5938.2023年8月16日(水) フランクリン北極探検隊失踪の謎

 去る11日は祭日「山の日」だった。今年の「山の日」は天候が山登りには適さなかったようだが、それでも多くの人々が各地で登山を楽しんだようだ。3日間の連休中に富士山へ登った人は約1万人と推定され、年々外国人登山者の数も増えているという。最近話題になるのは、富士山で「弾丸登山」と呼ばれる荒っぽい登山をする人たちで、他の登山者への迷惑にはお構いなく、ただ富士山へ登ろうとの一心で登山道で仮眠したり、休息を取る人たちである。彼らの間では山小屋に宿泊せず、一気に頂上を目指す登山者が多いという。また、他にもテレビを観てみると随分簡単な身なりで登山している登山者の姿も目に付く。彼らの服装はとても登山者とは思えず、まるで夕涼みの散歩スタイルである。こういう安易な登山スタイルは低体温症になる危険が多く、地元のガイド組合や観光協会でも一歩間違えると遭難の危険があると警告している。
 そういうやや安易な登山者に比べて、「NATIONAL GEOGRAPHIC」8月号特集記事に取り上げられたロマン溢れる「北極探検隊 失踪の謎を追う」は、真面目にテーマに取り組み写真と地図も併せて目新しい冒険ストーリーである。そもそもそのきっかけは、19世紀半ばにイギリス人ジョン・フランクリン隊長率いる探検隊が北極海で消息を絶った北西航路を、昨年「NATIONAL GEOGRAPHIC」チームが、その足跡をたどる航海に出たことにある。

 8月号は、その経緯を記録したものである。フランクリン隊長は、まだ誰も成し遂げていない北米大陸の北の氷に閉ざされた海域を抜けて太平洋に出る北西航路を切り開こうとした。これはアメリカから極東への新しい交易路として期待もされた。ところが、彼が率いた2隻の船、エレバス号とテラー号、そして乗組員128人が忽然と姿を消し、その後長い間記録等全体の詳細は分かっていない。「フランクリンの謎」と呼ばれているほどである。普通の海洋を航海するのとは異なり、北極海では氷山や氷柱が障碍となり、危険ですらある。船が氷山に囲まれその氷山が大きくなったら船はたちまち押しつぶされ破壊させられてしまう。そういう危険な北極海では夏の短い期間だけしか航行出来ない。2隻の船は1845年にイギリスを出港したが、2年目はほとんど氷に閉ざされていたという。4年目になって遂に船を放棄した。2隻の内エレバス号の残骸が2014年に放棄した島の反対側の海底で発見された。

 「NATIONAL GEOGRAPHIC」チームは、北西航路を辿って110日後にゴールであるアラスカ州ノームに着いた。彼らがどの程度当初の目的を果たせたのかは定かではないが、フランクリン隊長らと現地のイヌイットらとの交流などは想像することが出来る。とにかくスケールの大きい冒険旅行である。

 一見「弾丸登山」と変わらないと言えないこともないが、計画性や装備品、準備、アカデミック性などを考えると自ずから無謀な「弾丸登山」とはまったく異なることは歴然である。

 中々面白い特集読み物で、ロマンを感じた。

2023年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5937.2023年8月15日(火) 78回目の終戦記念日を迎える。

 今日78回目の終戦記念日を迎えた。例年通り東京九段の日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が、天皇、皇后両陛下ご臨席の下に開かれた。生憎台風7号の影響もあり、10府県の遺族が参列を見合わせた。年々参列者の高齢化が進み、出席した遺族の内75%以上が70歳以上だった。戦争を知る世代が年々少なくなっていく。どうやって戦争の恐ろしさと惨めさを後世へ伝えていくことが出来るのか、大きな関心事であり、これからも引き継がれるべき課題である。

