で当時のエンドー村長さんが、出迎えに来られながらも、これから海が大分荒れそうなので、直ぐ戻った方が安全だとジェスチャーで合図を送ってくれ、止むを得ず引き返したことがある。
それにしても太平洋戦争激戦の地として知られるこのペリリュー島では、1万人以上の旧日本軍兵士が戦死されたとされている。他方、アメリカ兵も1,600~1,700人が命を落としたと言われている。海底に沈んだままで収容が難しいご遺骨は今回対象にはなっていないが、2,400人分のご遺骨が集団埋葬地に眠っている。
私はサラリーマン時代にこの戦没者遺骨収集事業に長年関わっていたので、他の地域と合わせて随分実務に携わって来た。特に中部太平洋地区の遺骨収集団に関しては、当時の厚生省より一括取り扱いを任せられていたので、下見を含めて多くの戦没地を訪れた。
太平洋戦争の海外における戦没者の数は、約240万人と言われている。最も犠牲者が多かったのは、中国大陸の71万1千人で、次いでフィリピンの51万8千人、それに次いでペリリュー島を含む中部太平洋と東部ニューギニアのそれぞれ24万7千人である。こればかりは相手国側の事情もあり、必ずしも犠牲者の数が多い国が、収骨数が多いかと言えばそうではない。事実未収骨数の多いのは、1番にフィリピンである。36.9万柱が未だに収骨されていない。戦没者の71%余のご遺骨が収容されていないことになる。それに次いで中部太平洋の70%の未収骨が多い。
あの残酷な戦争があったことは日本人として決して忘れてはいけないことであるが、今の政治家らが、しばしば忘れてしまったような言動をとることを知って情けなくなり、絶望的になることもある。現地で遺骨収集作業に携わっていると焼骨の際に遺族が流す涙と立ち上る煙を見ていると涙腺が緩むのは如何ともしようがない。中部太平洋地域の遺骨収集事業では、各島で収骨されたご遺骨を最後に厚生省遺骨収集団本部のあるサイパン島で焼骨する焼骨式を行う。焼かれるご遺骨の周囲を取り巻いた団員やご遺族が静かに見守る中で、煙が立ち上がり蝶々が何匹か飛んで来て煙の中をかいくぐり煙とともに飛び去って行く蝶々を見てご遺族が、お父さんもやっと安心して冥界へ旅立ったというセリフを聞いて、涙がこぼれたことが思い出される。
海外での戦没者240万人の内、戦後80年が経った今でも半数近い47%112万人のご遺骨がご遺族の元に帰ってきていない。すべてが収骨されることは難しいだろうが、おひとりでも多くのご遺骨が母国のご遺族の元へ帰還されるよう祈っている。
6566.2025年5月5日(月) 外国人に愛される日本人の国民性と風土
「子どもの日」である。少子化現象で近年子どもの数が減りつつあり、その対応のひとつとして、子どもへの教育費支援などいろいろ施策を試みており、昔に比べて保護者は支出面で大分助かっていると思う。「子どもの日」の象徴的な習慣として伝統的な鯉のぼりがあり、今でも沢山の鯉が1本のロープに繋がれた鯉のぼりが、上空に飾られたりして五月の風物詩ともなっている。私たちの終戦直後の子どものころは「子どもの日」とは呼ばずに「端午の節句」と呼んで、目についた鯉のぼりは警察署や町役場などの敷地にはためいていたくらいの記憶しかない。
総務省の発表によると、15歳未満の子どもは昨年より35万人も減って1,366万人となった。44年連続で減少し続け、初めて14百万人を割った。子どもの数は1950年には3千万人近い2,943万人だったが、それから46%にまで減った。人口4千万人以上の国で、子どもの割合が最も低いのは、韓国10.8%で、次いで日本の11.1%である。日本では子どもがいなくなりつつあるのである。将来の日本を考えると大変厳しいものがあると考えざるを得ない。
「子どもの日」について今朝の朝日「天声人語」のエピソードに、日本では昔から子どもが愛されているという外国人の声があるという。「世界中で日本ほど子どもが親切にあつかわれ、子どものために多大な注意が払われる国はほかにない」と「日本は子どもたちの天国である」とまで述べている、明治の初めに日本を訪れ、大森の貝塚を発見したエドワード・モースである。それほど外国人には好意的にみられていたが、今では子どもの自殺が過去最多となるほどで、9人に1人の子が貧困に喘いでいるという。
