5370.2022年1月24日(月) 2つの沖縄市長選と2人の旧日本兵

 昨日行われた沖縄の2つの市長選の内、米軍の辺野古への移転問題が話題の名護市長選は大々的に取り上げられたが、もうひとつの南城市の市長選はあまり話題にもならず、今日の朝刊、夕刊にすら1行も報道されていない有様である。しかし、この南城市長選こそ現職の瑞慶覧長敏氏が、古謝景春・前市長に僅差で敗れ「オール沖縄」としては、名護市長選で渡具知武豊市長に敗北を喫したこととともに大きなショックであろう。比べて見ると名護市長選の投票率は、68.32%で4年前に比べて7.6%も低かったが、南城市長選のそれは、69.22%で前回より2.2%高かった。特に南城市の勝者、古謝景春氏は、2006年に南城市発足以来3期に亘って市長を続け、4年前に新人の瑞慶覧氏に一敗地に塗れたが、今回僅差でリベンジを果たし再び市長へ返り咲いた。不思議な土地柄である。

 それにしてもなぜメディアは同じ沖縄の2つの市長選に甲乙つけるような報道をするのだろうか。確かに知名度や、土地柄、訴求力、重要性などの点で世間の関心に差があり、名護市長選の方が重要であることは認めるが、南城市が刺身のつまにされた感は否めない。

 それにしても2つの市長選で感じたことは、激戦の地で多くの犠牲者を生んだ悲惨な過去を持つ沖縄も、かつてのような反戦、反米の機運が少しずつ消えていくような気がしている。ひとつには、基地の存在を黙認することによって数々の経済的支援を受けられることと、もうひとつは、若者の間に戦争の悲惨さを知らない世代が多くなったということである。

 この2つの選挙を通して、基地反対闘争などで活動している人々の気持ちが折れないことを願っている。選挙の結果を聞いてニヤニヤしていた茂木自民党幹事長の心は、沖縄は抑え込んだとの気持ちがあるのではないだろうか。

 さて、今日旧日本兵の横井庄一さんがグアム島で見つかり救出されてからちょうど50年になるという。当時衝撃的なニュースで強く印象に残っている。サラリーマン時代、旧厚生省の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に20年ほど携わって度々サイパン、グアムなど中部太平洋諸島を訪れていた。その時遺骨収集団団長だった厚生省課長から度々横井さんとフィリピン・ルパング島で発見され帰国した元陸軍少尉・小野田寛郎さんの話を聞いた。偶々小野田さんは今年生誕百年にあたる。2人の軍歴と人間性が大分異なることに興味を抱いて、2014年に上梓した「南太平洋の剛腕投手」の中に1章を書いた。ところが、出版社から文章全体が長すぎるので、少しカットして欲しいと要望され、全体的に少しずつ削除してみたが、どうも思わしくなく、止むを得ず横井さんと小野田さんの1章をまるまる削除してしまった。今考えて見ると実に惜しいことをした。しかも不思議な縁であろうか、グアム島で横井さんが見つかった洞穴を訪れたこともあり、また小野田さんがフィリピンから羽田空港に帰国した日、1974年3月12日に行違うように「陸軍航空飛行第12戦隊」の戦友さんたちとビルマへ慰霊巡拝団の添乗員として旅立ち、小野田さんとすれ違いとなったが、「戦地へ行く人、帰る人」と翌日の新聞紙上に取り上げられたことがある。横井さんも小野田さんもすでに黄泉の世界へ旅立たれたが、改めていつか2人に関して、同じ旧日本兵でもその環境、現れ方、性格の違い等々について書いてみたいと思っている。

2022年1月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com