ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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5908.2023年7月17日(月) 中国国歌作曲家とN響チェリスト

 今日は3連休の最終日である。北陸、東北地方、特に秋田県では豪雨により雄物川が氾濫し、家屋への床上浸水など大きな被害が出ている。太平洋沿岸は幸いにして大雨はないが、反面猛暑が押し寄せ、各地で熱中症対策に大わらわのようである。東京都内の最高気温は36.2℃で、世田谷区でも35℃の猛暑日となった。明日も暑さは一層増しそうで、環境省と気象庁は早々に東京、愛知、大阪など21都府県に対して熱中症警戒アラートを発表した。

 そんなわけで、毎日夕方陽が落ちる6時過ぎに出かけるウォーキングも、昨日は大分汗をかきシャツも大分湿ったので、反って身体に良くないと考え、今日は蒸し暑さを考えて日課であるウォーキングを中止することにした。

 今日この暑い「海の日」にテレビは各地の海水浴の様子を映していた。しばしば紹介される江の島の片瀬東浜海岸の浜辺では、大勢の海水浴客が真っ青な空の下で存分に楽しんでいる様子が観られ懐かしく想った。東浜海岸から江の島へ渡る橋をまたいで西浜から鵠沼海岸では、高校生のころは夏休みに入るとほとんど連日のように泳いでいた。そして鵠沼海岸から茅ヶ崎方面へ向かった外れに小さな公園らしき広場に聶耳(ニエアル)記念碑が立っている。あまり人が立ち寄るような場所でもないので、地元の友人の中でもこの存在を知っている人はそう多くはないようだ。地味な石碑であるが、その揮毫は、著名な政治家であり、歴史学者でもあった郭沫若によって「聶耳終焉の地」と書かれている。この聶耳こそ現在の中国国歌「義勇軍行進曲」を戦前に作曲した英才だった。僅か23歳の若さで私が生まれる前の1935年にこの鵠沼海岸で遊泳中に溺れ死んだ。聶耳の出身地・昆明市と藤沢市は、葉山峻・元藤沢市長が在任当時の1981年に友好都市の協定を提携して以来今日に及んでいる。今でも藤沢市消防団音楽隊は、この中国国歌を定期的に演奏することがあるらしい。

 さて、昨晩NHKの「クラシック音楽館」で、5月に開催されたNHK交響楽団定期公演会が放映された。昨年からN響常任指揮者に就任したイタリア人のファビオ・ルイージ指揮の下に、私の最も好きなクラシック曲、ベートーベンの交響曲第6番♪田園♪を演奏してくれ、久しぶりに40分間じっくりこの名曲を聞き入ることが出来た。

 意外だったのは、この演奏会をテレビで観ていてオーケストラの中にチェリストの藤森亮一氏の姿を目にしたことである。実は、9年前に京都市立上桂中学校(現桂中学校)の卒業60周年同窓会が京都市内のホテルで開かれ、出席した折に女子同級生から子息がN響でチェロを弾いているとその名前を聞いた。早速現在アマチュア・オーケストラでチェリストとして活動している大学ゼミの友人に尋ねてみたところ、藤森氏はN響で首席チェリストとして活躍していると聞き、以後N響の演奏の都度気にかけていた。しかし、いつごろからかオーケストラからその姿が見えなくなった。多分定年とか、個人的な事情などでN響から身を退いたのではないかと思っていた。ところが現在複数の音楽大学で教授として学生を指導しながら、再びN響で首席チェリストとして活躍しているようだ。昨晩久しぶりに首席チェリストとして演奏をしているその姿を観ることが出来た。まだ60歳だそうだから、これからも藤森チェリストの名演奏を聴けるのではないかと期待している。

2023年7月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5907.2023年7月16日(日) 夏祭りシーズンに際し安全面の配慮を

 昨日辺りから梅雨前線が日本海沿いに北上して北陸地方や秋田県では、豪雨による大きな被害が出ている。その反面関東方面では朝から空は真っ青で暑く、今日東京の最高気温は34.7℃だった。

