充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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6076.2024年1月1日(月) 元旦早々令和6年能登半島地震発生!!
♪年のはじめのためしとて 終わりなき世の めでたさを 松竹たてて かどごとに 祝うきょうこそ 楽しけれ♪ 国民学校1年生のお正月に学校で歌った唱歌である。
新しい年の幕開けに、空はお正月日和で晴れ上がり、風もなく穏やかな1年の滑り出しである。午後いつものウォーキング・コースの外周りをして駒沢公園に入り、広場と陸上競技場周辺を一巡りしてきたが、昨日行われた高校サッカー選手権試合の雰囲気はなく競技場の門は閉ざされていた。競技場前の広場には親子連れがあちこちで凧揚げを楽しんでいる姿が見られ、正月らしい光景だなぁとしばらく凧揚げを眺めていた。
自宅に戻り、テレビではあまり興味深い番組がなく、テレビを見るとはなしに寛いでいた16時10分ごろ、突然テレビ画面に地震発生と警戒のテロップが流れ、画面は地震報道に切り替えられた。日本海の石川県能登地方を中心に激しい揺れがやって来て、石川県志賀町では震度7、M7.6 という大きな地震が襲い、テレビではアナウンサーも興奮した口調で、直ぐにも避難するよう叫んでいた。驚いたのは地震警報が発令されたのは、日本海沿岸の北海道から九州北部までの広い地域に跨り、その後石川県には大地震と大津波警戒警報が発令されるほど激しいものとなった。NHKアナは、相変わらず東日本大震災を例えに命令口調で早く海から離れ、遠く高い場所へ避難するよう強く呼びかけていた。幸いにして早い警報が発信されたことや、日中だったこともあり夜10時時点では死者はひとりも出ていない。しかし、交通手段は途絶され、停電も石川県などで3万3千世帯に上ると言われている。そして、津波の情報が次々と出され、22時前に新潟沖合で津波が発生したと警報が発せられた。その後23時過ぎに石川県能登地方で2度目の震度7の大きい地震が起きた。テレビでは一層警戒を呼び掛けている。この有様では、余震も含めて夜間の間にまだ地震が発生するのではないかと懸念される。
正月早々の大地震という自然災害発生には驚くが、今日は最初の地震後1日中すべて地震のニュースがテレビ局で放映され、予定の番組はすべてキャンセルされる有様だった。そのため毎年楽しみにしていたウィーン・フィルハーモニーの2024年ニューイヤー・コンサートが観られず、また後日に楽しみを持ち越すことになった。定番のNHK[ニュース7]なんて時間を延長に次ぐ延長をして、23時を過ぎても地震報道をし、しかも他のニュースを一切伝えないような状況だった。今日ばかりは、世界にウクライナもガザ地区の戦争も、自民党安倍派の裏金問題もまったくないような報道ぶりだった。
大地震と言えば、1999年8月にトルコ北西部で発生したイズミット地震を想い出す。第1次世界大戦で激戦のあったチャナッカレに滞在中に大地震に遭遇してしまったのだ。今日の地震と同じM7.6で1万7千名以上の犠牲者を生んだ20世紀最後の大地震だった。滞在中のホテルで夜中に飛び起きてロビーにまで駆け下りた記憶が甦る。ぞっとする気持ちがいつまでも抜けなかった。地震はもう勘弁してもらいたいものである。
さて、お正月の楽しみのひとつに、友人らからもらう年賀状がある。高校の友人のひとりは、これまで医師を務めていたが、年齢を考え今年は引退するという。また、漸くサラリーマン人生に終止符を打つという元銀行員の同級生、同じく文化功労者である女子同級生は、昨年7月天皇・皇后に車いすで拝謁に上がったという晴れがましい報告も受け取った。皆揃って85歳である。中々やるものだなぁと感服している。しかし、人生百年時代の今は、まだまだこれまで通り仕事は出来るし、続けていきたいと思っている。
6075.2023年12月31日(日) 退屈な「紅白」、除夜の鐘で2023年を送る。
早いもので、今年も今日大晦日を迎えることになった。大晦日と言えば、NHK紅白歌合戦が年の終わりを締めくくるには、格好の行事であり、大人も子どもも楽しみにしていると思っていたが、近年は名も知らない歌手が知らない曲を歌うことが多く、あまり興味を惹かれなくなった。時代が移り変わったせいもあるが、曲調が演歌からJ-POP調になり、歌手も漢字よりも横文字や意味不明の名前になって、歌手個人よりもグループで出演することが多くなり、我々長期高齢者世代には中々付いて行けなくなってしまった。今日出場の歌手の名前もあまり知らない。お金をかけた派手な舞台で、ステージも随分移動して、歌を歌うというよりダンスを見せる感じで面白くなかった。演歌のように歌をじっくり聴かせるというわけではなく、聊か失望した。途中で他局に切り替えるほどだった。来年からは期待しないようにしようと思う。
