充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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5957.2023年9月4日(月) 近所づきあい。今は昔「向こう三軒両隣」
今日は台風12号が熱帯性低気圧に衰えたとは言え、その影響で東日本は雨模様の所が多いようだが、我が家の庭も午前中は雨で草木がしっとり濡れていた。月曜日なので燃えるゴミを出す日でもあり、雨の中では段ボールは控えて空き缶だけを外へ出したが、道路を隔てた目の前の道路の角には、段ボールが山と積まれていた。これはいつものことだが、雨の中では段ボールがびしょ濡れになるのも構わないようだ。私たちが現在の場所へ引っ越してきたのは43年前になる。その当時自宅前は古い木造アパートと空き地内に駐車場があった。そこへ10年ほど前に10軒近くの住宅が建設され若い人たちがやって来たが、昔と違って引っ越しの挨拶はもちろん、普段から近所づきあいがまったくない。せいぜい言葉を交わすのは目の前の2軒のご家族だけである。若い人たちは、ゴミ出しのルールも守らず、強風が吹いたりすると出した段ボールなどが我が家の門まで吹き飛んでくる。私たちが越してくる前から居住しておられるご近所の年配の方々は、道路上でお会いすれば軽い挨拶や、立ち話をすることもある。今も「向こう三軒両隣」の情はある。それがどうして近頃の若者たちは、ご近所と交流をしようとしないのだろうかと以前から不審感を抱いていた。
引っ越し続きだった自分自身の過去を振り返っても、今までご近所さんとは、親しく気軽に何でも話していた。現在の隣づきあいを拒絶するような空気は、平成年代に入ってから特に目立つようになった気がしている。
そんなことを考えていた時、NHKで「世界ふれあい街あるき」で「シルクロードの青い都―サマルカンド(ウズベキスタン)」を観たことを思い出した。残念ながらまだ1度もここを訪れたことがない。13世紀にモンゴル軍の侵攻によって一時は廃墟と化したが、英雄ティムールによって一大帝国として復活した。現在世界遺産に登録されている。ウズベキスタンの第2の都市であるが、人口は僅か52万人である。市内には青いタイルのイスラム式建築物が立ち並ぶ姿はサマルカンド・ブルーと呼ばれ、多くの外国人観光客を虜にしている。
実は、この街の人々がとてもフレンドリーで誰彼となく通りがかりの人にも気軽に声をかけ、自宅に招き、ご馳走までしてくれる。彼らもそれがこの街の伝統で住民もそれが普通だと思っていると言い、自宅内で家族を紹介し、楽しいひとときを過ごすことを待っている印象である。こういうおもてなしの風習は、外国でも途上国の地方都市などに多い。実際私自身インドネシア、タイ、ビルマなどで現地の人たちから受け入れてもらい、忘れられない時を過ごしたこともある。結局都市化が進んで人々がお互いに接触する機会が減り、他人と過ごす時間が無駄な時間だと考えるようになり、少しずつ避けるようになった頃から、人間としての情が失われ出したように思う。
もっと人や自然と触れる機会を増やすことが、今の世知辛い世を温もりのある社会にし、人々を思いやりのある人にするのではないかと考えている。そういう意味でもサマルカンドの人々の考えと行動力を知ったことは、とても参考になった。健康が許せば、何とか1度サマルカンドを訪れて見たいと考えている。
5956.2023年9月3日(日) 日本バスケットボール・チーム、パリ五輪へ
このところ日本スポーツ界の力が全般的に上がって、スポーツ・ファンがかなり盛り上がっている。昨日沖縄で開催中のバスケットボール・ワールドカップ(W杯)順位決定リーグ最終戦で、日本はこれまで国名も知らなかったアフリカのカボベルデを破り、アジア最上位が確定して来年開催のパリ・オリンピックへの出場権が決定した。バスケットボール(通称バスケ)のように背の高い選手が有利なスポーツでは、日本は決定的に不利で、他のスポーツに比べても世界のレベルからはかなり遅れ、人気も取り残されている。野球、サッカー、ラグビー、バレーボールはもちろん、女子サッカーにも人気では及ばないかも知れない。