 一方、この豪雨は日本だけに留まらず、お隣の韓国でも記録的な大雨により崖崩れや冠水が相次ぎ、地下道の浸水などで33人が死亡し、10人が行方不明だそうである。豪雨をもたらす一方で、猛暑が襲う近頃の気象には、聊か手の施しようがない。これも地球温暖化のなせる業であろう。年々地球上の気温は上がっており、このままいくと人間が生きていくには、地球は遠からず厳しい惑星になるのではないだろうか。

 この炎天下に日本各地では恒例の夏祭りの季節がやってきた。各地で古来のお祭りが何年ぶりかで復活した。小学生時代に房州の勝山町(現鋸南町)で毎年七夕ごろに行われていたお祭りは、今思い出しても楽しかった。数日前から町のあちこちで太鼓の音が聞こえてきて、お祭りに入ると道路の両側はお土産屋が並び、お小遣いをもらって友だちとぶらついた思い出がある。祭り本番には、地区ごとのお神輿と屋台が町内を練り歩いたものだ。まだ終戦後間もなく普段からあまり派手な行事がない時代だっただけに、それは賑やかで思い出深いものだった。

 昨日から3日間京都では、日本3大祭りの祇園祭が行われている。5年前に妻と高齢者用のツアーに参加し、山車にも上った。また、その一方で九州博多では伝統の夏祭の「博多祇園山笠」が開催されたが、昨日不幸にも死亡事故が発生した。山車の担ぎ手が、転んだ上に挽き山車に挽かれたという。他にも山笠に乗る「台上がり」の2人が山車の傾いた時に落下して負傷した。日本古来のお祭りは威勢が良く、元気づけられるが、時には危ないと感ずる時がある。原因を徹底的に究明して、不幸な事故を2度と起こさないよう気を引き締めてもらいたいものである。

 中でも毎年9月と10月に行われる大阪の岸和田だんじり祭りは、テレビ・ニュースなどで放映されるが、前々から危ないなと思っていたお祭りである。実際には、だんじり祭りは、岸和田市だけではなく、関西では堺市、淡路氏、泉佐野市、三田市、尼崎市、富田林市などでも行われているが、前記の市では近年祭りの最中にほとんど死亡事故が起きている。今これらの自治体では、継続開催に反対の考えも多く、土地の文化と伝統を生かすか、或いは危険を考え中止するかと住民の間でも結論は出ていないようだ。難しい問題ではあるかも知れないが、いかに伝統行事とは言え危険性が高いと思われ、その上で実際に事故が発生するようでは、やはりペースダウンするか、一部or全面中止するのも致し方ないと思う。

 岸和田だんじり祭りは大きな山車が道路上を大勢の勢子に引かれて走り、カーブでもそのスピードを落とさない点でバランスが崩れ危険度が高いと思う。あまり伝統にこだわることなく、先ずは安全第一を心掛け、伝統行事を楽しむことを考えたらいいのではないだろうか。夏祭りシーズンたけなわに際して感じたことである。

2023年7月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5906.2023年7月15日(土) 昔読んだ藤村の「夜明け前」を懐かしむ。

 昨晩NHKの「ドキュメント72時間」というシリーズ番組を初めて観た。昨日のテーマは「初夏の木曽路をゆく!深緑の木々に石畳の道」というもので、旧中山道の馬籠宿と妻籠宿間を行き交う人々の姿を72時間、つまり3日間観察したものである。

 木曽路と言えば、いわずもがなであるが、文学としては島崎藤村の名作「夜明け前」の舞台となった宿場街道である。高校生のころ同じ藤村の「破戒」を読んで藤村作品の魂と息に触れ、その後学生時代に「夜明け前」上下2巻を夢中になって読んだ。明治維新前後に社会が変革しつつある中で社会の荒波を乗り切ろうと努めたが、狂人となって獄舎で命を落とし哀れな生涯を果てた主人公である庄屋の当主・青山半蔵と、宿場町で生き残りのために苦悩した集落の住民を見事に描いた力作である。学生時代は登山クラブに所属していたこともあり、何とかして心を打たれた木曽の宿場街道、約8㎞を歩いてみたいと思いながら、志成らずサラリーマン時代に馬籠を訪れただけに終わってしまった。

