ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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6624.2025年7月2日(水) トランプよ 驕ることなかれ!

 もういい加減にしてくれというのが、トランプ大統領に対する強い不満である。今春以来ハーバード大に対して補助金の支払いを拒否するなど、学問の自由に踏み込んで大学にお仕置きをしていた。しかし、その後ハーバード大とは関係を修復しつつあった。そこへ30日政権は大学がユダヤ系の学生や、教職員に対するハラスメントに対応せず、公民権法に違反したとの調査結果をまとめ、大学がこれを是正しない場合は政府から大学への補助金をすべて停止するとまた嫌がらせの通告をした。どうも心変わりの激しい大統領だが、事態の捉え方も表面的な言葉だけですべてを判断する浅薄さがある。

 核開発問題を抱えてイランを抑え込みたいトランプ氏は、イスラエルを利用してイラン核施設を攻撃し、イランに有無を言わせず停戦へ追い込み、戦争終戦を主導したのは、自分だと世界中に売り込んでいる始末である。

 そしてその悪癖は、対日貿易交渉でも表れた。25%という高額関税を唐突に課して、日本を苦悩させているが、日本も大きな経済的影響を受けるだけに、粘り強く交渉している最中に、昨日一方的に「日本は30%か35%の関税、もしくはわれわれが決定する関税を支払うことになる」と対日関税の引き上げを仄めかした。対日交渉が思い通りに進まないのに苛立ったのである。現在日本は一律10%の関税を課されていて、措置が一時停止されている相互関税の引き上げを含めて関税率は24%となっているが、これさえ大きく上回る水準であり、日本との間で進められている交渉内容がいたくお気に召さぬようだ。

 現在日米貿易は、1979年以来46年連続してアメリカが赤字である。アメリカが対日貿易上問題視しているのは「自動車」と「米」である。トランプ大統領は、1980年代から圧倒されている日本の自動車産業を敵対視する発言を繰り返している。彼の対応と発言の稚拙さは、ひとつには、これらの問題点をその都度、ひとつずつ徐々に話し合って解決するという当たり前の地道な手段を取らず、いきなり、しかも強引に上から目線で自己流を押し付けることである。もうひとつの問題は、アメリカの自動車が日本市場で販売が伸びない原因は、日本のマーケットに合致する対策を取らないからである。例えば、アメ車には、日本の道交法で決められた、全シートに安全シートを取り付ける義務があるが、アメ車には運転席にしか取り付けられていないことと、テールランプに白色が設置されておらず、これでは後続車が追突しかねない。これらを承知のうえであろうが、日本のマーケットに合わせようとしないアメリカ自動車産業に大きな欠陥があるといえよう。他にも修正点があると思うが、現状のままでは、トランプ氏の一方的な要求でアメ車が日本で売れるわけがない。これでは、アメリカの自動車産業が永久に日本市場で販売数を伸ばせないということである。

 他にもトランプ氏は、「アメリカ・ファースト」を言い触らし、アメリカ流儀押し付け外交を実践している。国防費の対GNP比を5%にするよう北大西洋条約機構(NATO)各国に要望し、各国はトランプ忖度のために渋々受け入れた。しかし、日本に対しても現状1.8%を目標に近づけるよう要求し、そのうえ、日本政府に、対して駐日米軍経費負担の増額を要求している。

 誤解を避ける意味でも、言っておきたいことがある。国防費、防衛費支出は日本では憲法で軍隊を持つことを禁じている点から違法である。しかもその日本憲法はアメリカ政府が主導して制定した。もう一点は、米軍駐留費用の負担は、米軍が戦後日本を占領し、その状態が引き継がれている。占領軍の必要経費を何故被占領国が支払わなければならないのか、この辺り日米両政府は口をつぐんで語らないが、奥歯に物が挟まったような会話が多いのは、その辺りの真意をお互いに誤解しているからである。

 ある雑誌に「トランプよ 驕るなかれ!」というトランプ大統領を皮肉り批判、非難する言葉があった。「尊大、傲慢、居丈高、驕慢、横柄、権高、高飛車、自分勝手、傍若無人、傲岸不遜と思いつく限り並べてみても、まだ言い足りないトランプという妖怪に、世界が引っ掻きまわされている」。正にその通りである。困ったものである。

2025年7月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6623.2025年7月1日(火) 小学校入学早々国語の授業で習った文章