 私自身振り返って、1945年3月に父の転勤と疎開を兼ねて千葉県勝山町(現鋸南町)へ引っ越し、4月に大量の牛乳缶を馬車で運んでいた父の会社の人に勝山国民学校へ連れて行ってもらい初等科へ入学した。晴れて国民学校1年生になった。両親ともに息子の入学式になぞ出席している余裕がなかった。まだ友だちは誰もいない。父は千葉市内へ毎日片道2時間半もかけて列車で通っていたが、最初のころは母も近所には親しい人は誰もおらず、それでも勤労奉仕には強制的に狩り出されていた。近くの館山市内に旧日本軍の施設があるせいで、わが田舎町まで米軍機の空襲が激しくなり、毎晩のように敵機を探知しようと鋸山頂上の軍の探照灯が闇夜を照らしていたのを2階の窓からじっと見ていたのをよく覚えている。昼夜を問わず空襲警報のサイレンが聞こえると同時に、母や兄弟と近くの岩山の横穴式防空壕へ逃げ込んだ。一方学校ではこんな際どいこともあった。お母さん先生に連れられて校外のお花畑へ同級生と揃って出かける途中で、米戦闘機編隊が低空飛行して接近し銃撃直前になって急遽機首を上空へ向け飛び去って行ったが、先頭の機長の目に我々のような幼い子どもたちが逃げ惑う姿が映り、哀れと思って見逃してくれたのではないかと後になって考えたことがある。

 その後社会人になって旅行業に関わることになってからも戦争に関する業務に携わることが多かった。1970年当時ビルマ(現ミヤンマー)は国の特殊な事情によりほとんど日本から戦没者慰霊団を受け入れていなかったが、ビルマ戦友会から慰霊団計画の相談を受け、直に交渉するより方法はないと思い、単身ビルマへ飛んだ。慣れないながらも現地でビルマ航空とぶっつけ本番で交渉して陸軍航空隊として初めて「加藤隼戦闘隊ビルマ慰霊団」を計画、実行した。思いがけずビルマ政府から晩餐会に招待され、それが新聞やラジオで広く報道され大いなる反響があった。それが転機となり、以後毎年ビルマをはじめとする東南アジアへ慰霊団を計画した。更にそれがきっかけとなり、当時の厚生省からも太平洋戦争戦没者遺骨収集事業を仰せつかり、十数年に亘り毎年中部太平洋諸島への遺骨収集団で、1か月間も「玉砕の島」サイパン島を中心に滞在することになった。

 偶々一昨日の朝日新聞朝刊に遺骨収集に関する記事が載っていた。それによると「海外戦没者240万人、収集された遺骨128万柱、過去に身元判明1232人」だそうである。加えて「進まぬ国の遺骨収集 遺族『それだけ高齢化進む』」とある。これに付け加えるなら、日本人の犠牲者は310万人、東京大空襲死者8万3千人、広島・長崎原爆犠牲者死没者名簿に51万人、等々戦争がもたらした惨禍は限りがない。

 私たちが毎年お世話して順調に続けられていた遺骨収集が、今では当時より遺骨収集団の規模は小さくなり、収骨数は遥かに減ったようだ。これでは、戦争の整理はいつまで経っても片が付かない。何とか以前のように遺骨収集に厚生労働省も本腰を入れて欲しいものである。

 「戦争は怖い!」「戦争は2度と冒してはならない!」とは誰しも思うことである。日本国憲法でも戦争の放棄は第9条に明確に記載されている。だが、実際には現状は、日本政府が憲法違反を冒しながら、戦争への道をひた走りなのだ。

 昨年末には「安保3文書」を閣議決定し、自衛隊に敵基地攻撃能力をもたせるように今後5年間に巨額の防衛費43兆円を決定した。再び戦火に巻き込まれるのは耐えられないので、これは好戦的な国会議員には嫌みに聞こえるかも知れないが、この先戦争ムードが高まり、そのうえ体調が最悪になった時には、今生からお別れしたいと思っている。

2023年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5936.2023年8月14日(月) 気骨ある外交官だった佐藤尚武元参議院議長

 このところ終戦記念日が近づいたせいか、太平洋戦争関連のドキュメント・ストーリーの放映が目につく。去る9日、NHK「昭和の選択」が「平和を手放した日~幣原喜重郎国際協調外交の誤算」と題して歴史家らのトークと映像を映していた。幣原と言えば、戦前から外交官、そして外務大臣として国内外の難局に取り組んでいた。旧日本軍の満州、中国進駐につき、欧米から批判を受けながら懐柔策を政府に提案したが、国内では彼の意向は軍部に抑えられ提案は伝えられることなく外相を辞めざるを得なかった。戦後は総理大臣として、また衆議院議長として活躍された。