紅白が終わると、いよいよ除夜の鐘に送られて新しい年を迎えることになる。ところが、その108の鐘を突く音がうるさいと住民から警察へ苦情があって、東京都内のあるお寺では、今年は除夜の鐘を中止するという。このお寺では毎月2回早朝についてきた鐘の音がうるさいと苦情が寄せられていたという。それにしても年末の風情を伝えてくれる、旧年に別れを告げる煩悩を取り払う除夜の鐘が、騒音扱いされるほどうるさいものだろうか。近年は町会などで行う夏の風物詩、盆踊りなどへも苦情が寄せられるという。現代の住民感情だろうか、何か寂しい気持ちにさせられる。
もう半世紀以上も前の1967年の大晦日は、第3次中東戦争直後でエジプトの首都カイロから運河の街スエズへ列車で向かい、車中でエジプトの人たちと歌合戦をやった。私はあの時、三波春夫の♪チャンチキおけさ♪をエジプト人の手拍子とお囃子をもらいながら歌った。そしてエジプト人からも地唄のお返しをもらったことが、楽しく懐かしい思い出として今も鮮やかに甦ってくる。あんな図々しく恥ずかしい行動が出来たのは、若さの故であろうか。あのような自由で楽しく自主公演の紅白歌合戦が出来たのは外国という土地柄で珍しかったからであろうし、もう2度と出来ることではない。あれから56年が経つ。あの第3次中東戦争はほんの6日間で終結となったが、今パレスチナの「中東戦争」は、すでに2か月以上も続いている。何とか2024年には戦火が止んで欲しいものである。
今年亡くなった人の中にも懐かしい人が随分いる。作家では、大江健三郎、加賀乙彦、畑正憲、西木正明、音楽家では坂本龍一、ハリー・ベラフォンテ、外山雄三、KAN、社会学者では加藤秀俊、「山びこ学校」の無着成恭、メディアでは西山太吉、政治家では横路孝弘、青木幹雄、シルビオ・ベルルスコーニ、李克強、ヘンリー・キッシンジャー、竹入義勝、創価学会会長・池田大作、スポーツ選手では笹原正三、橋爪四郎、中西太、杉下茂さんらである。それぞれの人に懐かしい思い出がある。
大晦日は1年の最後の日ではあるが、直に除夜の鐘を聞いたのは、横浜市内の妙蓮寺近くに住んでいた45年以上も前のことである。現在では九品仏・浄真寺に行けば煩悩を洗い流せると思うが、近くであっても真夜中に出かける気にはなれない。今日はNHK・TVで京都・知恩院の鐘を聞いた。
いずれにせよ、来年2024年がトラブルのない世の中になり、個人的には自由気ままに健康な生活を送れるように望むだけである。
2023年よ、「さようなら」、「Good-by」、「Adios」、「Au revoir」、「Auf Wiedersehen」、「再見」・・・。
6074.2023年12月30日(土) 無駄の多い国会議員の数を減らしては?
年末を迎え、何かと忙しない時期に入った感じであるが、国会議員だけは裏金問題もあり今のところ大人しくしているようだ。しかし、国民目線からすれば、恥ずかしくて国会議員として凛とした行動が取れないだけなのではないだろうか。
さて、海外では相変わらず、ウクライナとパレスチナ・ガザ地区で激しい争闘が続いている。昨日ウクライナ・キーウでは、昨年2月にロシア軍が侵攻を開始して以来、最も激しいミサイル122発、及びドローン36機による大規模な攻撃があり、23人が死亡したとウクライナ空軍司令官が発表した。東部ドニプロペトロウシク州では、集合住宅などが被弾し、5人が死亡し、南部のオデッサや西部リビウも激しい空爆を受け多くの犠牲者を出した。どうやらロシア軍は、インフラ施設を重点的に狙っているようだ。そのロシアは、昨29日戦況報告で23~29日に50回の集団攻撃と1回の大規模攻撃を実施したと述べ、そのうえどういう神経だか、すべての標的に命中させたと得意げに公表した。
これらのロシアの無人機を使った非人道的な空襲に対して、今朝国連安保理事会は緊急会合を開き、各国からロシアを非難する発言が相次いだ。これに対してロシアの国連大使は、ロシア軍が攻撃したのはすべてウクライナの軍事施設で、民間施設に命中したのは誤ったウクライナ側の対空ミサイルによるものだと反論し、改めて軍事作戦を正当化した。
一方、ガザ地区ではイスラエル国防軍が難民キャンプに前進し、28日にはガザ地区全域で数十人が死亡し、約15万人のパレスチナ人がガザ地区中部から避難を余儀なくされていると国連が発表した。
