6595.2025年6月3日(火) 「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん永眠

 今朝早々に知った訃報に驚いた。あの「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄さんが亡くなられたのである。享年89歳だった。

 長嶋と言えば、立教大学では2度の首位打者となり、当時の六大学本塁打最高記録の8本を放ち、在学中から東京六大学で大活躍した。鳴り物入りで巨人軍に入団し、ジャイアンツの4番打者として投打に活躍、その後入団した王貞治選手とともにON打線として巨人軍を支えた選手である。大学時代のプレーは見たことはなかったが、巨人ファンとして何度も後楽園でその勇姿と活躍ぶりを実際に見た。入団早々、本塁打王と打点王の2冠に輝き新人王を獲得し、翌年には昭和天皇・皇后両陛下ご臨席の初の天覧試合で阪神のエース村山実投手からサヨナラ本塁打を放つドラマチックな活躍など、新聞見出しにはしばしば顔を出していた。天覧試合はテレビで観戦していたが、こういう場面で長嶋選手ならではと感じさせる一撃に大学生の私はすっかり興奮したものだった。王選手とともに巨人軍の黄金時代にV9の中心選手として活躍し、6度の首位打者、2度の本塁打王、5度の打点王とMVPを獲得した。引退試合で放った本塁打を合わせてプロ通算444本の本塁打を記録した。半世紀前に「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残して17年に亘る現役生活に別れを告げた。そして巨人軍の監督に就任し、セ・リーグを5度制覇し、2度日本一に輝いた。引退後は巨人軍の終身名誉監督となった。現役時代の背番号「3」は巨人軍の永久欠番となっている。まさに「国民的英雄」と呼んでも好い。

 朝のTVニュースでその衝撃的な訃報が伝えられてから、メディアは長嶋報道一辺倒となった。それどころか読売新聞は直ぐに号外を発行するし、朝日夕刊は一面すべて長嶋ニュースだった。テレビも日本テレビなどは、ゴールデン・アワーの番組を急遽変更して長嶋特集を2時間に亘って放映する人気ぶりだった。海外でも野球の盛んなアメリカでは、ニューヨーク・タイムス紙が世界最高のひとりだった選手の死を悼んだ。韓国や、台湾でも大きく報道されたようだ。

 お気の毒にも2004年に脳梗塞で倒れてから懸命にリハビリに励む痛々しい姿には、往年の活躍ぶりを想うと同情を禁じ得ないものだった。そして21年の東京オリンピックでは不自由な身体を引き摺りながら王さん、松井秀喜さんとともに聖火ランナーを務めた。国民栄誉賞をはじめとして、野球界からは初めてとなる文化勲章も授与されている。

 今では大谷翔平選手のMLBにおける活躍が高い関心と興味を呼んでいるが、まだMLBと交流がなかった時代、長嶋選手はあるメジャーの球団から声をかけられていたという。本人も入団3年目に、MLBのドジャースでプレイしたいと球団に掛け合ったそうだが、どうしても許可がもらえず諦めたという。もし長嶋選手がMLBに出場したら、大谷選手のようにメジャーで大活躍したことだろう。多くのプロ野球ファンに愛されたあの時代が生んだヒーローと言えるだろう。

 政界からもヒーローの死を悼んで石破首相、林官房長官、菅元首相、小泉農水相をはじめ、その他野球界、芸能界などから数多くのお悔やみの言葉が寄せられ、故人を偲んでいる。いかにその存在感が大きかったか、そして野球ファンばかりでなく多くの人びとから愛されていたかが分かる。テレビで橋本五郎・読売新聞論説委員が、戦後日本を明るくし、元気づけた3人として、美空ひばり、石原裕次郎と長嶋茂雄を挙げていたのが、印象的だった。

 ともかく選手としてばかりでなく、人間的にも明るく素晴らしい選手だった。心よりご冥福をお祈りしたい。

2025年6月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com