充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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5998.2023年10月15日(日) 大企業社名変更とパリ五輪マラソン代表内定
アメリカの起業家で、経営者としても一世を風靡した感のあるイーロン・マスク氏が、今年ツィッター社を買収するや、直ちに社名を「ツィッター」社から「X」社に変えて世界中に大きな衝撃を与えた。広く会社名や、商品名が行き渡っているにも関わらず、敢えてマイナス面も含んだうえで名前を変更することには、かなりの決断と拘りがあったことと思う。
少し歴史を遡ってみると、日本では、松下電機産業㈱がパナソニック㈱に変えたのが、当時は随分印象的だったが、これは商品名を社名にしたので事業実態としては変わらず、反ってすっきりしたとの声も聞かれたくらいである。最近では2018年に旭硝子㈱が社名をAGC㈱に変更した例がある。日本板硝子㈱と並び大手ガラスメーカーだったが、商品名ロゴを世界的な統一ブランドとして定着させるためにロゴを社名に変えた。2002年には、大手鉄鋼メーカーの日本鋼管㈱と川崎製鉄㈱が合併して発足したJFEホールディングス㈱などの合併による社名変更の例がある。
そんな時に、先日の新聞報道で創業140年の老舗企業が、社名を変更するというのには些か驚いた。元々大阪で造船業を立ち上げた会社だったが、80年前に日立製作所の傘下に入り、社名を日立造船として発展し造船のトップ企業として君臨していた。しかし、戦後の財閥解体で日立グループから離脱し、2002年には造船業を切り離し、社名は造船会社をイメージさせるが、むしろその実態は国内最大のごみ焼却施設の建設会社となっていた。ただ、少々気になるのは、その新社名が「カナデビア」という何を意味するのか全く分からない社名である。800もの数多くの候補から最終的に決まったのが、想像もつかない社名のいきさつである。社内からは日立造船の長い歴史をどう考えているのかなどと困惑の声も聞かれたという。新社名は、オーケストラが「奏でる」ようにビア(VIA・ラテン語の「道」)を切りひらいていくことを意味する「カナデビア」という、和洋折衷の造語である。関係者はこの名に慣れるまでは大分戸惑うのではないだろうか。
いずれにせよ「名は体を表す」と言われるように、営業実態が外部に正しく伝わることが重要であるので、新社名を広く知らせるためにはOBも含めた全社員の努力と協力が不可避であると思う。
さて、今朝都内はかなり激しい雨が降って肌寒かったが、この最中に来年のパリ・オリンピックのマラソン代表を決めるマラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)が、国立競技場発着で行われ、1、2位が代表に内定し、3位は選考対象となった。スタート時はテレビで観戦していたが、ほとんど観ることはなかった。結果的に先に行われた男子レースには、61人が出走したが、日本記録を持つ鈴木健吾選手が途中棄権した。しかし、優花夫人が女子レースで夫の声援を受けながら見事に優勝し、2位には一山真緒選手が入り、ともに代表入りを内定した。
男子代表には、これまで名前を知らなかった小山直城、赤崎暁両選手が1、2位に入り内定した。3位には、元日本記録保持者の大迫傑選手が入った。激しい雨が降る寒い中で走る選手たちを見て、彼らが健康を害さないか気になった。難しい問題はあるだろうが、日時を変更して行うことは出来なかっただろうか。今後検討すべきだと思う。
5997.2023年10月14日(土) 衆議院議長史上最低、最悪の細田博之議長
昨日細田博之衆議院議長辞任に伴う記者会見を見て呆れた。評論家や政治学者、メディア関係者をはじめ各界の人びとも呆れ果てたのではないだろうか。卑しくも衆議院議長とは、首相、最高裁長官、参議院議長とともに三権の長と呼ばれ、それなりの権威があり、国民の誰もが敬意を払う立場にいるものだ。それをどん底へ突き落すような言動をしては他の三権の長も、さぞかし不愉快な気分だろう。以下に細田氏が衆議院議長の資質に欠ける人物だったという点について、ほんの一部だが書き上げてみる。
記者会見のポイントは、①世界平和統一教会(旧統一教会)と自らの関係、と②女性記者へのセクハラ疑惑の2つである。そもそも議長を辞めると言ってから大分時間が過ぎたが、その間まったくメディアからの質問にも応えなかった。昨日は質問をまとめてきちんど応えて議長辞任となればスッキリだったが、腹に一物ある細田氏としては、長老として党内に隠然たる影響力を持ち続けたいと考えたのだろう。無難に質問をかいくぐり、その後に議長は辞めるが、一議員として次回の総選挙への出馬を表明するという計算だったと思う。議長を任期途中で辞めるというのも、健康上の理由と説明していながら、議員としては働きたいというのも理解に苦しむ。
