210.2007年12月10日(月) 世襲経営者の無能と無責任

 今年は偽ブランドや、食品偽装が大きな話題になり、経営者のモラルを問われる事件が後から後から噴出している。今日「船場吉兆」がこれまで不祥事は部下になすりつけて、彼らの責任と言い続け、経営者が責任逃れをしていたが、万策尽きたか、遂に全面的に経営者の一存で偽装を行ったと白状した。この一連の失態劇を見ていると、無能な世襲経営者一族の経営能力と倫理観の欠如、そして世襲経営者の成れの果てを見ているようである。

 この夏講談社編集部の副部長と同社出版物の間違った表現の件を話し合った際、あまりの非常識と知的レベルの低さに驚いた。これが大出版社の社員かと思うほど社会常識に欠け、自己主張だけを繰り返していた。当方も負けずに正論を主張して、「訂正する」との言質を引き出したが、手紙ひとつ満足に書けない人物が、会社を代表していると言い張る図々しさには開いた口が塞がらなかった。その副部長氏は、指摘した講談社の世襲経営について、経営とは一切関係ないと言い張っていたが、果たしてそうだろうか。気位ばかり高く、この程度のレベルの社員が大きな口を利いているようでは、会社もいずれ馬脚を顕すだろうと見ていた。

 案に違わず、このところ出版業界で問題を起こしているのは、決まってプライドの高い講談社である。野間一族が経営するこの会社の体質こそが問題ではないだろうか。キャノンとの係争事件、中田横浜市長との訴訟事件、アンケート調査に学生を騙して利用した市場調査、等々と思っていたところ、月刊「選択」12月号に依れば、野間文芸新人賞選考委員交代の件で、社内が大揺れに揺れており、「選択」誌は「良識が看板の出版社でそんな横暴がまかり通るとは驚くばかりだ」とあきれ果てている。所詮思い上がった世襲経営者なんてこんなものだろう。

 一昨日あたりから、右手中指先端から第二関節まではれぼったく熱を帯びている。どうも自分の指でないような気がする。昨日から氷をあてているが、不自由でしようかない。松本整形外科へ行った折りに診てもらったところ、松本先生は一目見て今治療中の膝より大変だと脅かされた。直ぐに血を抜いて化膿止め錠剤をいただき、明日もう一度診てもらうことになった。一種の「ひょうそう」のようなもののようだ。学生時代に、三田の階段でころんで指を傷つけた時に、済生会中央病院の医師はすぐ血を抜いてくれた。このまま放っておいたら手遅れになったのかもしれない。チベット旅行中でなくて良かったと思う。

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209.2007年12月9日(日) 中国政府の非常識と呆れた自己都合

 チベットへ旅行中に北京で日中経済対話が開かれていたということを知った。日本からは6人の閣僚、中国側から副首相と7人の閣僚が出席した。2日に日本側代表団が温家宝首相と会見した時、温首相が対話は成功だったとその成果を評価し、日本の高村外相も成功だったと強調していた。

 然るにこの対話でまとめられたプレスコミュニケの文面を中国側が一方的に書き換えて公表した。合意文書、しかも国家間で交わされた公式文書を、相手国の了解を得ずに自分の都合だけで変えてしまうとは、いかにもいま偽ブランドを売り物にしている中国らしいやり方である。こんな外交儀礼に反することはこれまで聞いたことがない。早速日本側が抗議し、訂正を求めているらしい。中国が一方的に変更した箇所は、①中国政府が人民元の為替レートの上昇に向けて努力することを日本側が期待したことと、②エネルギー憲章条約への中国の参加の意義を日本が指摘した点である。いずれも中国にとっては触れられたくない箇所である。すでに新華社通信は変更された内容を伝え、人民日報や商務省のウェブサイトにも掲載された。どうも対話では一応合意したが、中国とすればあまり他所から指摘されたくない項目で、これをきっかけに欧米諸国から現在の中国の対応に対して、一気に問題が拡大化される点を懸念している節が見られる。