 この地域もこのところのコロナ渦により観光客が大分減ったようだが、昨晩のテレビを観る限り、かなり訪れる人々は戻ったようだ。特に驚くのは、東京、京都、奈良のような人気観光地ならともかく、道路幅2mもないような田舎道を多くの外国人観光客が行き交っていることである。ある休憩所では、立ち寄った165人の内105人が外国人だという管理人の話には、驚くとともに意外感が強まった。しばしば紹介されるのは、馬籠と妻籠の2つの中心地であるが、木曽路はその間を結ぶ道幅2m程度のアップダウンのある道路である。感銘を受けたのは、案内所や休憩所などは、個人経営でなく集落の人々が、それも高齢者が輪番制で交代に仕事をしていることである。個人的に職業としているのではなく、地域を盛り立て多くの観光客を呼ぶための町づくりの計画である。あまりこういう例はないのではないかと思う。残念ながら私自身今や健康上からも訪れることが出来る可能性は消えてしまったが、こういう地域を守るやり方もあるのだなと感銘を受けた。

 ところで、首相の諮問機関である自民党税制調査会で怪しげな税制改悪案が考えられているようだ。その理由は、はっきりしなかった防衛費の大幅増額の財源として、先月防衛費増額をめぐる財源確保法なる得体の知れない法律を成立させた。法人税、所得税、たばこ税の3税を引き上げることを決めた。その他俎上に上がったのが、退職金増税である。次いで、配偶者控除、扶養控除、生命保険控除に手を付け、現在非課税の通勤手当や社宅の貸与などもリストアップされているらしい。通勤定期代なんて全額必要経費ではないか。お抱えの運転手付きの車に乗り、ガソリン代、高速道路代金まで国が支払っている?国会議員はどの面下げてここまで国民にたかり、苛めようというのだろうか。

 基本的には財務省の強い希望を聞いたようだ。鈴木俊一財務相の日ごろの自信なさそうな言動と答弁から察すると、税調と鈴木財務相は財務省の意向を抑えきれなかったようだ。増税談義も交わされたが、防衛費の予算編成上明確な財源が見つからずに、姑息にも税調は前記のような税金徴収を考え出したのである。岸田政権の国民への「増税・負担増」路線は留まるところを知らないようだ。

2023年7月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5905.2023年7月14日(金) パリ祭前に健康上厳しい宣告

 フランス革命の導火線となったバスティーユ監獄が襲撃されたのが、1789年の今日、7月14日である。これをきっかけにフランスはルイ王朝が崩壊し、共和制国家となった。フランス革命を機によく言われる「自由」「平等」「友愛」を彩った三色旗がフランスの国旗となったことはあまりにも有名である。今ではフランスではこの日を祝い、革命記念日、或いはパリ祭と称して、全土で1日中花火が打ち上げられている。

 10年ほど前のパリ祭前に森喜朗元首相と国会議員会館内の森事務所でお会いした折に、誕生日が間もなく14日に来ると仰ったので、「その日はパリ祭ですね?」とお話したところ嬉しそうに「そうです」と言われたので、誕生日が革命記念日に当たったことを密かに喜んでおられるようだった。森元首相も今日86歳になられたわけである。

 さて、先週土曜日に糖尿病医院、昨日東京医療センターの膠原病内科、そしてパリ祭の今日は診察方々整形外科へ立て続けに診察に出かけた。糖尿病は大分順調に回復していて、土曜日に測った症状のバロメーターであるHbA1cは6だった。そして昨日東京医療センターで採血したHbA1cの数値は、更に改善され5.8に下がった。今年に入ってから測った11回のHbA1c検査の結果で、1度だけ6.1だったが、残りは5度の5.8を含み、すべて6以下である。糖尿病は順調に回復線上にあるので、少し安心している。厄介なのは2か月ぶりの東京医療センターの検診で、担当医から悲観的な言葉をまたもや聞いたことである。高齢者特有の「変形性(手指)関節症」の症状である。両手指の先端が自由に曲がらなくなり、現状では治らないと厳しい指摘をされた。毎日リハビリをトライしていること自体は良いと思うが、この症状が完全に回復することは難しいとのご託宣である。高齢と言う点と、日常生活にさほど不自由さを感じない範囲内では、それほど悪化することはないと言われた。しかし、どうにも納得がいかないので、担当医に質問した。