 実は、幣原喜重郎衆議院議長については、佐藤尚武参議院議長の名前と一緒に小学5年生の時、初めてその名を知った。偶々昨日の朝日朝刊「日曜に想う」で曽我豪・編集委員が、「78年前の夏の異議申し立て」と題した論説の中て、その佐藤参議院議長の筋を通す誠実さ、及び気骨ある性格と戦前、戦後の良識ある言動を高く評価している。佐藤も幣原同様に外交官出身で、終戦の年にソ連駐在大使を務めていた時、ソ連が終戦直前、特にドイツの降伏後には原爆投下で疲弊していた日本へ侵略し、日本領の一部を手にいれるべく動いていたことを察知していた。その最中の1945年8月8日、佐藤はソ連外相から対日宣戦布告を受けたという。

 曽我氏が特に佐藤を評価しているのは、毅然として自らの考えを貫き、職業、立場などによこしまな気持ちを抱かなかったことである。例えば、終戦の1か月前東郷茂徳外相からソ連に和平の仲介を頼めとの指示を受けたことに対して、異議を申し立てた。和平の条件として「皇室の維持」があったからである。佐藤は、「すでに抗戦力を失いたる将兵およびわが国民が全部戦死を遂げたりとも、ために国家は救わるべくもあらず。七千万の民草枯れて上ご一人ご安泰なるをうべきや」と皇室維持の一点だけを主張する上司東郷外相に異議を唱える長文の電報を打った。政府の所信に反するのを知りつつ、敢えて反論する罪の深さを自認していながら、言わずにはいられなかったのだろう。佐藤の正義感がそれを許さなかった。

 同時期にそれぞれ衆参議長を務めた幣原、佐藤に比べると、今日の節操のない議員、私利私欲で国会に議席を置いているだけの政治家は、政治家として、また人間的にあまりにもレベルが低い。その点で今日の国会議員は気楽である。競馬の馬主として必要経費として風力発電会社社長から6千万円を収賄したり、女性議員研修旅行と称しつつパリで観光気分に浸ったり、住民の反対を無視して賭博場建設に熱中したり、こういう議員はモラル以前に議員失格、人間失格である。

 小学生の時、初めて知った衆参両院議長の名前だったが、その後もその名も覚えている2人の素晴らしい高潔な性格の政治家を改めて知り、爽快な気分である。因みに佐藤尚武の墓地は、都立谷中霊園内にあり、この夏の暑さの中で大樹の陰はないという。「洋服を着た武士」佐藤尚武は昭和46年12月18日この世を去った。享年89歳だった。

2023年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5935.2023年8月13日(日) 昨日日航機事故から38年、今日からお盆入り

 昨日日本航空機が群馬県の御巣鷹山に墜落して520名が死亡する大事故が発生してから38年が経った。単独機の航空事故としては過去最多の犠牲者を生んだ。事件後、日本航空は事故現場周辺における遺族らに対する対応や、事故機の残骸処理のために時間を割けるゆとりのある社員や、OB社員に声をかけて人集めに大わらわだったという。当時日航機機長を退職されたばかりの知り合いも日航から助っ人を要請され、現場でご遺族への対応に当たられていたが、随分遺族らから恨みつらみや厳しい言葉を浴びせられ、とても耐えがたい経験だったと話されていた。ビルマ戦線で第5飛行師団・飛行第50戦隊のパイロットとしてビルマ、中国、東南アジア方面で戦い生き抜いて苦労されたその旧軍人が、生前つくづく語っていたことが、毎年この時期になると思い出される。こんなことも仰っておられた。いかに騙されたり、言葉で傷つけられてもじっと我慢していれば、最後には許してもらうことは出来るが、人を殺してしまったら取り返しようもなく逃れようがないという話だった。この方は務めていた日本航空から人手が足りない事故現場で元の勤務先のために手助けすることを求められ、現役時代に世話になったからと厳しく辛い業務であることを承知のうえでお手伝いされた。そういう地道で隠れた一助などによって今日の日航の繁栄は保たれている。幸いにしてその後日本国内では大きな航空事故は起きていない。

 今日から16日までの4日間恒例のお盆である。お盆休みと称して多くの人々が国内外へ旅を楽しんでいるようだ。完全にコロナが明けたわけではないが、コロナ明けと称して交通機関の混雑が、一気にヒートアップしている。ところが、一昨日には小笠原諸島周辺を襲っていた台風7号はそのまま北上し関東、東海地方に襲来すると予報されていたが、台風の速度が遅くなり、それに従い進む方向が徐々に西方へ傾き、今日の予報では15、16日ごろに近畿地方を襲う公算が強くなった。そのため各交通機関はスケジュールを組み替えて対応しているようだ。現時点では、東海道新幹線と山陽新幹線が15日の全線運転中止や区間運転中止を検討している。今年のお盆はその他にも花火大会や各種のフェスティバルの開催に難しい判断を求められて。東京でも午後になって一時的に激しい降雨があり、2階から外を見ても霞んで見えるくらいだった。幸いしばらく散水していなかった庭の樹木もたっぷり水分をいただいたようで、ホッとしている。

