物価の高騰が世間の話題に上がり、中でも米価の高騰が国民の日常生活にも大きな影響を及ぼし、このところ連日のようにテレビでも取り上げられている。特に、昨年2月には5㎏当たり2千円強だった米価が、4月には4千円を超え、ほぼ2倍となった。
日本では米の減反政策により、地方などでも休耕田をよく目にするが、米が不足すれば米価が上がることは当然である。食料米が不足しているのに、田圃ではなぜ米作りが行われないのかと、小中高生ら若い人たちの間で疑問が出ている。
日本の農家が米作りを減らすようになったのは、1971年に実施された政府の減反政策に促されたからである。国が都道府県ごとに生産目標量を設定し、農家に休耕や転作を促した。この結果米の作付け面積を減らし、生産量を抑制した。それから半世紀以上も経過して、今では農業から転職したり、休耕面積を減らして農業人口が減ったり、年間の米収穫量を減じるなど、かつての農業日本は、経済成長戦略のしわ寄せによって非農業国となってしまった。
日本はかつて農業国だったとは言え、国民の消費量を賄える食料米は自主生産出来ていなかった時期がある。1950年代には、日本人の年間消費量は約8千万石と言われていたが、供給が充分追い付かず、2千万石が不足して外国産米の輸入によって賄っていた。それがその後20年の間に米の生産量が増え、需要を満たせるようになった当時の政府は、余った米の処分に長期的な計画もなく、上記のように国の政策として食料米の減産を取り入れた。それが今日の米不足、米の高騰につながっている。現在の農業政策、米の生産政策としては、農林水産省が需要予測に基づく生産量目安を示し、主食用米から麦や大豆に転作する農家への補助金が支給されている。また、農業団体などが、需給見通しを基に生産量を調整しているため、事実上の減反は続いていると言われている。
腑に落ちないのは、政府には農業政策に一貫した理論や計画がなかったことである。いつものことながらその場のご都合主義で減反政策や、その後の減反政策中止を決めていたと考えざるを得ない。農業全般を管轄する現農林水産省担当の大臣には、自民党の有力者である石破首相、林官房長官、森山幹事長らも歴任している。だが、皆片手間仕事だったのだろうか、今日午後のニュースで江藤現大臣に関するこんな事実が報じられた。
江藤拓・現農林水産大臣が、昨日地元の自民党佐賀県連主催の政経セミナーで講演して「私は米は買ったことがありません。支援者の方々が沢山米を下さる。売るほどあります。私の家の食品庫には」と食品行政の最高責任者としてあまりにも無神経で、常識に欠ける不適切な放言を行った。江藤大臣は、小澤一郎、梶山静六、浜田幸一、森喜朗氏らと同期で建設相、運輸相、総務長官を歴任し、「日本の植民地時代には悪いこともしたが、良いこともした」との発言で総務長官を辞職した江藤隆美氏の子息で、所詮世襲議員である。こういうぬるま湯に浸かった大臣が米行政を行っているようでは、現在の米の高値をはじめとした米の需給を正すようなアイディアなんて生まれてはこないのではないか。のん気な父さんが、食品行政全般を担当しているようでは、お先真っ暗である。当分米の高騰問題も解決しそうにない。