大体疑惑について正面から応えていない。これでは記者会見を開いた意味がない。最初は僅か30分間と言ったが、これでは短すぎるとの声に50分に伸ばし、更に延長の声が出たが、その声を無視して一方的に会見を打ち切った。出席出来る記者も国会記者に限り、会見場のスペース上1社1人に限った上で行われた会見では、冒頭の2つの疑念について納得出来る説明はなかった。
まず、解散命令の請求が出ている旧統一教会との個人的関係については、教団の関連団体の会合に8回も出席している。関係大ありではないか。それについて細田氏は、「特別な関係はない。呼ばれれば出るという程度」と密接な関係はないと語ったが、8回も特定の教団関連団体の会合に顔を見せるというのは、密接な関係はないと言ったところで説得力がない。教団の韓鶴子総裁が韓国から出席した会合では、祝辞まで述べ、安倍元首相に早速報告したいと述べたことなど、とても普通の関係とは思えない。
また、セクハラ疑惑については、セクハラを受けた記者の名前が公表されていないが、それを幸いとばかりに5人でもセクハラを受けたという人が出て初めて「Me too」が成立するなどと詭弁を弄した挙句に、セクハラの覚えがないことをあったように言われることは、男性に対するハラスメントだなどと開き直って破廉恥な抗弁をしている有様である。立憲民主党の岡田幹事長は、これらの発言を厳しく非難しているが、流石に自民党内においても不誠実だとの批判が相次いでいる。岸田首相ですら細田氏の発言に苦言を呈している。
その上次回総選挙に出馬する点について、自民党の若手からも「健康に不安があるのに議員活動を続けるのは理解出来ない」とまで言われている。こんな人物がよくぞ衆議院議員の最高職に留まっていたものだ。
結局東大法学部から通産省官僚という日の当たる出世街道を歩きながらも、世間知らずで父親の後継者で単なる二世議員だっただけである。政界のみならず世間の倫理、ルール、常識をぶち壊した点でも、「二世議員」なんてロクなものではない。「二世議員」の在り方に厳しいメスを入れるべきである。
5996.2023年10月13日(金) 文科省、旧統一教会の解散命令請求
文部科学省は、今日世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の解散命令を請求した。統一教会は、昨年7月奈良県の遊説先で安倍晋三元首相が統一教会と深い関係があると逆恨みした犯人に射殺され、事件が公になり世間からあくどい献金や、高額な物品購入などが糾弾されるきっかけとなった。これまでの賠償額は示談による和解金を含めても220億円余になるというから相当長期に亘り、悪辣な集金を行っていたのだろう。意外にも政府が民法の不法行為などがあったとして解散を請求するのはこれが初めてだという。解散命令が確定すると統一教会は宗教法人の法人格を失い、税の優遇がなくなる。この動きに対して、統一教会は、極めて残念であり、遺憾に思うと言い、日本の憲政史に残る汚点とまで恨み節をHPに記している。統一教会は裁判で争う方針である。
被害に遭った元信者にとっては許しがたいことであり、彼らが願っている解散への第一関門は通過した。だが、この組織自体が行ってきた行為に自民党がかなり深く関わっていたことが、むしろもっと大きな問題だと思う。自民党国会議員の中で、統一教会と何らかの関わりがあった議員は、179名もいる。
統一教会の関連団体である「世界平和教授アカデミー」が80年代に立ち上げた「80年代ビジョンの会」と称する組織が、当時からほぼ半世紀に亘り自民党と内閣に対して政策提言を行ってきた。特に1982~87年の中曽根康弘政権に対するその提言たるや露骨に日本の政治に口出しし、内政干渉している。それを当時の政権はこの組織の要望をどこまで採用したのか不明ではあるが、実際に国家の政策として実行されたことも事実である。
例えば、「80年代ビジョンの会」が政策として提言した、①国民意識の改革のために毎月1回国民に直接政策を訴える番組をメディアで計画、②国鉄の分割・民営化の促進、③日米関係の修復、日韓関係の緊密化、④防衛計画大綱の早期達成、などである。特に④では、有事法制、自衛隊法改正、民間防衛、空軍の強化にまで踏み込んで言及し、剰え防衛費の1%枠の早期撤廃、防衛予算の500億円上積みまで要求している。
中曽根内閣は、実際にこれらの政策を進め、それは今日の岸田政権にまで引き継がれている。統一教会は本部が韓国にあり、韓国の本部が自民党を通じて日本の内政に干渉していたということでもある。長年に亘る懸案だった国鉄の分割民営化が、実際に行われたのは中曽根内閣末期の1987年4月であり、防衛費の増額も本年から大幅に増額された。「80年代ビジョンの会」の言うがままに日本の政治は操られて来たような印象を受ける。