国際シンクタンクの経済平和研究所が毎年発表する今年の「世界平和度指数」によると、世界163か国の内、ロシアの平和の度合いは最下位のアフガニスタン、イエメン、シリアに次いで第4位にランクされたほど危なっかしい治安情勢にある。アメリカ、中国も100位以下にある中で、日本が10位にランクされているのは、分かる気持ちもあるが、「軍備力強化が平和を守る」と誤解している平和ボケの政治家も多く、面はゆい感じである。
こうしてウクライナやガザ地区では、人々は日々戦火に怯えさせられているが、日本では国会議員が脱税して得たお金を、彼らの都合の好いように使い、それを問われても空とぼけて、決まりきった逃げ口上で責任逃れをしようとしている。これも平和ボケであろうが、平和度指数が上位にいる恩恵だろうか、国会議員とは汗を流さなくてもあぶく銭を手に出来る気楽な稼業である。
今日ネットでXを見ていたら、国会議員の数を半分に減らしてはどうかとの提言があった。大いに賛成である。国会議員が歳費として受け取る給与は、毎月百万円の文書通信交通滞在費、65万円の立法事務費、635万円の賞与やJR、航空券の無料クーポン券、公設秘書の給与分を含めると、一人当たり毎月573万円、年間約7千5百万円になり、各国の国会議員の中でもイギリス、イタリアに次いで3番目に多いという。仮に現在713名の衆参両議員数を半減させたところで、議会活動が低下するとも思えず、その代償として年間約270億円の節約になる。
そろそろ国会議員への無駄遣いと国家財政をスリムにするためにも、現状の国会議員の在り方を検討し始めても良いのではないかと思っている。
6073.2023年12月29日(金) 冷酷で無慈悲な戦後の政治家
今年も残り少なくなった。会社や役所は昨日が仕事納めとなり、故郷の実家へ帰る人たちで新幹線や高速道路は混雑が始まった。荒れた国会、というより自民党内の現在の裏金騒ぎは年末年始の間にどういう結末になるのだろうか。後から後から新たな疑惑の国会議員が現れる。自民党安倍派の大野泰正・参院議員が、5年間に政治資金パーティの最高額とも言える5千万円ものキックバックを得て収支報告書に記載していないことが分かり、昨日東京地検特捜部が事務所、及び自宅に、そして今日岐阜の事務所に家宅捜索に入った。大野議員は世襲議員で、実は元自民党副総裁だった大野伴睦氏の孫だったことを初めて知ったが、世襲らしくあまりの無神経に呆れている。祖父・伴睦氏は良くも悪くも一世を風靡した大物代議士だった。東海道新幹線が敷設された当時は、まだ田園だった新羽島駅開設を強引に行い、力ある政治家のワンマンプレーは一時話題になったものである。政治漫画に、新幹線が新羽島駅を通過する場面では、「バンボク!バンボク!」という汽笛が聞こえると皮肉っぽく描かれていたことを良く覚えている。あくどい行為は、脈々と祖父から孫へ引き継がれたようだが、孫の政治家としての実力は、まったく未知である。昨日のブログにも書いたように、世襲議員にはもう少し制約を課してハードルを上げる必要があると思っている。
そして、戦後世代が多くなった国会議員の間には、戦争の恐ろしさとか、厳しさを知らず、遺族や戦争に悲惨な思い出を持つ人々に対して露骨に無情さを表す無神経な言動が見られるようになった。その典型のひとつとも言えるのが、福岡高裁の判決に従い、昨日沖縄辺野古移設計画埋め立て工事を沖縄県に代わって国が代執行したことである。国が地方自治体の事務を代執行するのは、後にも先にもこれが初めてである。そもそもこの移設計画は最初から沖縄県が認めず、政府は沖縄と充分話し合いをしようとせずに、司法の力に頼った挙句に法律上行けると強引に突き進んだものである。ここには、沖縄県民の声はまったく無視され、戦争で地獄絵図を見た沖縄県民の気持ちを逆なでして、アメリカ政府と米軍駐留軍の意向だけを斟酌した戦後世代自民党政権の無神経と民主主義軽視の気持ちが表れている。
市中にあり危険な普天間航空基地を辺野古埋立て基地に移設させるにせよ、元々普天間はアメリカが占領し、米軍経費で整備したものである。近年は日本政府が防衛費予算の中で思いやり予算と称する支出援助を行っている。この辺野古移設経費もほとんど防衛費予算の中で工面される。
