5518.2022年9月29日(木) 日中国交正常化50周年を迎える。

 1972年北京で田中角栄首相と中国の周恩来首相の間で日中共同声明に調印して日中国交正常化が成立してから、今日はちょうど50周年に当たる。然るに近年両国間の関係は冷え込んだままである。この3年間両国の首脳会談は開かれていないし、今日東京都内で開かれた記念イベントで日中首脳のメッセージは披露されたが、肝心の岸田首相は出席しなかった。

 両国の友好が遠のいた最大の原因は、中国が国際的に覇権主義的な動きを強めて各国との間に国境線を巡る諍いを生じさせていることが大きい。日本近海でも沖縄県の尖閣諸島周辺海域では公船による領海侵入を繰り返したことが、中国への警戒心を呼んでいる。本来なら同じ共産主義を母体にした日本共産党が、いち早く祝賀イベントに加わる筈であるが、2016年あまりにも非共産党的な中国の言動に日本共産党が愛想を尽かして、中国に三行半を突き付けて絶交を言い渡した。

 今日も出版関係の会社を経営していた知り合いから電話をいただいた時、知人はもう少し歩み寄って祝賀を盛り立てた方が良いと言っておられた。

 50年前は日本の国内総生産(GDP)が3,180億㌦だったのに対して、中国はその約1/3の1,136億㌦にしか過ぎなかった。1978年当時副首相だった鄧小平が、「改革開放」を国家目標に掲げて市場経済に舵を切り、以後日本の対中投資が大幅に増え、中国のGDPは10年間で約2倍近くに伸びた。その後中国経済は年々成長を続け、2010年には中国が6兆871億㌦と日本の5兆7,590億㌦を初めて追い越した。その後日本の経済の伸び悩みに比べて中国は成長率が6%(19年)、2.2%(20年)、8.1%(21年)と発展し続けて、2021年のGDPは、17兆4千億㌦となり、日本の13兆3千億㌦を遥かに凌駕してしまった。

 中国は、アメリカに次ぐ経済大国として著しい経済発展により一帯一路という手練手管を弄して、途上国を意のままに操って債権国として君臨している。日本経済界としては日中間の協力により、相互発展の気持ちが強いが、問題が前向きに解決出来ない原因は旧統一教会との腐れ縁もキレない日本の政治家にもある。

 かつて1970年代に中国を訪れた時、中国はまだ発展途上で素朴ながらもそこここに温かい空気が流れていた。バスは日本製の中古バスで、街行く人々は人民服を着て自転車が多く、街中には壁新聞が多く貼られ、公衆トイレは日本では見られないほど非衛生なものだった。それからほぼ四半世紀が経ったころ、中国はすべてが近代化され街の空気は一変していた。しかし、その時何か気持ちが満たされないような妙な苛立たしさを覚えたことがある。人びとの気持ちも温かく、ホテル内でもチップは受け取らず、スタッフの笑顔が優しかった。それが大分変ってしまったのだ。あんな半世紀前の中国が、今や懐かしく感じられる。日本も中国人にとっては、嫌らしい国民になったのだろうか。

2022年9月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com