NPO紙にフランスの世界遺産「モン・サン・ミッシェル」について寄稿文を書いたばかりである。そこはノルマンディー海岸のオバマ・ビーチにほど近い。そこで今から80年前の1944年6月6日、連合軍が200万人の兵士を投入し、第2次世界大戦の死命を制した「史上最大の作戦」と呼ばれたノルマンディー上陸作戦が決行された。
昨日現地では、決戦の日を意味する「Dデー」の記念式典が開催された。式典には、マクロン大統領の他に、チャールズ・イギリス国王、バイデン・アメリカ大統領、トルドー・カナダ首相ら戦勝国の首脳らをはじめ、敗戦国ドイツのショルツ首相や、旧連合国側から多くの関係者が参列した。10年前の70周年式典には招待されたロシアのプーチン大統領が、今年はウクライナ侵攻などのせいで招かれず、戦勝国でありながら唯一欠席することになった。その代わりに旧ソビエト連邦の1連邦国だったウクライナのゼレンスキー大統領が招かれたのもロシア不招待のカラクリのせいである。
実は、先月16日に再放送されたNHKテレビ・ドキュメンタリー【映像の世紀「バタフライエフェクト―史上最大の作戦」】が、このノルマンディー上陸作戦について分かり易く解説していたが、この作戦決行には、当時のスターリン・ソ連首相、ルーズベルト・アメリカ大統領、チャーチル・イギリス首相がイランのテヘランで会談し、積極的に作戦決行を主張したスターリンとは反対に、チャーチル首相は乗り気ではなかった。スターリンの狙いは、独ソ戦の最中に連合軍がドイツを攻撃すれば、ドイツは連合軍と同時にソ連攻撃することが重荷となり、独ソ戦からドイツが戦力を間引くことにより、ソ連は対極東作戦に一層注力出来ると考えたのだ。結果的にロシアの思惑通りとなり、ロシアは日本を侵略し、連合軍は勝利を決定的とした。
このオバマ・ビーチへはモン・サン・ミッシェルや、セーヌの河口オン・フルール、シェルブールなど周辺の風情ある街々を2001年6月に訪れた。その折オマハ・ビーチ近くの丘の上にある戦没者の共同墓地を訪れたが、整然と墓石が並べられた様子を見て、維持管理がきちんとされている点で、国民の戦没者への慰霊の気持ちが伝わってきた。
日本では、毎年終戦記念日の8月15日に日本武道館で天皇皇后両陛下ご臨席の下に全国戦没者追悼式が厳かに行われているが、それ以前に開催される広島、長崎の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、反原発、反核運動のような動きが見られる一方で、政府の反原爆や反戦に対する考えや姿勢が後退するばかりでなく、憲法を軽視するような再軍備の機運が高まりつつあることが気になっている。
さて、最近高齢者ドライバーによる交通事故が目立って増えたが、去る4日に埼玉県熊谷市内の横断歩道を青信号に従い渡っていた小学生1年生のグループに高齢者が運転する車が突っ込み、小学生ひとりが事故後3日経過しても依然意識不明の重体だそうである。84歳の高齢者ドライバーの言によれば、その信号の先の信号に目が行き手前の赤信号に気づかなかったと言う。4年前には、当時87歳の男性が池袋で母子2人を死亡させた生々しい暴走事故を思い起こす。いろいろ個人的な事情があり、彼らは運転を止められないようだが、年齢的に事故を起こす可能性が高いこともあり、80歳を超えたら周囲が説得して運転免許証返納を考えてみることが必要ではないかと思う。
翻って私自身6年前の79歳の時、免許証を返納した。日常生活で時々不便を感じることもあるが、極力バスやタクシーを利用して、維持管理費がかからなくなった点から考えても、結果的には良かったと思っている。苦しむのは、結局本人と家族、そして犠牲者となる本人とは縁のない他人であるということを良く考えるべきだと思う。