 その観光が回復しつつある中で日本にとっての朗報は、去る10日中国が日本への団体旅行を約3年半ぶりに解禁すると発表し、日本の旅行会社も受け入れ準備に入ったことである。コロナ前の2019年に中国人の訪日客は約960万人で、訪日外国人全体のほぼ3割を占めていた。それがほとんどゼロの状態だったので、中国人団体旅行が復活するなら少しずつ元のインバウンド客は戻ってくるだろうと期待される。

2023年8月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5934.2023年8月12日(土) 食欲不振が原因か? 急激な体重減少

 4週間に1度近くの山内糖尿病クリニックに通院しているが、今日も相談に乗っていただいた。幸い基準値であるHbA1cは5.9で、数日前慶応病院で計測した5.7ともども安定した数値である。ほぼ回復といってもいい最近の状態である。実は、糖尿病以外に最近体重が急に減り出したのが気になっている。その原因として考えられるのは、当然この猛暑の故に熱中症のせいもあり、やや食欲不振になり食事の回数は1日3度こそ守っているが、食べる量が大分落ちていることだと思っている。特に夕食は以前に比べて大分減食状態となっている。ご飯をお茶碗に半分やっとの状態でこれを何とかしなくては回復の見込みはないと思っている。山内クリニックは主に糖尿病を専門にしているが、内科全般を診てくれるので、今日は妻ともども相談に伺った。医師は拙作の体重変化表を一目見て、少し体重減少の速度が速いのは、食欲が進まないのが一因であるが、胃に問題はないかと胃を気にされていた。肝臓、大腸、十二指腸の内視鏡検査は人間ドックの際済ませたので、今思えばオプションで胃も内視鏡検査を受けるべきだったと思っている。医師からは食事療法から日中の生活の仕方についてもアドバイスをいただいた。

 体重の減少は、具体的には以下の通りである。20年前会社を退職した当時は、体重は70㎏近くあった。そのころはやや太り過ぎだと言われたりもした。近年になり自分自身の健康に留意するようになってから、毎日血圧、脈拍、体温、体重を測るようになり、その結果を記帳、グラフ化し、各医院で受診する際には、いつもそれらの数値をグラフ化した一覧表を作成して医師に提示し、医師の先生方からも重宝がられている。

 過去の数値を拾ってみても、2019年12月には70.3㎏もあった体重が、この3年余りの間に減り始めが、それでも20年2月までは毎日67㎏以上を保持していた。それが2年後の22年1月には64~65.1㎏となり、今年1月には60~61㎏台となり、8月に入って59㎏台となり、昨日の59.0㎏から今朝は58.4㎏にまで落ちてしまった。医師も4週間ぶりに会った私の顔を見るなり、随分お痩せになりましたねと仰ったくらいである。

 今後各専門の医師ともご相談するが、当面どうやって食欲を落とさないで体重減少を食い止めるかが課題である。年齢を重ねるごとに高齢者として抱える問題が多くなる。医師のアドバイスには従いながら、普段の生活をどう健康的なものにし続けることが出来るかを問われているように感じている。朝食は以前と同じ分量をいただいているので、夕食のボリュームを以前と同じようにどうやって摂ることが出来るかである。しかし、余命が長くはないこの年齢になって、人生における基本的で大切な課題に直面しようとは世の中は甘いものではないのだということを痛感している。

 さて、ニュースでハワイの山火事を知りびっくりしている。マウイ島で8日に発生した山火事は、ハリケーンに伴う強風に煽られ市街地まで被害が及んでいる。死者は今日現在80人にまでなった。通常山火事と言えば、都市部から離れた山中で起き、そのまま消火活動か、自然消火で都市部にまで影響することは稀である。今回は1度訪れたことがあるマウイ島の首都ラハイナのかなりの地域が火災化したので、観光客も宿泊ホテルがなくなり、避難所で過ごす有様だったという。これも地球温暖化、否グテーレス国連事務局長の言葉を借りれば、地球沸騰化の時代が来たと言えよう。ウクライナでいつまでも戦争などしていないで、気候温暖化に対する世界の声を結集して早く手を打たないと地球沸騰どころか、地球破壊となってしまう。

