5684.2023年3月14日(火) 大江健三郎氏死去と袴田事件

 東京の桜開花宣言が行われた今日、寂しいことに現代の文豪・大江健三郎氏が亡くなられたことを知った。大江氏は、川端康成に次いで日本人としては2人目のノーベル文学賞を受賞された。芥川賞も受賞されているが、その作品「飼育」は読んでいない。谷崎潤一郎賞を受賞した「万延元年のフットボール」は読了したが、万延元年1860年から60年安保までの100年を観察した書であるが、意外にも世間の評価とは異なり、あまり印象に残っていない。大江氏は作家として活動する一方で、社会活動にも力を入れていた。特に、核兵器開発反対、憲法改正反対、特に9条を守る運動には積極的に関わっていた。また、海外でも文人、科学者、社会学者らと親交を重ねてベルリン自由大学をはじめ、国内外の大学で学生たちを指導していた。私が敬愛する小中陽太郎氏とも同年齢で交流を重ねておられた。その小中氏も今病の床に伏しておられる。かつて影響を受けた方々も年齢的にそう活動は出来なくなっている。残念であるし、反面寂しくも感じている。

 また戦後の最大の残虐な事件のひとつ、一家4人殺し犯人と見なされた袴田事件容疑者・袴田巌氏にひとつの判断が下された。東京高裁が検察側の即時抗告を棄却し、再審開始を認める決定を下したのだ。2018年の高裁決定は再審開始を認めなかったが、20年の最高裁の審理やり直しを受けて東京高裁が判断を一転させたものである。事件は1966年に静岡市内で起きた一家4人が殺害された残忍なものだが、その後延々58年間に亘って犯人とされた袴田巌氏の動向を追って、裁判が何度となく繰り返されたものである。袴田氏は長い間犯人と疑われ、収容所収用と放免を繰り返して身柄は法の監視下にある。ほとんど人生を棒に振ったような生活を送ってきた。今や87歳となった袴田氏を陰になり日向になって献身的に支えてきたのは、90歳の実姉である。この姉がいなければ、裁判が続かず、事件はこれほど脚光を浴びることもなく、本人も無理やり軍門に下らされてしまったのではないかと推測される。

 実は、この袴田巌氏は元ボクシング選手だったが、現役時代に試合を観たことがある。大学1,2年生ごろにファイティング原田選手の試合と同じ日に後楽園ジムで、袴田選手が戦い、相手選手名は忘れてしまったが、突進に次ぐ突進で打たれても前へ突っ込む攻撃的なボクシングスタイルは勇ましかった。どちらが勝ったかも覚えていないが、随分積極的な選手だなと思った。そしてそれから数年後に殺人事件の犯人として逮捕された新聞記事を見て驚いたものである。

 私自身いま84歳になって過去に思いを巡らしてみるといろいろ思うことがある。大江健三郎にしても同時代人として同じように憲法改正反対についても意を同じくしていたし、袴田巌にしても図らずも現役時代の試合を観たことで、その後の彼の行動をメディアで報道される限り関心を抱いている。

 多くのことに関心を抱き視野を広げるということは、世の中と自分をすり合わせながら協調していくことでもあると改めて思っている。

2023年3月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com