実際日本バスケ代表の実力は、1976年モントリオール五輪でエジプトに不戦勝して以来ほぼ半世紀の間公式戦で外国チームに勝ったことがない。それがNBAチームに所属する選手も加わるようになり、チーム力も向上し、今年のW杯では格上のフィンランドとベネズエラに勝ち、勢いに乗ってカボベルデを倒し、五輪出場権を勝ち取ったのである。幸い大会がバスケ・ファンの多い沖縄で開催され、熱い声援を受けて選手を力づけたことが大きいが、NBAサンズの渡辺雄太選手や、日本国籍を取得した元アメリカ人・ホーキンソン選手のような本場仕込みの長身選手が加わったことにより、これまでにはない実力を発揮することが出来るようになったと言えよう。今後バスケ・チームの大いなる活躍を期待したいところである。
ついては、今大会の参加国を見て、昨日対戦したアフリカのカボベルデという見慣れない国があるのに気付いた。偶々昨日日本チームが対戦することになったが、今大会まで寡聞にしてその国名を全く知らなかった。
改めてこの「カボベルデ」という国を調べてみたところ、1975年にポルトガルから独立したばかりで、その時点で日本とも国交を結んだが、現時点ではお互いに外交官事務所は置いていない。アフリカ大陸から3700㎞も北西部に位置する滋賀県程度の国土に約56万人の人口を抱える小さな島嶼国である。農漁村の島で日本からは遠洋漁業船が補給基地として立ち寄ることが多く、そのためであろうか、日本との貿易は日本の年間5千万円の輸出だけであるが、経済支援では4番目に多い。今回この国は日本人に強く印象に残ったことだろうから、今後交流を深めていければ良いと思う。
小学生のころは、世界地図でよく外国の地名探しを楽しんだものだったが、その当時ブータンの首都はプナカだった。ブータンという国すら知られていなかった当時、各国の首都名を覚えてはお互いに友だちと教え合っていた。中でもプナカは、名前が面白いと興味を持たれた。だが、今ではブータンの首都はティンプーに変わっている。1955年まではプナカは温暖の地ゆえに「冬の首都」と呼ばれ、1907年には初代国王の戴冠式が行われたが、55年以降プナカは「冬の首都」を返上し、ティンプーが通年の首都となった。この事実もごく最近まで知らなかった。他にも世界にはまだまだ興味深い都市があると思う。手の空いた時に、そんな都市を探してみようかなと思っている。これもバスケのお陰である。
5955.2023年9月2日(土) メディアの支局撤退で地方の情報は?
またメディアが一歩後退した。北海道新聞社が今月末を以て夕刊の発行を廃止し、今後は朝刊だけになると公表した。30年前のピーク時には、夕刊だけで約78万部を発行していたが、今年7月には23万4千部にまで減少した。そこへ製紙会社から新聞用紙代の大幅な値上げを求められ、更に新聞輸送代、夕刊配達経費などが重荷になって企業努力だけでは吸収し切れないと廃刊に踏み切った。創刊から81年目で夕刊の歴史を閉じることになった。社員の気持ちを思うと切なく同情するばかりである。これで2020年以降、大分合同、徳島、東奥日報、山陽、高知、熊本日日、静岡新聞に続き、北海道新聞社も夕刊を発行しないことになった。これら廃刊の原因は、基本的には近年若者らが本を読まなくなったことから新聞離れが進み、新聞社の経営にも大きな影響を与えることになったと言えよう。
そのひとつの現象が、新聞の編集面にも表れている。朝日朝刊の一面フロント・ページの対極面に当たる最終ページには、テレビ番組欄が掲載されている。このページは読者がテレビ番組をチェックするために必ず目を通す。それが最近某有名化粧品会社が一面広告を掲出することが多くなった。テレビ番組欄は内部紙面になってしまった。結果的にテレビ番組欄が捜し難くなってしまった。高額の広告料金を支払うスポンサーの要望を優先するあまり読者は二の次になってしまった。CM欲しさに経営の苦しい新聞社も泣く子とスポンサーには勝てなくなってしまったのである。
5月には101年間発行されていた「週刊朝日」が廃刊となった。朝日新聞社では、復刊を期して「休刊」と呼んでいるが、その可能性は薄いと見ている。一昨年1月には、毎日新聞社が41億5千万円だった資本金を恥を晒して1億円にまで大きく減資した。この減資により毎日新聞社は中小企業の扱いとなり税法上のメリットを得られるというが、いかにもみみっちい印象は拭えない。苦しい経営になりふり構ってはいられなくなったのだ。