2023年8月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5933.2023年8月11日(金) 日大の甘い体質、アメフト部処分5日で解除

 沖縄、九州地方周辺をほぼ10日間に亘り襲来していた台風6号が漸く九州方面から朝鮮半島へ向けて去って行った。すると今度は小笠原諸島周辺から台風7号が北上し、来るお盆には関東、東海・近畿地方にやってくる勢いである。それでもお盆休みを旅行で楽しもうとする人々が日本各地を移動したり、海外へ向けて飛び立っている。今日も高速道路はどこも車で渋滞している。

 この暑い盛りに甲子園では6日から全国高校野球大会が開かれているが、今日は神奈川県代表校・慶応高校と福井県代表校・北陸高校の2回戦が行われた。最近WBCの試合を以外ほとんど野球をテレビ観戦することはなくなったが、慶応高校は母校ではないものの慶大の付属校でもあり、甲子園で慶応義塾塾歌が場内に流れるシーンを観てみたくなり、試合開始からゲームセットになるまで見続けた。思えば、高校3年時は母校湘南高校も県大会優勝候補に挙げられ、7年ぶりに全国制覇も期待していた。だが、準決勝で慶応に敗れてしまった。慶応はそのまま県大会を勝ち抜き甲子園に出場した。そんな生酸っぱい思い出があるが、今や母校と同じような高校と言っても好い。

 試合は1回から5回まで毎回得点を重ねた慶応が9-4で勝ち、3回戦へ駒を進めた。試合を観ているとこの炎天下に選手と観客の熱中症を避けるため、昨年まではなかった5回終了後にクーリングタイムという10分間の休憩を取ったことが、この夏の猛暑を表している。高校野球は爽やかな印象をイメージさせ、暑い最中ではあるが、現場のファンの気持ちは分からないまでも一服の清涼剤になる。今月22日の決勝戦まで高校球児はグランドで全力を尽くして悔いのないプレイをして欲しいものである。

 さて、そんな爽やかな高校野球のイメージとは異なり、先日来世間を騒がせている日大アメフト部の大麻・覚醒剤事件が、すっきりとした解決への道を歩んでいない。

 実は、アメフト部員が5日に逮捕され、日大は直ちにアメフト部の無期限活動停止処分を決めた。ところが、昨日日大はその活動停止処分を解除すると発表したというから驚くではないか。処分が出してから僅か5日後の解除である。同時に9月2日に開幕する関東学生アメフト連盟のリーグ戦へ参加の申し入れを行った。だが、関係者の処分を含めて事件の全容の解明がなされておらず、再発防止策も示されていないとして連盟は、日大の要請を却下した。

 このような日大の甘い体質は、発表したプレスリリース上によく現れている。日大は、本件は部員1名の薬物所持という個人犯罪であり、個人の問題を部全体に負わせることは教育機関の判断としては最善の措置ではないと言っている。そうだろうか。そんな個人犯罪を起こさせたのが、日大アメフト部の連帯責任であり、それを監督出来なかったのは大学当局の責任であると思う。

 林真理子理事長をはじめ、日大の首脳陣は考え違いをしていないだろうか。今回の処分解除の背景には、保護者から激しい突き上げがあったことが影響しているようだ。昨年の前理事長による背任事件以後、林新体制により出直した筈の大学が、人は変われど中身は変わらずである。まったく旧態依然であることに失望感を覚える。これではマンモス大学・日大の再生は、まだまだ遠いと言わざるを得ない。

2023年8月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5932.2023年8月10日(木) 終戦直後から続いたGHQの報道管制