中曽根首相は自民党内では少数派閥で基盤は強くなかった。それ故に統一教会に頼ったところがあったのではないかと憶測せざるを得ない。
しかし、解散までにまだいくつかの乗り越えなければならないハードルがある。その最大のものは、この決定が効力を持つまでにかなりの時間を要するという点である。それは、過去に解散命令を受けた宗教法人に、オウム真理教と明覚寺事件があるが、前者の決定が有効となるには7か月、後者に至っては3年もかかったことである。その間に所有する財産を隠匿、或いは海外へ移転させる可能性があり、すでに立憲民主党などは、財産管理命令の規定を宗教法人法に盛り込むよう主張している。
いずれにせよ、自民党と統一教会が水面下でしっかり手を握っていたことは、多くの自民党議員の行状によっても随分明かされている。日本の政治が外国の民間の組織に指図され、財産を投げ捨てるような献金や物品の購入を求められるような宗教団体を、この際徹底的に排除して欲しいものである。
この得体の知れない宗教団体が蔓延ったことに、自民党自身大いに反省すべきで、国民に対しても詫びるべきである。
5995.2023年10月12日(木) 暗い事件頻発に気晴らしスポーツ中継観戦
世界中の今夏の熱暑についてグテーレス国連事務総長が、「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が到来した」とお手上げの発言をした。ところが、今世界中は熱が冷めるどころか、益々熱くなっている。それには戦争勃発の影響がある。
ウクライナ戦争に続いて、中東ではイスラエルとパレスチナ・イスラム組織ハマスとの間で、連日戦火が加速している。2014年にイスラエル軍がパレスチナ自治区に大規模な攻撃を行い、パレスチナでは2,200人の犠牲者を出したが、その7割は民間人で、500人は子どもだった。一方のイスラエルでは、ハマスによるロケット弾被弾により市民の犠牲者は4人だった。それが、今回は昨日時点でパレスチナ・ガザ地区の犠牲者が1,000人とされているのに対して、イスラエル側にはガザ地区より多くの1,200人を超える犠牲者が生まれた。その上ハマスがイスラエル側の市民を人質として捕らえて、攻撃の生贄にしようとしていることに、イスラエルの憎しみが余計に募っているようだ。
この事態に対してアメリカは、イスラエルへの支援を強化すると公表したが、EU諸国内では各国がその対応を巡って意見が対立している。そしてこの間にもウクライナでは、ロシア軍との戦闘が激しくなる一方である。
イスラエルは今度こそ徹底的に報復する考えのようだ。一方、人口密集地域のガザでは、空爆とイスラエルによる地域の完全封鎖により市民は極限の生活を強いられ、多くの人が最早死を覚悟しているというから悲惨である。これから事態はどういう方向へ向かうのか予測がつかない。第3次中東戦争以降半世紀以上も前からイスラエルをはじめ、周囲のアラブ諸国レバノン、ヨルダン、エジプトを旅して少しは彼らの生活を見ているだけに、彼らの生活を想うと忍び難いものがある。
概して日本人には、中東問題は歴史的、宗教的、民族的にも中々理解し難いところがあり、気持ちのうえで現実から大分遠いところで幻想的に見ている傾向がある。6年前にアウシュビッツ強制収容所を訪れた時の印象を「戦争は地獄である。戦争を続けているようではここ(アウシュビッツ)で命を落とした無実の人が浮かばれない」と書いて某紙に寄稿したが、今の憎しみ合った戦いぶりを考えるとイスラエル、ハマス両者ともに戦時中のネオ・ナチが冒した行為と寸分変わらないのではないだろうか。
さて、一転国内の明るい話題を取り上げてみよう。昨日将棋の藤井聡太8冠が誕生したことが、今日の朝刊と夕刊の一面トップに大きく取り上げられている。近所に住む羽生善治9段が、7冠を獲得して当時全タイトルを独り占めした時期があったが、今や無冠の帝王となった。いずれ藤井8冠も厳しい試練を味わうこともあるだろうが、まだ21歳の若さだけに当分「藤井時代」が続くのではないだろうか。
もうひとつ、スポーツのテレビ観戦が盛り上がったようだ。先週1週間(10/2~8)のテレビ視聴率で上位10傑の内、6つのスポーツ中継が上位を占めた。こんなことは、あまり例がないのではないか。朝ドラ「ブギウギ」が始まったばかりで、前回の「らんまん」の視聴率を上回ったそうだが、それをダントツ視聴率21.5%を獲得した生中継、ラグビーW杯で日本が2大会連続予選突破を賭けた対アルゼンチン戦には、とても太刀打ち出来なかった。以下3位アジア大会男子サッカー決勝、5位男子バレーW杯対スロベニア戦、6位アジア大会女子サッカー決勝、8位男子バレーW杯対アメリカ戦、同8位男子バレーW杯対セルビア選、という具合にすべて注目を集めた試合である。