新聞社同様にテレビ局の経営状態も芳しくないようで、今朝の朝日朝刊「多事奏論」によれば、愛媛県八幡浜市内に新聞社、テレビ局が開設していた支局が大分クローズしてしまったようだ。2年前には4局もあった民放支局が今では1局だけになってしまった。更に遡る今から15年前には、前記4民放支局の他に報道機関8社が記者を置いていたが、近年は地元の愛媛新聞、NHK、読売新聞の3社だけになってしまった。これは何も八幡浜市だけの問題ではなく、他の地方都市でも同じような傾向があるようである。このままだと地方の地方ならではのニュースが、これまでのように全国に届けられなくなる恐れがある。
かつては新聞記者になろうと希望していた時期もあった。それを諦めざるを得なくなった当時は随分悩んだものの、新聞だけは毎日読み続けて今日まで血とも肉ともしてきた。現在でも2紙を購読している。それらから得る知識、情報はどれほど今日になっても私の執筆意欲を掻き立ててくれているだろうか。知識と情報はテレビより新聞から得ることの方が多い。願わくば、これ以上メディアの衰退がないよう望むばかりである。
5954.2023年9月1日(金) 関東大震災発生から100年
100年前の今日午前11時58分に関東大震災が起き、10万5千人もの尊い生命が失われた。その悲惨だった1日を忘れないために、また再発に備えるために、今日は「防災の日」と呼ばれている。
関東大震災は、とかく当時の東京市内の廃墟が紹介されることが多いが、実際の震源地は神奈川県の相模湾北西部だった。従って旧東京市内に劣らず、横浜市でも大規模火災が相次ぎ、地震より火災による死者が10万5千人の内9割を占めたと言われている。経済被害も多く、当時の国家予算の4倍となった。
多くの犠牲者の中で案外軽視されがちなのは、正確な数は分かっていないが、朝鮮人の死者・行方不明者が多かったことで、その数は全体の1~数%と見られている。中でも今以て外交問題となっているのは、朝鮮人虐殺事件である。大震災発生の混乱の中で、「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」とのデマが流れ、それを真に受けた官憲や自警団などが、多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺したとされる事件である。その犠牲者の数は正確には分かっておらず、数百名から約6千名になると推定されている。
東京日日新聞(現毎日新聞)紙上に「火に見舞れなかつた唯一つの地として残された牛込の二日夜は、不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警戒する為め、青年団及び学生の有志達は警察、軍隊と協力して、徹宵し、横丁毎に縄を張つて万人を附し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気立ち、小中学生なども棍棒を携へて家の周囲を警戒し、宛然在外居留地に於ける義勇兵出動の感を呈した。市ヶ谷町は麹町六丁目から、平河町は風下の関係から(此所新聞紙破れて不詳)又三日朝二人連の鮮人が井戸に猫イラズを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した」。
真偽は別にして、かなり朝鮮人に対して厳しい差別的な対応をしたことが想像出来る。この大震災に合わせて官憲は、この機に乗じて社会主義者や無政府主義者らも身柄拘束し、殺害した。甘粕事件もこの直後に起きた。大震災は社会的に大混乱を引き起こし、時の政権や右翼にとって弾圧する好い機会になったとも言える。
関東大震災から1世紀が経過した今日、大震災は歴史上衝撃的な事象と捉えられてはいるが、格別大きな社会問題とはなっていない。しかし、多くの朝鮮人がいわれもなく虐殺された事実については、日本政府は未だかって謝罪をしていないとして韓国内や北朝鮮国内では日本政府に対して謝罪すべきであるとの声が根強く残っている。
2011年の東日本大震災以来、近い内に再び首都圏を中心に大震災が勃発するとの警戒予報が伝えられ、対応策等についてしきりにテレビ等で啓発活動が行われている。大震災当時旧東京市内に居住していた両親が、生前関東大震災で体験した恐怖感を度々話してくれ、体験上事前に避難の準備をしておくようにと話していたので、その必要性は承知している。しかし、今もこれという「いざ! 鎌倉!」に備えた準備はせいぜい飲料水を蓄えている程度である。それ以外に格別なことをしているわけではない。我が家が道路より3mほど高い敷地にあることも油断させている原因である。
30年以内に首都圏直下型地震がやってくる確率が70%もあるという。さあ!どうする?