 6日「広島原爆の日」の本ブログに子どものころは原爆投下後の被災地の惨状についてはほとんど知らなかったと書いた。当時は広島、長崎に原爆が投下され、大きな被害を出してそれが終戦へ直結したとの単純な理解だった。小学校5,6年生時の恩師は、ちょうど戦闘中だった朝鮮戦争については随分話してくれたが、原爆の被害などについてはほとんど語ってはくれなかった。気持ちを込めて生徒に何でも話してくれた恩師が、当時広島や長崎の被災者の焼けただれた惨めな姿については話してくれなかった。それが昨夜のNHK「歴史探偵」で分かった。終戦から6年間は連合軍総司令部(GHQ )の報道統制により、被災地の実情についてはメディアの報道に規制があったからだと知った。それ故恩師も実情を知らず、我々小学生には話してくれなかったのだと推察出来た。ありのままの現実を伝えてアメリカに対する非難が高まるのを警戒したGHQの姑息な対日占領政策が、報道の自由、言論の自由を拘束していたのである。「歴史探偵」の中で、アメリカ国内向けのフィルムが紹介されたが、原爆が投下されても屋内へ逃げ込むか、頭から衣類を被り防護するようにと宣伝していて、放射能の危険性なんかまったく伝えない身勝手なフィルムだと知り、アメリカ人の利己的で他国人への思いやりとか、配慮がまったく見られないことに、今更ながら驚き憤慨している。今漸くワシントンにあるスミソニアン博物館内に広島と長崎の原爆被災地の残酷な写真を展示することが決まったが、アメリカは常にロシアや中国の原子力核開発にブレーキをかけることを要求しているが、自らを律して核廃絶の行動の先頭に立って核廃棄をやって欲しいと願う。それが、原爆を世界で唯一使用し、悲惨な惨禍をもたらした当事者としてなすべき責任であると思う。

 昨日のブログに取り上げた麻生太郎・自民党副総裁の中台間の戦争を煽るかのような台北市内での演説に対して、早速中国外務省が「日本の政治家が勝手なことを言い、台湾海峡情勢の緊張を騒ぎ立て、対立をあおった」と批判した。そのうえで日本の政治家が台湾問題についてつべこべ言う資格などないと手厳しいパンチを食らった。出過ぎた行為であるし当然だと思う。しかし、自民党内には麻生発言を言うべきことを言ったと評価する声もあるようで、現状では自民党内の右傾化現象は留まらず、その攻撃的な論陣は極めて危険である。

 さて、先日元テレビ会社政治部長だった知人から、1枚の美術展の招待券を送っていただいたので鑑賞に出かけた。それは「第25回文化人・芸能人の多才な美術展2023」と題する作品展で、銀座の‘TOKYU PLAZA’で開催された。安倍元首相や岸田首相も出品している。その2人の作品を正面から見つめ監視する場所に知人の水彩画が飾ってあった。著名な政治家、芸能人、スポーツ選手ら95名の出品が展示されている。中々興味深い作品が多く、中でも入口に飾られていた、Kazu Hiroが制作した人間の頭と手を優勝カップのような台に載せた作品には度肝を抜かれた。やや大きいが本物の頭と手と全く同じである。パンフレットの表紙にも飾られているが、作者はこれまでアカデミー賞を2度も受賞している芸術家である。多岐に亙る芸術品をもっと多くの人々に見てもらった方が良いと思うほどであり、新聞社の協力を得たらどうかと思っている。来年も鑑賞出来ることを楽しみにしている。

2023年8月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5931.2023年8月9日(水) 長崎原爆記念日と低次元の麻生発言・日大首脳陣

 6日の広島原爆の日に続き、今日は世界で2番目の原爆投下78年目を迎えた長崎の原爆記念日である。6日(広島原爆投下)+9日(長崎原爆投下)=15日(終戦)を辿って終戦、否敗戦を迎えた。生憎台風6号が長崎周辺を回遊しているために平和公園内で予定されていた平和祈念式典は、60年ぶりに屋内の「出島メッセ長崎」で行われ、岸田首相をはじめ、各国の要人も出席しないことになった。首相からはビデオ・メッセージが送られてきた。発信力も小さくなり規模も縮小され被爆者にとっては悲しく寂しい1日であろう。

