今日の朝日夕刊の記事によると、佐賀共生銀行では今春の入行前に新人9人に「旅行支援」金として1人20万円、本の購入費に4千5百円を支給したという。入行前にバイトをする新人がほとんどだが、銀行としては助成金を支給して視野を広げ、豊かな価値観や柔軟な考え方を育んでほしいと考え、バイトなんかに時間を使わず自由に旅行してもらった方が参考になるとユニークな試みをした。
皆出発前に課題を設定した。その結果9人の内、4人がひとり旅ではなく一緒だったがベトナムへ行き、他の5人は国内を旅行した。このように今ひとり旅がテレビ、雑誌などに紹介され広く関心を集めている。
実は、今市販中の隔月間誌「男の隠れ家」5月号には、「さすらい、ひとり旅のすすめ」と題して、「珠玉の旅エッセイ20」のテーマで20人のひとり旅が紹介されている。幸いにもその20人のひとりとして私自身も、拙稿「ジャカルタ郊外ボゴールへのひとり旅」を掲載してもらっている。また、昨年10月に朝日新聞では「若者のひとり旅」とのテーマで2回に分けてその理由と魅力、様変わりの様子などを特集記事として取り扱った。
「ひとり旅」と一口に言っても時代によってその様相、条件、利便性、環境などが大分変った。1964年東京オリンピックが開催された年に、日本人の海外旅行が自由化され、誰もが海外旅行を楽しむことができるようになった。ただ、当時と今では旅行の利便性や旅のやり方、楽しみ方が大分変った。当時はひとり1回500㌦(1㌦=360円の固定相場)までしか外貨を持ち出せなかった。このため1967年にひとり旅をした時は、アフリカや中東を3週間ぶらぶらしていたので、極力無駄遣いは避けて節約せざるを得ず、ホテル宿泊ではなく自分用の寝具シュラフテントを持参したものだ。加えて、アフリカでは面倒なのが予防接種で、特に黄熱病の予防注射は1週間間を置いて2度もしたり、出発までの準備も今のように簡単なものではなかった。今では交通機関も整って移動も楽にできるが、昔はそうは行かなかった。その点では私が海外ひとり旅の実行を決意したのは、ベトナム戦争であり、小田実の「何でも見てやろう」と、沢木耕太郎の「深夜特急」を読んで旅の本質に目覚めさせられ、60年前の1966年初めてひとり旅を決断するに至った。
また、現地の人びととの会話も未熟な英語とジェスチャーで押し通し、彼らと話し合って彼らの自宅に招かれるような間柄となって交流を深めることができた。冒頭の雑誌にひとり旅について書かれている人たち20人の中でも、僭越だが、私が一番年長で昔の海外事情を知っていると思う。その頃は怖いもの知らずで「猪突猛進」したことから、度々身の危険を感じたこともあった。特に、ベトナム反戦デモにも参加したことがあり、今のイラン戦争と同様、戦時下のベトナムに行き、いかにアメリカ人が身勝手で理不尽な行為を行っているかを臨場感により知った。ケニアやエジプト、タイでは長距離列車に、またケニアとイランでは長距離バスで、長い乗車の間に知り合った現地の人びとと他愛ない会話を交わしながらも、親しくなってその土地で訪れるべき場所を教えてもらったり、彼らの考え方を知ったり、宴会にまで呼ばれるほど楽しいひとときを過ごすことができた。
去る17日に電車内でオランダ人カップルから言葉が聞き取れなかった時に、スマホに英語で表示して質問してもらったようなケースは今だからこそできることで、60年も昔はこんなことは想像もできなかった。その点で、今のひとり旅はある程度AIなど機器に頼り楽に旅することができるが、昔はひたすら「歩いて歩いて」行きあたりばったりに行動するという状態だった。それが故に、戒厳令下のヨルダンの首都アンマンで、ヨルダン兵士に突然銃を突き付けられ、市内を連行され、一時この世の終わりを悟ったこともある。
以前と今ではひとり旅が本人の気持ちはもちろん、旅行事情の変貌、旅行先の環境などが大分異なっていると思う。いずれにせよ海外ひとり旅によって知ったことや目覚めさせられたことも数多くあった。もう年齢的に無茶なひとり旅は難しいが、生まれ変わったらまたひとり旅に嵌ることだと思う。