5575.2022年11月25日(金) 大学ゼミの本質とは無関係な事件

 帝京大学経済学部のゼミで教授が、ゼミ希望者を面接するに当たって女子を優先するような条件を付したと男子学生がツィッターで投稿し、学生へのハラスメントではないかと学内外で物議を醸している。教授の言い分では、すでに決まっているゼミ生の男女比が10:1だったので、残り4人のゼミ生を認めるに際して、出来る限り女子学生に入ってもらいたいとの気持ちが、歪んだ形で公になったようだ。しかもテレビでも報道されるようになって教授自身手に負えなくなったのか、その対応を大学側に任せるような発言をしている。

 この事案が発覚したのは、偶々SNSで当該のゼミを希望した男子学生の名前が「聖奈」という女子と勘違いされそうな名前だったため、教授は男子学生の聖奈を女子と思い込み、直ちにゼミ生と認めたうえで、確認のため性別を本人に直接尋ねて男子だと判明した。ネットによるこの間の教授と学生のやり取りをみると、ゼミで学生として学び研究する真摯な学問から遊離して、アカデミックな空気が感じられない。

 翻って私自身大学経済学部3年生となり、専門課程へ進んだ時、当然のようにどの先生のゼミへ入り、2年間何を専門に学ぶかと考え悩んだ。取り敢えず社会政策系のゼミに入りたいと考えていたので、その中から専門分野の研究課題を見つけて学びたいと思ったものだ。面接していただいた恩師には、これまでに読んだ、或いはその時読みかけていた書物を尋ねられ、河上肇の「自叙伝」、「貧乏物語」を読んだことを伝え、感想をお話した課程で、先生からそれではゼミに入って河上肇を研究してみてはどうかとアドバイスされた。ゼミに入り卒業するまでに河上肇関係文書をかなり読み込み、卒論も拙いながらも何とか「河上肇論」を書き上げた。先生の厳しく懇切なご指導を受けて楽しく充実した2年間のゼミ生活を送ったものだ。

 この帝京大のケースは、ゼミの入り口で起きたやや軽率に失したトラブルだと思うが、ゼミナールは入ってから何を、どう学ぶかということが大事で、ひとりの学士として卒業してから時を経て、ゼミで学んだことが身についているかが問われるのではないかと思う。そういう意味では、ゼミ生活が厳しいながらも楽しいものでなければあまりゼミで学ぶ意味はないと思う。

 この件については、帝京大のホームページに「本学は教員の立場を利用した学生へのハラスメント行為(アカデミックハラスメント)や差別的行為を許容しておらず、決して許されるべきものではない」と公表している。大学では、教授本人に事実関係を確認しているが、本人の説明などは調査委員会の結論が出てから公表すると言っている。

 当教授にやや軽はずみの面があったようでもあり、同時に学生たちにもやや甘さがあったのではないかと考えている。それにしても大学ゼミナールの話題が本題から外れてはいるが、大学のゼミが話題になるのは懐かしく、久しぶりに学生時代を想い出す。

2022年11月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com