 近代医学が進歩して新薬も次々と開発されている今日、このような症状の患者が割合多いにも拘わらず、効果的な新薬の開発がなされず、症状の回復が絶望的というのはなぜでしょうかとお尋ねしてみた。医師の回答はまとめるとこういうことだった。これは高齢者特有で、重症ではなく日常生活に特に支障があるわけではない。そういう人たちのために巨額を注ぎ込み開発するより、若い世代の重症者を救済するための新薬を開発した方が、全般的に見るなら未来志向の観点では、社会的にプラスであるというような主旨だった。

 国立病院の医師からそこまで説明されたことは理不尽で、容認しがたいことである。だが、治らないものはいつまでも拘っていては精神的に良くない。あまりくよくよせず、達観して不自由を忍びながら、これはこれとして胸に収めて前向きに余生を生きていく方が賢明と言うべきだろうか。日常生活には格別不自由を感じているわけではないので、あまり気が向かないが、不承不承そう考え直すことにしようと思う。

2023年7月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5904.2023年7月13日(木) 戦時体験がなく、臨場感で戦争を知らない政治家

 僭越であるが、事あるごとに臨場感の重要さをアピールし、著著でも訴えるし、講演でも本当の臨場感というものの大切さをアピールしている。

 実は、昨日の朝日「天声人語」に臨場感についてこんなことが書かれていた。少々長いが引用する。

 「『私は、海のかなたで、今戦争があるということを信じることが出来ない――』。明治、大正、昭和を生きた作家の小川未明は小説『戦争』にそう書いた。まさに第1次世界大戦の激しきさなかである。多数の戦死者を伝える新聞を見て、『作り話ぢゃないのかしらん』▼なぜかといえば、『みなが大騒ぎしてゐない』からだった。欧州の戦争への関心はどうしてこんなに低いのか。作家は『新聞の報道が事実であるなら、誰でもかうしてぢっとしてはゐられない筈である』とひとりごちた」
 これこそ戦争の臨場感が伝わっていないことを表している。童話作家だった小川未明によれば、第1次世界大戦を国民が、恐ろしいとか、怖い、ぞっとするというような気持ちを当時の新聞報道から感じ取ることが出来なかったと知った。臨場感とは、現場に臨んで現場に溢れている熱っぽい空気を身体全体で感じ取ることである。従って現場で取材した記者が、臨場感を感じてそれを記事にして読者がその記事を読んでも、実感として現場の空気は必ずしも伝わるものではない。

 実際、私自身の戦時体験からしても、小学生(当時は国民学校)当時に、空襲警報で近くの防空壕に慌てて避難したり、先生に引率されて校外のお花畑に行く途中で米戦闘機編隊に低空飛行で銃撃されそうになった時は、先生が「みんな!伏せなさい!」との叫び声に地面に伏した時の恐怖感は明らかに臨場感に溢れていた。ところが、6年生になった時朝鮮戦争が勃発し、連日新聞、ラジオで報道され、担任教師から地図を使いながら解説されても怖いという気はしなかった。戦場の厳しい臨場感が伴っていなかったからである。

 その後ベトナム戦争の現場に出かけ、いくつか怖い体験をした。それこそ生命を失いかねない危機一髪の場面では、戦争の臨場感があった。第3次中東戦争直後の戒厳令下でもヨルダン軍兵士にライフル銃を突き付けられ身柄を拘束された時は、一瞬この世の終わりかなとも思ったほど怖かった。いずれもそこには、臨場感がたっぷりあった。

 人伝えの話とか、新聞などを通して知る「事件」は、冷静に受け止めることが出来る。ところが、生の現場で実際に目にした「事件」は、興奮と狼狽で落ち着いて実態を受け止めることは中々難しいが、臨場感を感じ取ることは出来る。臨場感が伴わなければ、筋道を通した話に中々説得力が伴わないものだ。それは今の岸田首相をはじめとする保守政治家も同じで、戦時体験がなく、アメリカの言いなりに従っているだけで戦争の臨場感を知らない。それが彼らを戦争へ向かわせるのだ。

 来る22日(土)に吉祥寺市内で、自分自身が体験した臨場感のエキスと、それにより9.11テロを予知したことを話す心積もりで、今パワーポイント画像を作成中である。「臨場感」について、気持ちを籠めて少しでも臨場感という言葉の意味を知って貰いたいと願っている。

2023年7月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com