アメリカ政府には、日本の防衛を代行してやっているとの傲慢な姿勢が強く、沖縄県民の感情はまったく頭の中にはない。岸田政権の閣僚には、戦後派らしく沖縄戦争の熾烈さと悲惨さがまったく分かっていない者が多い。沖縄へ足を運ぶ大臣も、回数も少なく、感情的な面を排除して書面上だけで決済を行っている。保守思考だった小渕恵三元首相や、野中広務・元自民党幹事長でさえ沖縄の苦難の歴史に思いをはせ、対話に心を砕こうとした。1996年「普天間返還」日米合意をした当時の橋本龍太郎首相も同じ気持ちだった。特に沖縄県の指導者らとは話し合いは欠かさなかった。岸田政権には、沖縄県との対話を「時間稼ぎ」だと否定している風潮があるというから、岸田政権と沖縄県民の間には、心の通い合いがまるでない。
自民党政権がアメリカ政府に気を遣い、日本は多額の防衛予算を支出して、沖縄県民の気持ちを考えない状態が今後も続くことは、その結果として沖縄戦で多くの尊い命を落とされた沖縄県民に再び煮え湯を飲まそうとしていることになりはしないか。自民党の無情な沖縄観のせいで、現代の日本人は冷酷な民族になったと、後世の人びとから恨めしく思われるのではないだろうか。
6072.2023年12月28日(木) 国会議員に定年制と世襲議員の制約を
昨日ベオグラードに住む友人の山崎ブケリッチ洋氏から、10月に送った「文藝春秋」11月号が漸く届いたとの連絡があった。何と郵送から2か月半も経ってやっと彼の手元に届いたというから今どき考えられないスローペースである。同誌に母校・慶應義塾の特集記事が掲載されたので、目を通してもらいたいと航空便で10月17日に送ったのだが、中々受け取ったとの連絡がなかった。そこで2週間後にメールで尋ねてみた。だが、まだ届いていなかった。彼も気になってその後地元の郵便局へ問い合わせたが、色よい返事はなく、郵便局からももう少し待つようにと言われたそうだ。その後大分時間が経ってから別人からの郵便物を受け取ったということから、雑誌もいずれ届くのではないかと仄かに期待して連絡を待っていた。
彼の話によると今ゼルビアでは、長期政権のセルビア進歩党のブチッチ大統領が権力支配を強化していることもあり、反政府抗議デモにより国内はかなり荒れた状態のようである。そのせいもあるのか、郵便事業関係者も待遇改善を求めてデモをしたり、人出不足により配達業務が滞ったりするようで、友人も半ば匙を投げていたほどである。それはともかく送った雑誌が届いたことにホットしている。
海外との連絡は、メールでやり取り出来るなら良いが、郵便物による交流は難しい点もある。今年に入ってニューヨークに40年以上も居住し、半世紀以上も付き合っていたミヤンマー人から、娘が住んでいるロサンゼルスへ引っ越したと手紙で知らせて来たので、すぐ転居先へ手紙を送ったところ、10日ほどして宛先に該当者がいないと手紙が戻ってきてしまった。何が原因か不明だが、調べようがないので、知人との長い交友関係を諦めざるを得ないかと残念、かつ不本意に思っているところである。
さて、最近自民党安倍派のキックバックが問題になり、有力者が党要職を辞任することが大きなニュースになっている。他にも疑わしい議員がいて、東京地検特捜部が捜査に当たっている。中には安倍派から4千万円を超えるキックバックを受領したが、収入を収支報告書に記入しない悪質な池田佳隆衆院議員について、昨日議員会館内の同議員事務所、及び議員宿舎、名古屋市内の地元事務所などを特捜部が捜索した。ところが、肝心の池田議員が雲隠れして人前に姿を現さない。地元の親しい市議らも所在を知らず怒っているが、今月初めから国会閉会までずっと欠席し、誰もどこにいるのかまったく分からないという。会期中の国会出席は、国民から選ばれた国会議員として最低限の責務である。こういう大事な場を安易にトンズラするような人物が国会議員を務めていること自体問題である。更に江東区長選をめぐる買収容疑で、柿沢未途・前法務副大臣が今日逮捕された。
一方で、国会議員の疑惑の捜査に当たっている東京地検特捜部に対して、政治家への事情聴取とは別に、昨日不名誉な判決が下った。横浜市の化学機械メーカー社長ら3人が、中国への不正輸出の疑いで逮捕されたが、その後無実が明らかになりえん罪事件として、東京地裁が検察と警視庁の捜査は違法だったとして、国と都に対して1億6,200万円の賠償を命じた。
長年に亘る自民一強政治の下で、政治家、特に自民党議員の間には国会議員としての心構えに欠け、すべてを甘く見る議員が多く見られるようになった。そのうえ世間と国民を軽視して、私利私欲に走る政治家が目につくようになった。長年ぬるま湯に浸かった安穏な議員生活に埋没してしまったのだ。このためには、悪弊である党内の長老支配を止めさせる意味でも、国会議員に定年制を設け、また周囲の先代以来の長年の支持者らの支援により当選できる世襲議員にも、ある程度制約を付すことを検討すべき時に来ているのではないだろうか。メディアもこの問題をもっと取り上げて欲しいと思う。