5953.2023年8月31日(木) 西武百貨店池袋本店、悲観的スト実施
まさかと思われていた西武百貨店池袋本店が今日終日ストに入った。1962年の阪神百貨店のスト以来百貨店のストとしては、実に61年ぶりのことである。すでに昨日からニュースはメディアを通じて広く伝えられていたが、かつての西武鉄道の子会社がストに突入するとは全く想像外のことだった。以前とは組織、体制、経営方針が変わってしまったとは言え、かつて堤一族が支配した西武グループは、ストをしない会社として知られていた。
私が社会人となった1963年当時からしばらく、鉄道業界では毎年春闘によりストを決行する国鉄の国労及び動力車労組と私鉄総連各社は、総連に加盟していない西武、及び加盟してはいるが総連に同調せずスト権を行使しなかった小田急は、1年中電車が停まらないと話題になっていたものである。西武百貨店はその当時西武鉄道の完全子会社で、社内ではストと言う言葉さえ聞かれなかったほどだった。それが、堤一族が西武鉄道の経営権を手放すにつれ、経営上大阪のそごうと合併して、更に経営権がそごう・西武からセブン&アイHDに移ったころから百貨店とコンビニの営業形態及び経営観の違いからか、メインのコンビニは伸びるが百貨店の経営が芳しくなくなった。百貨店の赤字も年々累積され、池袋本店のように過去4期連続で赤字を計上し、この間コロナ渦により営業収益が大幅に落ち、累積負債総額も約3千億円になり、そごう・西武の経営は苦境に陥っていた。
セブン&アイHDも将来の展望が開けないと判断したのか、躊躇いもなくそごう・西武の全株式をアメリカの投資ファンド会社、フォートレス・インベストメント・グループに約2,200億円で売却することを決めた。フォートレス社は、ヨドバシ・カメラを池袋店の旗艦店と考えた。おしゃれで高級志向の西武百貨店は、その安売り家庭用量販店のイメージを嫌ったが、計画ではヨドバシの売り場シェア拡大により、これまでの優良店舗の面積が減って従業員の一部が解雇されることが明らかになった。組合はヨドバシ入店についてセブン&アイと話し合ったが、結局物別れに終わっていた。
スト権の行使とは、一般的に労組が経営者と交渉し、交渉決裂の場合止むを得ず実行するものであるが、双方ともに失うものが多い。本件は西武労組が経営者であるセブン&アイと交渉しようとしても、経営者側は西武池袋店を売却することを決めていたので、セブン&アイにとっては大きな問題ではなく、前向きの結論は得られなかった。
今日開かれたセブン&アイの臨時役員会では、改めて明日付でそごう・西武のフォートレス社への売却を確認し、決議した。これにより西武の従業員の何%かは、解雇されることになるだろう。
地元商店会でも池袋駅東口に長年構えていた西武百貨店池袋本店のお洒落なイメージは、大きな存在感と吸引力となって地元へ多くの顧客を呼び込んでいたと認識し、評価している。豊島区長らもともども西武株売却に反対し、池袋駅周辺の商業発展のためにもこれまで通り西武百貨店が営業を継続することを望んできた。今それは儚い幻となってしまった。
ところで、セブン&アイHDの祖業イトーヨーカドーの創業者・伊藤雅敏氏が掲げた同社の社是は以下について誓っている。
◎私たちは、お客様に信頼される、誠実な企業でありたい。
◎私たちは、取引先、株主、地域社会に信頼される、誠実な企業でありたい。
◎私たちは、社員に信頼される、誠実な企業でありたい。
果たして世間を騒がせているこの一連の流れの中で、セブン&アイHDは社是を守って実行しているだろうか。
今晩今年最高の満月が見られる筈だったが、空には雲がかかって見られなかった。