日本中を賛成・反対の対立に追い込んだ安倍晋三元首相の国葬が、今日日本武道館で4千3百人の参列者の下に午後2時から行われた。元首相が想像もしなかった銃弾によって倒れただけに、数日前から式場周辺には厳重な警戒網が敷かれていた。今日も、その警戒は厳しく蟻の入り込む隙間もないくらいだったが、国会議事堂周辺では国葬に反対するデモが行われ、日比谷公園では反対の集会が開かれていた。
国葬は、去る19日に行われたエリザベス英女王のケースとどうしても比較してしまう。世界中の人びとが国葬で女王の死を悼んだのに対して、安倍元首相の国葬は国民の過半数が反対という有様である。女王が別れを惜しむ大勢の国民に見送られたのに比べ、式場も重厚なウェストミンスター寺院に比べると、そのスケールや厳かさは比べようもない。それでも武道館の周囲には、献花をする人たちの長い列が続いていたが、これほど多くの人が元首相へ弔意を示したい気持ちがあるとは意外だった。特に九段坂公園の一般の献花台には、当初の時間を繰り上げ9時半から受付、終了時間も当初の4時から5時まで延長され打ち切られたほど、安倍氏の遺影に花を手向け手を合わせる人が多かったようだ。
遺骨を抱いた昭恵夫人が乗った車が、安倍邸を出て武道館の前に向かったのが、つい先日まで実弟の岸信夫氏が大臣を務めていた防衛省だったのは、何やら意味深だった。元首相が第1次政権で、従来の防衛庁から防衛省に格上げしたことや、第2次政権では安全保障関連法の制定に取り組んだことがあった。更に防衛費予算の拡充の道筋をつけた元首相と防衛省との闇の関係があったからだろう。確かに今日の国葬では、全体的に防衛省が手を貸している場面が多かった。国民の半数以上が反対する中で強行された国葬は、今後課題を残すことになるだろう。
ところで、先日ほぼ半世紀前にカンボジアのポル・ポト政権が冒した大虐殺事件の裁判に終止符が打たれた。ベトナム戦争末期に起きた異常な事件だけに、当時はそれほど過大に報道されなかった。しかし、その後当時の人口の約1/4に当る170万人が殺戮されたことが判明した。しかし、ポル・ポト政権が倒れた後も内戦が続き、法廷が設置されたのは、四半世紀以上が経ってからだった。裁かれたポル・ポト派の最高幹部5人の内、4人は高齢のため裁判の過程で死亡し、生存者も老齢で裁判の進展は望めず、中途半端な幕引きのような形を取らざるを得なかった。
この負の置き土産として些か気になるのは、元ポル・ポト派のフン・セン現首相である。すでに首相在位が35年を超え、今も異論を排したり、NGOを弾圧したり、その独裁色は異常である。そのフン・セン首相が、今日安倍元首相の国葬に参列されたのだ。かつてスターリン、毛沢東らの偽共産主義者が、独裁的に権力を握った時期に、対立者を世界史上に残るほど多数虐殺したが、ポル・ポトも同じ道を歩んだ。今その生き残りであるフン・セン首相が揺るぎない独裁者となり、同じ轍を踏まないという保証はない。安倍元首相は、どういう経緯か、このフン・セン首相と馬が合ったようだ。そのフン・セン首相と岸田首相が明日弔問外交ということで会談するようだが、少々気になることである。