 昨日梅雨が解消され、今日から真夏7月に入った。日本ばかりでなくヨーロッパでもかなり厳しい暑さのようで、フランスやスペイン、ポルトガルでは40℃前後だという。

 国内各地も異常な高温である。東京都心でも今朝7時半時点で29.4℃、湿度は77%だった。結局今日の最高気温は、真夏日の34℃だったが、全国の真夏日は663カ所もあった。それを上回る猛暑日は全国で120カ所だそうだから、これから先が思いやられる。このため熱中症も心配され、新聞やテレビ・ニュースでもしきりに警戒を呼び掛けている。現実に熱中症警報アラートが今日全国の20都市で発せられた。この百年間に東京の気温は平均2.5℃上昇したという。今日から庭の植木の剪定のためにいつものように植木屋さんが来られたが、この炎天下でご苦労さまだと思っている。

 ところで、昨日の当ブログに小学生が授業でタブレットを使って作文などを学んでいる違和感について取り上げたが、今の小学校1年生が検定教科書(光村図書版の例)で最初に読み書き習う文章が、

 「これは、なんのつぼみでしょう。これは、あさがおの つぼみです」で始まる文である。「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つの柱を中心に言葉の基礎を学ぶようである。昭和10年代の戦時色が濃くなってきた当時の1年生の国定教科書は、「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」だったが、私が国民学校へ入学した終戦の年の初等科1年生時の国定教科書は、太平洋戦争末期で激しい空襲下でもあり、教科書も満足に入手出来ず、近所に住む上級生から譲り受けたものだった。上記ポイント4点というより、「暗記」に力を入れていたように思う。お陰で、今以て冒頭の文を空で言える。我々の時代はこういう出だしだった。

 「アカイ アカイ アサヒ アサヒ ハト コイ コイ コマイネサン アッ コマイヌサン ウン」だった。戦時中だったので、晴天旭日などを考えると出だしの「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」は何となく察しがつく。平和の象徴とも言われる「ハト」が現れたのは意外な感がする。狛犬は、近くの神社を訪れると石像の首に縄や紙が掛けられているのを見たので、時代を反映しているのだろうと想像がつく。

 そして中学生になった時、初めて英語を必修科目として学ぶことになった。その出だしはあまりにも有名で今でも忘れることはない。曰く「I am a boy. You are a girl. I am  Jack Jones. You are Betty Smith.」だった。実に新鮮な感じがしたものだった。海外文化との個人的なつながりは、この時から始まったと言っても良いかも知れない。

 ところが、高校へ入学した際には、どの科目も何を最初に習ったのか、まったく記憶に残っていない。国民学校と中学校で新たに学習したことは、私の今日に至るまでの人生の中でもそれくらい目を見開かされるようなショッキングなことだったのではないかと思う。今後こういう新体験は、まずないと思うが、振り返って多くの珍しく危機一髪の体験を重ねてきたわが人生で、それは好奇心が強かったからだと思っている。未だに小学生の教科書を想い出すことが出来るのは、好奇心の強さにつながっていると思うし、海外で多くの国の人たちと交流を深めることが出来たのは、最初に学んだ英語がすんなりと私の脳を通して体内へ入り込んだせいであろう。

 他愛ないことを書いてしまったが、幸いにも海外へ出かける機会が多かったお陰で、良きにつけ悪しきにつけ、終生の宝物を手にすることが出来たと思っている。幸い執筆活動と講演活動でその一部は何とかお返しすることが出来ているのではないか。3月に仲間たちと創刊した雑誌「イコール」には、今後拙稿を書き続けるつもりである。また、講演についても9月に2度ほどお引き受けしているので、私自身が旅を通して体験したことに臨場感を交えてお話しようと考えている。

2025年7月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6622.2025年6月30日(月) メディア業界凋落の一因はスマホにあり

 今メディアの世界では、新聞、雑誌、テレビなどいずこも内包する難題を抱えているようだ。最近最も世間の話題となったのはフジテレビで、あるタレントが元女子アナに性的暴行を加えたことをテレビ局内部で無理に隠そうとした会社の隠蔽体質から、会社の陰湿な本性などがあぶり出され、公開の場で厳しい非難を浴びることになった。結果的にフジテレビはスポンサー企業から相当数のCMを解約され経営的にもピンチに陥っている。

 元々テレビ局が発足してから、歴史的にはそれほど長くはない。その割に営業自体が派手な一面があり、チヤホヤされた未熟なタレントや若い社員が番組の中心となって企画を計画するため、会社の管理が彼らに対して甘く、よほど厳しく人的管理を行わないと危うい側面はあった。

 近年SNSとインターネットの普及により、テレビ事業本体の経営が脅かされる傾向も見えた。かつて、安倍晋三元首相時代に、すべてネットにしたら好いという極端に乱暴な声が出たことがあった。これに対して新聞業界が反対したことがあった。視聴者もこれには反対したようだが、メディアへの不信感が広がっていて、今後同じようにテレビ廃止などの動きが再現しないとも限らない。