 この原爆投下に合わせて核使用反対の動きがある中で、昨日台湾を訪問した麻生太郎・自民党副総裁が現地で講演し、とんでもない発言をした。台湾有事を念頭に蔡英文総統ら台湾政府の幹部を前に「お金をかけて防衛力を持っているだけではだめで、いざとなったら台湾防衛のために使う」と述べ、「日本、台湾、米国をはじめとした有志国は強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。戦う覚悟だ」と強調したというから、この御仁は元々自己制御が利かない政治家であるが、憲法違反を物ともせず、日中平和友好条約すら一顧だにしない勢いである。この発言に対して批判的な声があちこちで上がっている。「戦うのは我々現役世代。勝手なリップサービスは迷惑極まりない。政治家は戦争を防ぐべく存在している」、「本当に迷惑なジジイやね。自分が竹槍持って戦う分には勝手にしろだが、他人を巻き込まないでほしい」など至極当然なコメントである。更に調子に乗る副総裁は、来年1月の台湾総統選に関し、「台湾はきちんとした人を選ばないと、台湾の存在が危なくなる」と当該国の外交について余計な口出しまでした。案の定今夕の朝日「素粒子」に「82歳の麻生氏が『戦う覚悟だ』と。いつの世も戦場に行かぬ人が軽々しく言い募る」と皮肉を込めて取り上げられている。戦争を知らない人は、戦争の怖さというものを臨場感では分らないものだ。だからちょっとでも右へ傾くと好戦的な発言が後から後から飛び出してくる。こういう憲法で最も重要な武器を放棄して戦争をしないと約束した第9条の精神を理解しようともせずに、戦争好きな政治家が国会で活動するのは国民にとって危険であり、不幸であり、不条理であると言える。どうしてこんな知性のない政治家が一時的であったにせよ、首相まで務めることが出来たのだろうか。年齢的にももう引退しても良い時期ではないか。さっさと表舞台から去りなさい!

 さて、昨日日大アメフト部員の大麻及び覚せい剤所持により逮捕された事件に関する記者会見で、出席した日大林真理子理事長、酒井健夫学長、澤田康広副学長らの言動があまりにも稚拙で不評だった。林理事長の2人に対する遠慮がちの発言や、自らが応えるべき質問を副学長に振ったのが目立って、あるジャーナリストは「小説家出身であるにもかかわらず、あまりにも言葉足らずの部分が目立ったのは残念だった」と述べていた。日ごろより肝心なことは耳に入れられていないことが分かる。理事長はお飾りとの声に憤慨していたが、そう見られるのは会見を見てみれば分かる。

 今日になって知ったことだが、澤田副学長は日大法学部を卒業して、かつては検事を務めていたことが分かった。それにしては、大麻らしき物体を見つけても直ぐには警察に届けることをしなかったことなど、検事らしき行動が見られなかったことについて、多くの人々が首を傾げている。この様子では、田中英壽前理事長時代の学園経営から一歩も進歩していない印象を受ける。今度はどんな組織改正と人事の刷新を行うのだろうか。日大の前途は多難である。

2023年8月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5930.2023年8月8日(火) 人間ドックの結果、エコーとホルター心電図を

 今月1日に慶応病院で恒例の人間ドックを受診したが、格別大きな問題となるような症状はなかった。ただ1点だけ、心臓に不整脈が見られるので、かかりつけの内科医か、慶応病院で詳しく検査した方が良いとアドバイスされ、去る3日にかかりつけの森内科へ1か月ぶりに受診に行き、どうすべきかを相談したところ心電図を撮った資料が慶応にあるので、慶応で診てもらった方が良いでしょうとご回答いただいた。直ぐに慶応病院で今日の診断を予約してもらった。

 今日出かけたのは慶応病院循環器内科だった。40歳ぐらいの木村雄弘医師が担当してくれた。人間ドックの資料をパソコンに映し出しながら、不整脈ではあるが、これが頭部へ届くと脳梗塞の恐れもあるので、もう少し心電図でチェックしたいというお話だった。お手元にあるのは心電図ではないですかと尋ねたところ、これは瞬間的に抑えた数値で長時間に亙る流動的で精密な心電図を撮るホルター心電図検査を行いたいということから、再来週2日間をかけて心電図を撮るためにエコー検査とホルター心電図検査を行うことになった。その間血液が固まるのが心配なので、血液サラサラの薬・リクシアナOD30㎎錠を毎日1錠ずつ服用するように言われた。そしてそのほぼ1か月後に最終的診断を仰ぐことになった。心電図の結果が吉と出るか、凶となるか分からないが、心配ではあっても早めに症状を発見出来たのは、幸運だったと思うようになればいい。

 それにしても今日驚いたことがあった。それは記入を求められた問診表の2つの質問である。「これまでの記入した性と今の性と違うか?」と「現在までの性が変わることはあるか?」という質問だった。これまでこんな質問を受けたことはなかったので唖然としたが、常識的に応えた。これも時代性であろうか、性同一性などが世界中の大きな話題となっているからだろう。