ところで、近年日本を訪れる観光客、いわゆるインバウンド業が急成長して日本の財政に大きく貢献していることは周知のことである。その中で格別注目されるようになったのは、何とロシア人の訪日客が増えたことである。ウクライナ侵攻後、ヨーロッパなどではロシア人に対して厳しい軽蔑的な視線が向けられ、あまり歓迎されなくなったが、戦争とは無関係に心から歓迎してくれる日本へ、異質な日本の文化への関心もあってロシア人が急激に増え始めた。日本へ観光し易くなったのは、ビザの申請要件が緩和されたことや、日ロ間の直行便が停止されたが、中国経由で安い航空券が入手できるようになったことが効果的なようだ。ロシア人の訪日客が急激に増え、今年3月は1か月間で過去最多の18,800人にまで増えた。仮にこの好調が1年間続いたとすると1年間で225,600人の訪日が予想されるが、2年前の2023年の各国からの訪日客数、韓国695万人、台湾420万人、中国245万人、香港211万人、アメリカ204万人に比べてもまだ遠く及ばない。これとは別に、実はこの単年度の数字では分らない意外な事実がある。それは、2019年、コロナ渦が急速に拡大した年である。その発生の地とも言われた中国では、厳しく海外渡航を制限した。その結果、19年には中国人訪日客数が959万人もいたが、翌20年には対前年▲88.9%の107万人に減少し、更に翌々年21年には、僅か4万2千人にまで激減した現実がある。観光はその時のいろいろな政治的、社会的現象によって大きく変わるものである。これまで日本への観光客が少なかったロシアから少しずつ訪日客が増えているのは歓迎すべき現象である。しかし、いつ好条件が一転するかも知れず、予断は許されない。精々好景気の時に、精一杯の努力でインバウンドに全力を尽くすことが大切であろう。
果たして10年後の日本には、どのような外国人観光客分布図が描かれるだろうか。
6565.2025年5月4日(日) 世界中を悩ませる害虫・トランプ大統領
先月末から再びウォーキングを始めた。昨年7月にコロナを発症して医師と相談のうえ、しばらくウォーキングを停止した。先日医師からまたウォーキングを再開した方が良いとのアドバイスをいただいた。そしてこのGWの間も自宅近辺の住宅街を歩いているが、ひょんなことに気づいた。所謂古くから固定の祭日となっている4月29日「昭和の日」と昨日「憲法記念日」に歩いてみて、国旗「日の丸」を竿に掲げている住宅がほとんど見当たらないことである。たった2軒だけだった。かく申す我が家でも、国旗を掲げていない。あまり国旗と国の祭日に関連性を気に留めない風潮になってしまったのだろう。
ついては、このところトランプ大統領が就任してからのアメリカと日本の外交関係が、あまりスムーズではないような気がしている。日本側にも些か腰が引けて日の丸を掲げて毅然と正論を戦わせる気概が見られない。アメリカ側にも、常識人としてのトランプ大統領の言動に大きな疑問符がいくつも付きだしている。自分の利益、名誉のためには他人を誹謗中傷することはごく当たり前の人物が、自国アメリカは世界最大の資本主義国で、民主主義国だと自慢している。その煽りを受けて外交、経済面でとばっちりを受けている国が多い。つい最近は、大統領就任後100日にして、第2次世界大戦以降最低の支持率に落ち込んだ。しかし、ご本人はそれらはすべてフェイクであり、自分は最も実績を上げたと自画自賛している有様である。好き勝手に閣僚人事を決めたり、国内名門大学への嫌がらせのような助成金停止や、子どものようにローマ法王の服装を纏った写真を散布したり、閣僚人事をはじめ周囲の取り巻きをイエスマンで固めている。そのトランプ政権と話し合うのは中々難しいが、最近の関税問題で日米交渉をみていると相手国の立場を考えた正当な交渉をしないで、自分のためとアメリカの歪んだ国益のために派手に動き回っているだけである。
2回目の日米関税交渉を済ませた赤澤経済再生相が帰国したが、予想通りアメリカには最初から日本の要求を取り込もうとの気持ちはまるでなかったようで、日本にとって何もプラスになるような結果とはならなかったようだ。赤澤大臣も日本の立場をきちんと主張する機会を与えてもらえなかったようで、交渉役としては荷が重かったような印象を受けている。
会合から帰った赤澤大臣と石破首相が話し合ったが、アメリカが対日交渉では、関税25%の鉄鋼・アルミ・自動車については交渉対象外としているが、日本は自動車への追加関税を見直すよう求めている。互いに、引く気はないようで、このままでは交渉が暗礁に乗り上げるのは必至である。
アメリカはトランプ大統領の実績を上げたとの功名心を満足させるために、これまで真面だった貿易にアメリカにとってハンデだと思う点を補い、ただ一方的にアメリカにとって有利な関税税率を押し付けようとしている。今日のアメリカは、大統領1人が身勝手に多くの国を悩ませる困った国になってしまった。