 テレビ業界自体は新しいのだが、その体質は古い。その第一は、常に男社会であることである。それを変えてこなかったのは、今回フジテレビの不祥事でその存在を明かされた、長年居座っていた陰の支配者、日枝久・元フジ・メディア・ホールディングスCEOが、長年に亘ってグループを独断的に支配していたことがあったからでもある。今日枝氏が退き、役員人事も一新し新体制へ移行して、再起を期しているが、一度失った顧客であるスポンサー企業を取り戻すのは容易ではあるまい。

 新聞界も定期購読者が減少したことにより、経営的にも危ない橋を渡りつつある。昨日もかつて購読していた某新聞がポストに入っていて、A4判の紙に丁寧な購読の依頼文が書かれていた。とても2紙まで読み目を配る時間的余裕がないし、上記のように情報はネットを合わせてかなり得ている。実際、定期購読者数は近年激減し、2000年には、日刊紙は5千4百万部が購読されていたが、それが昨2024年にはほぼ半減の2千7百万部にまで減少した。しかも朝夕刊セットで読んでいる人は、4百万部弱しかいない。新聞購読者の減少には、本を読まなくなった、手紙を書かなくなった人が増えたことが大いに影響していると思っているが、その原因を作ったひとつは、パソコンやスマホに頼り過ぎるようになった習性と時代性にある。新聞を読まず、ペンを握らずスマホで文書関係をすべて済ますという手抜きのせいで、新聞購読者が減ったと言っても決して過言ではない。

 近年このスマホを小中学生のころより親しむようになった大きな原因のひとつは、義務教育の過程でタブレットを使用する授業を文部科学省が必修として認可したことにあると思う。小中学生がタブレットを使用したことは、目の保護のためにも、また教育上も良い筈がない。メディアにとっても将来的には営業上マイナスとして跳ね返ってくるこういう公が認める教育に、なぜメディアは文科省に対して強く抗議しないのか不思議でならない。

 メディアが、やや信頼を失いつつあるのは他にも原因があるが、取り敢えずこのような上記の問題にしっかり対応すべきだと思う。

2025年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6621.2025年6月29日(日) JAXA、現方式ロケット最後の打ち上げ成功

 国産ロケット「H2A」の最終号機・50号機が、今朝早く種子島宇宙センターから打ち上げられ、政府の地球観測衛星を正常に分離して打ち上げは成功した。これで宇宙航空研究開発機構(JAXA)が三菱重工と共同開発してきた「H2A」は有終の美を飾って、今後は後継の「H3」号機に引き継ぐことになる。最近民間の衛星ロケットが打ち上げては度々失敗するので、打ち上げ前に少々気になっていた。ところが、国が開発に関わった「H2A」シリーズの打ち上げは、20年以上50回の打ち上げでたった1度しか失敗はなく、かなりその精度は高かった。ただ、経費が約100億円もかかり、今後「H3」計画では、JAXAと三菱重工が「H2A」の半額となる打ち上げ価格を目指して、世界的に拡大する衛星の打ち上げ需要の取り込みを狙うという。50号機は、今世界的な地球温暖化問題には、二酸化炭素などの濃度を地球の全表面で観測することが可能だそうだから、かなり科学的に貢献することが出来る。

 その科学的費用について、年間約5億円超(20年間で約100億円)の予算を投資してきた結果、それなりの成果を収めることが出来た。他方で、トランプ大統領が各国首脳に喚き散らしているGDPの5%を、国防費予算へ投資したところでこれほどの成果は期待出来まい。日本は2025年度予算で、前年度より防衛費を0.2%引き上げ、1.8%にして27年度には現在の1.8%から2%にまで上げる腹づもりである。日本のGDP0.2%とは、ほぼ1兆2千億円に該当する。年間これほどの巨額を無駄な防衛費に投資しようとすることを考慮すれば、効果的な宇宙ロケットの開発費用はそれほど高額ではない。無駄な投資、しかも憲法に違反する国防のための投資など対費用効果を考えれば、いずれ日本にもトランプ圧力による国防費の投資額増大を要求するだろうが、日本の将来にとって少しもプラスにはならない。況してや軍事費支出なんて憲法に違反している。政府はアメリカ政府にもこの点をよく説明し、日本なりの方針を考える必要があるのではないか。