これには、国内に鈴木宗男議員のロシア訪問・党除名、全国銀行協会ネットワーク障害、埼玉県自民党県議団の「子ども放置禁止」条例案の撤回、などお粗末な事例が相次いで起きたので、せめてスポーツ観戦でもして気晴らしをしたいとの気持ちが国民の間にあったのだろう。
5994.2023年10月11日(水) 関東大震災、中国大陸侵略に絡む残虐事件
去る7日に兄と横浜・山下公園の横浜開港資料館(旧イギリス領事館)で開催されている「関東大震災100年展」を鑑賞した。100年前の関東大震災の際、数々の事件が起きたようだが、今まで世間一般には知られていなかった残虐な事件があったことを知り、興味を抱いた。それは、先日9月1日の「震災記念日」に公開された映画「福田村事件」によって改めて注目された残虐な事件である。奇しくも今日知人がこの映画を観て感動したので、観るようFace bookで勧めてきた。
事件自体も映画と同じ「福田村事件」と言われ、震災直後の9月6日に千葉県福田村・田中村を通った香川県の行商人一行15人が、不意に数百人の地元住民に襲われ、9人が死亡した悲惨な事件である。震災では、多くの朝鮮人が襲って来るとか、「朝鮮人が井戸に毒を流した」などのデマにより、当時住民は「朝鮮人の襲来」に備えて武装していた。そこへ通りかかった行商人が聞きなれない讃岐の方言で話していたために、戦々恐々だった住民らは彼らをつい朝鮮人と思い込み、命乞いをした母娘まで殺害したという残酷な事件だった。気の毒にも被害を受けた行商人らは、皆被差別部落出身者だったために名前もすべて仮名だったという。この事件については、辻野弥生さんが事件と同名の著書を再販しておられる。
朝鮮人を殺害した事件は、今以て完全に解明されているとは言えない。今年は震災からちょうど100年となったが、10年前には、衆参両議院に対して、質問書や請願が提出された。その中で参議院に日弁連弁護士らが主体となって提出された、関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相究明に関する請願にかなり具体的な事実が記載されている。
「1923年の関東大震災では、多くの朝鮮人や中国人が日本の軍隊や警察、民衆により虐殺された。また、朝鮮人と間違えられた日本人虐殺事件や軍隊による労働運動家・無政府主義者らの虐殺事件も起きた。しかし、特に朝鮮人犠牲者については、名前や人数など、その実態はほとんど分かっていない。事件後、議員が帝国議会において内務省や地方行政が流言飛語の拡大に関わったことを追及したが、当時の首相は調査中と答えたまま90年がたっている。今日まで虐殺の実態について調査を進めてきたのは各地の市民や研究者であり、流言の流布から虐殺、そして事件の隠蔽に至るまでの日本政府の関与が明らかになった。しかし、これまで日本政府は、虐殺・事件隠蔽に関与したことを認めたことはない。2003年8月には、日本弁護士連合会が日本政府に対して責任を認め謝罪し真相を調査するように勧告したが、これも政府は無視してきた。再びこうしたジェノサイドを起こさないためにも、この事件の解明が必要である。以下略」。
未だ国、官の関わりが不透明であり、今後も同じような経緯を辿るのではないかと考えているが、その一方で真相究明の動きも地味ながら着々と進んでいるので、一応問題点として挙げてみた。
そして「福田村事件」と同様に、一般人が知らない残虐な事件が、震災から10年近くを経た1932年に中国国内でも起きていたことを知った。柳条湖事件から1年後である。撫順市内の平頂山で村人3千人が日本軍によって虐殺されたという事件である。事件を生きのびた中国人も今では全員亡くなった。事件から2か月後、中国は国際連盟に虐殺を告発したが、日本政府は全面的に否定し、今もそのままである。今年大震災100年に当たって知った残虐な事件であるが、遺族たちは日本政府に対し、これまでに3つの要求をしたが、未だ実現されていない。それは、①事実と責任を認め、公式に遺族に謝罪する、②日本政府の費用で謝罪の碑を建てる、③事実を究明し、教訓を後世に伝える、ことである。
これほど残忍な事件が、これまでほとんど伝えられなかったのは、日本の占領時代に起きた事件で日本にとって最早遠い過去の事件とみているからだと思う。しかし、戦後80年近く経って未だに事実が広く伝えられないことが信じられない。だが、他にもまだまだ隠れた事件や事実があるかも知れない。闇に光を照らすべきである。
さて、夜遅くなってから吉報が入って来た。21歳の将棋界のエース、藤井聡太7冠が、永瀬王座に勝ち、残る唯一のタイトルを獲得して将棋界のすべてのタイトルを手中にした。将棋界始まって以来の8冠達成である。メデタシ!メデタシ!