6444.2025年1月3日(金) 権力者でも勢いに流されるものだ。

 昨日から行われていた関東大学対抗箱根駅伝は、昨日往路でトップだった青山学院大が5人の選手が安定した走りをして大会記録で総合優勝した。一方、昨日はやや精彩を欠き期待を裏切ったかの感があった4位の駒沢大が、今日は奮起して2位に入り、記録も優勝した青山を上回って復路優勝となったが、昨日の記録がやや遅すぎて残念ながら2位に甘んじることになった。見事だったのは、出雲と全日本を制した国学院大が初優勝を目指しながらも3位に入ったことである。以下4位は早稲田大、5位中央大となった。

 今日は全国高校ラグビー大会の準々決勝4試合が大阪花園ラグビー場で行われたが、テレビ中継がなく観られず残念に思っている。昨年優勝の神奈川県代表・桐蔭学園が大阪桐蔭学園に勝って準決勝へ進んだ。これに関して思うことは、私が高校時代にラグビー部主将を務めた県立湘南高校は、近年かなり実力が上がり良いところまで勝ち進むが、強豪私立校が出揃うベスト8までが精いっぱいで、いつも私立の強豪校の壁をぶち破れずにいる。昨年もそうだったが、今年度も後輩たちは、この桐蔭学園と県大会準々決勝で顔を合わせ0-148のスコアで大敗を喫した。

 さて、世間には公表されなくても秘匿されたビッグニュースもいつかは公に明らかにされることがよくあるものだ。このほどイギリスのフィナンシアル・タイムズ紙が明かにしたところによると、昨年大晦日にロシア軍の機密文書が明かされ、今から10余年も以前のことであるが、ロシア軍が日本や韓国との戦争を想定して、160か所もの攻撃対象リストを作成していたと伝えた。関門トンネルや東海村の原発施設、北海道奥尻島の航空自衛隊レーダー基地などがターゲットとして含まれていたという。もっと他の施設も明らかにして欲しいものである。他にもたくさんインフラ設備などが対象になっていたのでないかと考えるとおぞましい気がする。しかし、恐らくアメリカ軍の手には、それ以上に日本国内の重要施設で致命傷となりかねない施設なども日本には知らされず、アメリカ軍の掌中にるのではないかと考えられる。

 昨年も各地で戦火が激しくなったが、今年もあちこちに点火するのではないかと気がかりである。今朝の朝日新聞にこんな記事が出ていた。「百年―未来への歴史・・・デモクラシーと戦争」によれば、先の戦争直前から日本の中枢部には、「勢い」と「大勢」という言葉が、支配していたとして、真珠湾攻撃の直前緊迫した空気の「天皇絶対」観があった環境下で昭和天皇が戦争を止めようと思ってもどうしても勢いに引きずられてしまった、開戦は避けられなかったそうである。同じように近衛文麿首相にしても日独伊3国同盟は必然の勢いだと述べていたとされる。これについて、政治学者・丸山真男が述べた「つぎつぎになりゆくいきおい」の考えを応用して、「戦前の日本では、時勢の流れの前に人は無力であり、時勢の必然ならばあらゆる人々が全力で順応すべきだとの論理で、『勢い』の概念が成り行きまかせの政治判断・行動を正当化する言説として使われた」と解説する学者もいる。つまりある考えが固まってくるといかに絶対君主の天皇であろうとも勢いに流されてしまうということを言っているのであろう。いざとなってもそういう方向に進まないよう十分気をつけなければいけないと痛感する。

2025年1月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6443.2025年1月2日(木) 新年早々治安三流国アメリカで大量殺戮

 正月2日は、毎年テレビのスポーツ中継魅入られる。今日、明日の2日間行われる第101回関東大学対抗東京・箱根間駅伝第1日目では、予想に違わず、優勝候補の筆頭った青山学院大が最初の1区では10位だったが、徐々にトップとの差を詰め、最終5区の山登りでトップの中央大を追い抜き、昨年に続き往路優勝を飾った。毎年優勝争いをしている駒沢大が、1度もトップ争いをやることなく往路4位にやっと食い込んだ状況なので、明日の復路も青山学院大の独走になり2年連続総合優勝を飾ることになるのではないかと思う。

 レースに直接関係ないことであるが、今年の出場選手のユニフォームを見て、少々変わったなと思った。いつもより黒っぽく地味に見えた。パンツは21チームのうち、約15校が黒っぽかったし、シャツが黒色のチームが半分くらいあった。もう少し若者らしく明るいカラーを使用した方が、チーム全体の雰囲気が明るくなると思う。創価大なんか、昨年までは青と赤を採り入れた若干目立つシャツを着用していたように記憶しているが、今日は上も下も真っ黒だった。どうでも好いようなものかも知れないが、他のスポーツ選手のユニフォームは、年々華やかな色彩を採り入れているのに、どうして箱根駅伝だけが今年になってこのような地味なユニフォームを着るようになったのか謎である。

 高校サッカー全国大会の試合も中継していたが、全国大学ラグビー選手権大会準決勝、帝京大対明治大、早稲田大対京都産業大の2試合を今年も観戦した。大会3連覇中の帝京大が予想通り明治を破り、京都産業大を下した早稲田と決勝戦で対決することになった。今年の関東大学対抗戦ですでに対戦していて、早稲田大が勝利を収めているので、帝京大の4連覇は難しいと思うが、13日成人の日に行われる決勝戦は熱戦が期待される。今から楽しみである。

