銀座の交詢社ビルで山岳クラブ「慶應義塾大学アルペンクラブ」の永田祐二OB会長を「偲ぶ会」が開かれ出席した。会長は87歳で昨年11月に亡くなられた。
この交詢社ビルというのは、銀座の一等地に建つ由緒あるビルで、多くのテナントが入っているが、福沢諭吉以来伝統的に慶應義塾とは深い関係のある建物であり、慶應三田会関係の集会がよく開かれ利用されている。今日はその恩恵に浴して、楽しく懐かしい集会に出席することができた。会長の奥様も出席され出席者は全員で35名だった。私の同期生も在学中はかなり活動していたが、今では大分冥界へ旅立たれて、今日も寂しいことに私だけしか出席者はいなかった。私は会長の1年後輩に当たり、出席者の中では最年長ということから献杯の挨拶、近況報告などを話すことになり、永田会長の想い出について気持ちを込めてエピソードも交えて話したつもりである。
実は、我々夫婦が結婚して明日で満57年になるが、ホテル・ニューオータニで挙式した結婚式の司会進行を務めてもらったのが、こういう面では手慣れた永田会長だった。大学1年時にクラブに入って最初の夏山合宿が上高地から北ア表尾根縦走だったが、その時から何度となく会長とともに山へ登った。春になってまだ残雪が見られる北ア立山の雪渓を歩いたこともあり、お付き合いしてからかれこれ70年近くになる。昨年のOB総会に十数年ぶりに出席して会長とも久しぶりにお話して、総会終了後に銀座のサッポロ・ビアホールで二次会をやったが、それが最後となってしまった。その意味では、あの時出席して永田会長にお会いできたのは幸運だったと思う。
冬にはスキーにも一緒に行った。その中で一番印象に残っているのは、66年前の1960年2月23日に群馬県新鹿沢温泉に仲間とスキーを履いて訪れた時のことである。途中で永田団長が、携帯ラジオで美智子妃殿下がお子様を生まれたと知り、仲間に知らせた時のことである。忘れもしないまさに今上天皇陛下が誕生された瞬間だった。
立食をいただきながら、出席者が次々と永田会長の思い出話を話していたが、私も知っている話だったり、彼らが会長から温かい指導と対応を受けたことを改めて知ることにもなった。もうお会いすることは叶わなくなったが、アルペンクラブに入り、このように情に溢れ懐の深い永田会長のような先輩と巡り合えたことは、我が人生においても幸せなことであり、運が良かったとつくづく思う。
私も今永田会長と同じ年齢となったが、まだ虹の橋を渡るわけには行かない。会長のような人としての包容力はとても真似できるものではない。「イコール」誌アクティブ・シニア革命グループとしては、年齢的に今が熟年期である。もっと頑張って誇れる書き物を残し、冥土で永田会長に何とか自分なりにやってきましたと胸を張って言えるようになってから旅立ちたいものである。
今日は二次会には出ることもなく帰途に就いたが、それにしても銀座に外国人観光客の多いのには、改めて驚いている。来た時に地下鉄銀座駅で電車から降りた途端、目の前に何人かの外国人がいた。そして改札口を出て地上へ出ると4丁目交差点では外国人同士がカメラでお互いに撮り合っている。近くの露店の周囲にも取り巻いているのは外国人ばかりで、しばらくぶりに銀座へ出てあまりの変わりようにびっくりである。