4894.2020年10月5日(月) 教員海外教育視察団の思い出

 東京医療センターで白内障手術後3度目の検査をしてもらった。医療センターは幸い自宅から近いので、約束の朝9時前にはセンターへ着いた。ほんの徒歩20分足らずで着いて、帰りも歩いて帰って来た。

 執刀医師からは、術後の経過は順調というお話だった。3週間後にまた検査していただく予定である。術後は毎日3種の点眼薬を日に3度さしている。薬が少量になったので、医師に予備の薬の処方箋をお願いしたところ、減り方が少し早すぎると言われた。よくよく尋ねてみたら、これまで点眼量を知らずに目にこぼれんばかりにさしていたが、それでは多過ぎて反って目には良くなく、3度の点眼の都度3種の点眼薬をそれぞれ1滴ずつで充分だと言われた。しかし、こういうことは最初に言ってもらわないと誰だって困ると思う。

 私には縁も所縁もないが、お名前だけはよく知っていたファッションデザイナーの高田賢三さんが、昨日選りによって新型コロナウィルスに感染してパリの病院で亡くなられた。私より遥かに先輩だと思っていたところ意外にも1歳若かった。私もコロナには気を付けなければいけない。彼は、ブランド「ケンゾー」を立ち上げ、長年パリで活躍された。イダルゴ・パリ市長がツィッターで追悼の言葉を送り、フランスの主要紙が一斉に速報で伝えたというから日本人としては稀にみる大きな存在感だったことが判る。

 さて、閑話休題。これまで海外へ業務、プライベートを含めてかなり出かけているが、先日延べ日数にしたらどのくらいになるだろうかと友人と冗談半分に話していて、渡航回数が多いことと細かい日程などは記録がないので、分からないと応えた。だが、添乗員として同タイプのツアーに何度もでかけた一つのケースとして、旧文部省が主宰していた教員海外教育視察団がある。幸いこれは各団ともに文部省の決まりで各団が報告書を作成し、その1部をいただいたので、有難いことに訪問先や日時、団員もこの報告書を見れば昨日のことのように思い出すことができる。

 そこには視察団それぞれの懐かしい思い出が沁み込んでいる。離陸直前に搭乗機の機械部品に不備が見つかり、急遽滑走路から引き返し成田に1泊して1日遅れで出発したことがあった。また、ビートルズのジョン・レノンが暗殺された時、マルセイユで学校訪問中だったが、マルセイユでは号外も出て大騒ぎだった。オクラホマ州議事堂で州知事を表敬訪問したこともあった。アメリカ・ニュージャージー州では、パトカー先導でサイレンを鳴らしてニューヨーク郊外を走ったこともあり、東西冷戦下に東欧圏のブルガリア、ルーマニア、東ドイツ、チェコスロバキアなどの学校視察でマルクス経済学の授業を参観したこともあった。

 それら文部省派遣団体は、教員を主とする全国の教育関係者からなる30日間の長期団と、短期団と称する各都道府県単位の16日間の行程の2種類があり、1976年から1994年までの間に21団に添乗員としてお供した。長期団9団の他に、短期団では茨城5団を筆頭に、山梨2団、東京、埼玉、群馬、福井、兵庫の各1団を合せて12団である。旅行日数を数えてみたら、実に合計で462日に上る教育視察の旅だった。今指折り数えてみて、懐かしいこともさることながら、普通では訪れる機会がない学校をはじめ教育施設を見学させてもらったこと、同行した先生方との交流がとりわけ記憶として鮮明に残っている。どの視察団も帰国後毎年同窓会を行っていたが、今では参加者の間に寄る年波がやって来たこともあり僅か1団、1985年の兵庫県団だけが1年に1度の集まりを持っているに過ぎない。これら教育視察団では、普通の観光ツアーでは行けないような歴史のある地方都市を訪れることが出来た。懐かしくもあり、寂しくもある。振り返ってみるとみんな素晴らしい旅だった。この文部省団で自らも学ばせてもらい、有意義な旅だったと実感し、つくづく幸せだったと思っている。

2020年10月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com