 かつては、大学と社会人チームの実力は伯仲して甲乙つけ難かったが、近年は社会人チームのレベルが圧倒的に高くなり、日本選手権もかつては社会人チームと大学チームのチャンピオン同士が日本一の雌雄を決していたが、今では社会人チームの間で日本一のチームを決めている。大学選手権の後は、社会人選手権の日本一決定戦を楽しみにしている。

 さて、正月早々に治安面で悪評が高いアメリカ社会で、また大事件が勃発した。何度も訪れたことがあり、ジャズの街として知られるニューオーリンズの繁華街で車が暴走し今日時点で15人が死亡し、35人が負傷したという。銃を所有していた犯人は、その後警察官と撃ち合いになり、射殺されたそうだが、過激派組織「イスラム国」に影響を受けていたようだ。それにしても1年を通じてこうも恒常的に殺人事件が起きるというのは、間違いなくアメリカ社会に大きな欠陥があるからである。バイデン大統領は、「いかなる暴力も正当化できない」といつもと同じコメントを述べているが、それなら解決策をどんどん積極的に進めるべきではないか。問題は深いところにあり、これまでの政府首脳が一向に治安悪化を解決しようとの意思を示さず、放置しているからである。アメリカのGNPは確かに世界一であるが、厳しく言えば、アメリカは国家としては三流で、アメリカ人自身も三流人と見做さざるを得ない。

2025年1月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

6442.2025年1月1日(水) 1年の始めに当たり想うこと

 今日は令和7年の正月元旦、1年の始まりの日である。西暦なら2025年、紀元で言えば2685年、昭和ならちょうど100年に当たる。見上げれば透き通るよう青空が広がっている。 

 ♪年の始めの 例として 終なき世のめでたさを 松竹たてて 門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ 

 「1月1日」という戦前・戦中の唱歌である。終戦の年・1945年疎開先で小学校(当時の国民学校初等科)へ入学して1946年正月の3学期の始業式で唄ったことを覚えている。そして翌2月の紀元節(現在の建国の日)に紀元節の歌、

 ♪雲に聳ゆる 高千穂の 高根おろしに 草も木も なびきふしけん 大御世を 仰ぐ今日こそ たのしけれ

 を同じく学校で大きな声を張り上げて合唱したことも懐かしく想い出す。今年は昭和100年、太平洋戦争終戦の年から数えて80年になる。いずれの唱歌も、今ではまったく歌われなくなった。その背景には、歌が象徴しているのが、神道であり、天皇家であり、戦後GHQにより学校で唄うのが禁止されたからである。

 以前は、元旦になると今も恒例として行われている母校ラグビー部OB会主催ラグビー祭に参加して、OB・現役一体となった交流会に参加していたが、コロナ渦になってから車を処分したことと、コロナは去ったとは言え、元旦早々老妻を家に残して1日外出し難くなったこともあり、ラグビー部には毎年些細な志を贈るだけで許してもらっている。

 今日皇居では新年祝賀の儀が行われ、天皇が皇后ともども皇族や石破首相らから新年のお祝いを受けられた。午後には日本に駐在する外国大使から挨拶を受けられた。明日は新年一般参賀が行われ、天皇、皇后両陛下から参拝者に新年の祝辞が述べられる。昨年は元旦に襲われた能登半島地震の被害を考慮され、見送りになったので、今年は2年ぶりということになる。被災地では、それぞれ各自治体でも犠牲者の追悼式が行われた。能登では9月にも豪雨が襲い、2度も悲惨な目に遭っている。復興はまだ遥かに先でいつになるのか分からない。地元民にとっては、2度とこのような残酷な災害が襲来しないように祈るだけである。

 昨晩NHKテレビで恒例の紅白歌合戦を見るとはなしに、時々観ていたが、年末年始よう厳かあるべき時に、ショーが賑やか過ぎてどうも落ち着かない。今風の歌激しい楽器の音や派手なダンスなどを採り入れ、喚いたり怒鳴ったりして彼らが唄う歌詞には詩的な要素がほとんどなく、単語を並べているだけで意味不明なものが多くとても落ち着いて聴こうという気になれない。そんな時には、思想的なことを考えずとも昔の年末年始の唱歌を聴く方がどれほど気持ちが落ち着くことだろうか。

 お正月用にはもう少し落ち着いた、詩情溢れる歌があって欲しいと歌に明るくないド素人は思う。

 今日元旦ならではの年賀状を楽しみに受け取っていろいろ思いを巡らしながら、送り主のことをあれこれ想っていた。少々びっくりしたのは、来年から年賀状を辞退したいという友人が、13人もいたことである。私と同年配以上ならともかく、中には50歳前後で来年から年賀状と縁を切りたいというのもあった。残念ながらこれまで書いてきた年賀状の本来の意味がよく分かっていないようだ。いずれにせよ、年賀状を通信手段と考えているとしたら、少々手間がかかるので、他の通信手段に代えたいということなのだろう。まあ時代の成り行きでこれも致し方がないのかも知れない。それにしても年賀状廃止の傾向は時代の流れということで片付けられそうだが、文化的習慣の消滅と人々の心に他人の気持ちを思いやる心情が少し失せてきたことではないかと考えている。

 さぁ、今年も健康に配慮しつつ、知人友人らとの交流を続けながら、前向きな気持ちを堅持しつつ個性的な執筆活動だけは気持ちを入れ込んで続けて行きたいと思っている。

 夜は例年通り、NHK・Eテレビでウィーン・フィルハーモニーの新年演奏会を楽しんだ。ラデツキー行進曲の軽快で力強いリズムに乗って今年も明日から頑張って行こう。

2025年1月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com