 さて午後3時ごろ日大田中真理子理事長、酒井健夫学長らが、日大アメフト部員が大麻と覚せい剤を隠し持って1部員が逮捕された事件について釈明記者会見を開いた。最も厳しく糾弾されるのは、当然理事長である林真理子氏である。お飾りのような存在で、このような事象が伝えられていなかったことが不幸に拍車をかけた。林理事長は、お飾りとの報道について、残念に思っていると述べたが、昨年10月にアメフト部の学生が大麻を使用している疑いがあると保護者から調査を求められ、大学が聞き取り調査を行った結果は確認されなかったという。ただ、今年6月にアメフト部で大麻を使用している可能性があると警視庁から連絡があり、調査をしたが、違法薬物は発見されなかったという。だが、7月6日所有者不明の「茶葉」のようなものが入った袋が見つかった。ただ、これを警視庁に報告したのは、12日後の7月18日だった。

 これだけ怪しいとの情報を入手しながら、日大内で徹底的に調査をしたとは思えないし、警察に前向きに相談したとも思えない。こういう不審な事件が次々に明るみに出る。その都度大学は毅然とした対応をしていない。お飾りはともかく、林理事長は大事な情報を正確に把握していないことが何となく分かる。こんな対応をしているようでは、再起を期して出直した筈の日大は世間の信用を回復出来ないだろう。

2023年8月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

5929.2023年8月7日(月) 埼玉県知事選の投票率が低い原因は?

 連日日本各地は猛暑と暴風雨に襲われているが、今月初め以来台風6号の襲来に被害を被った沖縄地方では、それがUターンして再び近海が台風に荒らされている。今も向きを北に代え九州及び西日本方面を視野に入れているようだ。沖縄では昨日線状降水帯が発生し、それは今日夜にかけて奄美大島、九州地方にも現れた。暑いばかりの関東地方にも少し雨の恵みがないものかと願っていたが、今夜辺りから雨模様となり、今週後半には、恵みの雨が降りそうだ。

 ついては、九州方面への台風の接近を考慮して、長崎市は9日に予定していた原爆犠牲者を悼む平和祈念式典の会場を平和公園から60年ぶりに屋内に変更する予定とし、岸田首相も危機管理や台風による交通インフラの懸念で欠席することに決まった。この長崎の式典は、正式には「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」といい、略して長崎平和祈念式典と呼ばれている。一方で、広島の場合は、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和記念式」と呼ばれ、略して平和記念式典といわれているが、広島は「記念」、長崎は「祈念」と別の文字を使用している所以がよく分からない。
 話題は一転するが、昨日行われた埼玉県知事選で現職の大野元裕知事が再選された。ところがその投票率たるや意外にも戦後全国で実施された都道府県知事選で最低の23.76%だった。東京に近く都内へ通勤するサラリーマンが多く、インテリ層が多く居住する埼玉県の投票率がこれほど低いとは意外だった。これには有権者だけの行動ばかりではなく、猛暑という天敵が立ちはだかったのではないかとも考えている。だが、2011年の同じ埼玉県知事選の投票率(24.89%)が、今回の投票率によって破られるまではやはり全国で最低だったことを考えると、そこには埼玉県民特有の選挙に対する見方や思いがあるのではないかと考えている。立候補者が必ずしも有名人でなかったこともあるだろうし、最初から勝負が分かっていたことも原因として考えられる。結局教育レベルが高く、若い世代が多く住む埼玉県の県民が、国民の義務である選挙権を行使しないというのは理解に苦しむが、国及び県の意向に沿えない住民が多いということであろう。この問題は単純に一過性で済ませられるものではなく、埼玉県民の意識や良識も疑わせる現象であり、埼玉県としても真剣に調査をして投票率低下の原因を究明し、それを高める対策を検討すべしであると思う。今回圧勝して再選された大野知事は、今回投票しなかった有権者のX%の人々が自分に投票しなかった場合には、自身が落選した可能性もあると冷静に捉え、全体の投票率向上のために何をなすべきか、今後県内の投票率を上げるための工夫を凝らす責任があると思う。

 因みに埼玉県知事選に次いで、過去低投票率だったのは、茨城県、千葉県、栃木県とワースト3は軒並み関東圏である。東京都は3位で1位は秋田県、2位は山形県で東北県勢が上位にいるのは、やや意外な感がする。東京都の投票率が高いのは、話題の著名人が立候補するケースが多いせいでもある。ともあれ如何なる選挙であれ、公明公正であるなら、多くの有権者が関心を持ち、投票所へ足を向けて投票率の上昇が望まれる。

2023年8月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com