 さて、卒業式などでよく歌われる「蛍の光」について、3日前の朝日新聞にその歌詞の歴史的背景と沖縄との関係についてエピソードが紹介されていた。今から140年以上も前に当時の文部省が唱歌として発表してから今日まで歌い継がれている「蛍の光」は、普段1番だけしか歌わないことが多く、歌っても精々2番までである。ところが、歌詞は4番まであり、その4番はまるで知らなかった。4番には、北方領土の千島とともに沖縄が歌われているのである。♪千島のおくも 沖縄も 八洲の「うち」の守りなり~♪であるが、この内作詞家は♪千島のおくも 沖縄も 八洲の「そと」の守りなり~♪とした。それを文部省が穏当ならずとして、「そと」を「うち」に修正させたという。国民感情を考慮したようだ。しかし、20世紀に入ると教科書では、♪台湾の果ても樺太も やしまのうちのまもりなり~♪と変わった。日本が千島、樺太、台湾、朝鮮などを植民地化して国土の拡大を図ったのに合わせて、小学校唱歌を通して国民に一致団結や国威高揚を訴えたのだ。

 優しいメロディにより世界中で愛唱歌にもなっているスコットランド民謡を、こんな戦意高揚なんかに使われていたと現地の人びとが知ったらさぞや悲しむことであろう。

2025年6月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6620.2025年6月28日(土) スポーツ界のトップに女性選任の流れ

 日本オリンピック委員会(JOC)会長だった柔道の金メダリスト山下泰裕氏の後任に橋本聖子・参議院議員が選任された。アイス・スケートと自転車競技で7度もオリンピックに参加し、東京オリンピックでは担当大臣を務めていた。時を同じくして日本陸上競技連盟でも女性会長にマラソンの有森裕子さんが選任された。女性会長はいずれも初めてである。有森新会長は、バルセロナで銀、アトランタで銅メダルを獲得した。時を同じくして国際オリンピック委員会(IOC)でもこのほどバッハ前会長が退き、後任に女性として初めてのカースティ・コベントリー会長が決まった。コベントリー新会長は、ジンバブエ人でアフリカ出身者としてもIOC会長は初めてである。新会長はアテネと北京大会の水泳で金メダルを獲得している。

 今後スポーツ界でもこれまで格差があった男女間の問題が取り上げられることだろう。女子スポーツも大きな組織の会長が女性となったことにより、その問題点や障害の除去に取り組まれるだろうし、徐々に差別の排除が脚光を浴びるようになることと思う。

 実際に現在スポーツ界において男女間の格差をなくすことが大きな課題となっている。元々スポーツは男のやるものという偏見が長い間定着していた。例えば、プロ・スポーツの場合、試合の賞金総額は男性スポーツが圧倒的に女性スポーツを上回っている。2023年8月に開催されたサッカーの女子ワールド・カップ(W杯)では、前大会の2019年より4倍近く増額されたにも拘らず、22年開催の男子W杯の賞金が女子のそれと比べて依然として4倍も多かった。これは、サッカー連盟だけの問題ではなく、大会を支援するスポンサー企業からのCM料にも左右されるので、放映権など他の問題も合わせて難しい問題を孕んでいると思う。

 しかし、近年は女子スポーツの人気度も向上しつつあることや、連盟や協会の女性選手への対応なども変わり、少しずつ格差是正へ修正されていくのではないかと思う。その点で組織のトップに女性が就任したことは意義深いことであると思う。実際、テニス界はすでに先取りして、現在4大大会の賞金に男女差はない。

 女子サッカーの「なでしこジャパン」が2011年ドイツ大会を制覇して以来、女子サッカーは国内でも注目度が高まり、10年後の21年には、女子のJリーグ「WEリーグ」が発足し、人気も益々高まり観客数が増え、年々活性化している。

 今スポーツ界では、トランスジェンダー問題が顕在化しつつある。陸上競技では以前は男子選手として参加していたジェンダー選手が、女子選手クラスのレースに出場することが疑問を投げかけている。体力的に男性としての能力があった選手が、女子部門に出場するケース自体が懸念されている。こればかりは、スポーツ界だけの問題に捉われることなく、広く考えられるべきであり、女性会長が就任したからと直ぐ解決出来るような生易しい問題ではない。ただ、どういう風にこの問題に対応をするのか、やはり新会長の手腕が注目される。

 終戦の年に国民学校へ入学したが、当時は体育の授業などは、2クラス一緒で、男子組と女子組に分かれて男子らしい運動と女子らしい運動を別々にやっていたものだ、それを考えると時代は大きく変わったと感慨に堪えない。いつの日にか国立競技場をファンが埋め尽くす女子サッカー大会が開催されるかもしれない。期して待ちたいと思う。

2025年6月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com