 それにしても、最近のロシアにしても中国にしても、マイペースでことを運び、自分たちにとって都合が悪くなると強引に約束違反とか、契約破棄とかをやってのけるパフォーマンスにはあきれ果てる。社会通念や外交常識から考えて、まったく理解に苦しむ行動であり、日本政府が抗議したのも当然といえる。しかし、これからもこういう奇想天外な手段を二の手三の手と繰り出してくるであろう中国と渡り合っていくのは、相当な覚悟と相手を上回る戦術を駆使出来る腹芸と交渉力が必要で、果たして世襲議員ばかりで、地力のない日本の政治家にそれが務まるかどうか、いささか悲観的にならざるを得ない。

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208.2007年12月8日(土) 開眼法要と開戦記念日

 妻は抜糸と検査があるので、施主側としては結局ひとりで開眼法要に立ち会うことになり、少々早めに宝仙寺へ出かけ、仏花、水、果物を用意して簡単に掃除をして法要に備えた。兄弟と連れ合い6人が揃ったところで、お坊さんの読経を始めてもらった。これで自分の墓を建てたことになり、先行き息子にいざという場合の心配をさせないで済む。役目をひとつ終えたことになるが、生前墓というのは妙なものだとも思う。自分の墓に手を合わせ拝んでいても気持ちが入らない。無事法要を済ませて都営地下鉄大江戸線でハイアット・リージェンシーへ移り、ゆっくり中華食を楽しんだ。ここの中華は美味しくて評判がいい。とにかく一仕事終えたというゆったりした気分である。

 さて、今日12月8日と言えば、大東亜戦争開戦記念日であるが、新聞やテレビでは、その関連ニュースがまったく報道されていない。これはどういうことだろうか。かつては、必ず日本国民が自戒の念を込めて、昭和16年の今日忌まわしい戦争が始まったということを繰り返しニュースとして流し、改めて反省したものだった。あの朝日新聞にしても、僅かに「声」欄で読者である83歳の老婦人の投書を載せている程度である。あれだけ悲惨な出来事をいくら時間が経過したとはいえ、何らかの形でニュースとして伝えるだけでもすべきではないかと、マス・メディアの対応に不満が残る。反戦につながるデモの動きすら感じられない。戦争は忘れ去られようとしているのだ。

 同じ12月8日に起きた事件として、ビートルズのジョン・レノンが27年前に暗殺されたことは、かなり取り上げられていた。ジョン・レノンが殺された事件もセンセーショナルではあったが、日本国民にとっては歴史上どっちが報道する価値のある事件かよく考えてほしいものである。ジョン・レノンが亡くなったことは、私にとっても大きなショックを持って受け止めた。丁度茨城県教育視察団のお供で、マルセイユに宿泊していた時、号外で知った。しかし、それにしても日本人にとっては、開戦記念日は忘れてもらいたくない日である。このまま放っておくと、いずれ大東亜戦争も風化して、いつの間にか憲法改正、再軍備という動きが出てこないとも限らない。

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207.2007年12月7日(金) 忘年会シーズン始まる。

 「JAPAN NOW 観光情報協会」企画会議に引き続き、同じ海事会館内の喫茶店で忘年会を行った。実は、「知的生産の技術研究会」でも同じ時間に赤坂で忘年会がある。八木会長はもちろん、仙台から久恒理事長も参加され、出席者がそれぞれ知的生産的研究とか、業績を発表する機会を作った。先約優先だからそちらに出られないのは、残念だがいたし方ない。これからしばらくすると年の暮れを迎え、いつも通り夜は賑やかなことになるだろう。1年が経つのは早いものだと感じ入る。

 企画会議は、今年1年間の実施計画と来年度のスケジュール報告に終始した。来年の予定で、宮崎市内で開催される「観光立国フォーラムin宮崎」の日程について、検討することになった。一応現地の都合を斟酌して、暑いが7月中旬あたりが妥当ではないかということになった。出来れば、いま話題の東国原宮崎県知事にも出席してもらいたいという狙いもある。

 今日も妻は昨日のオペの結果を診察してもらいに行ったが、昨日と同じでもう一度オペをやってもらう羽目になった。大分遅くなってまたまた顔面を大きく腫らして帰ってきた。いまのところ妻も結果には、満足していないが、執刀医も納得出来ていないのではないかというのが、妻の実感。ただし、目の上で微妙な箇所でもあり、そう何度もオペを繰り返すことには、妻も私も納得しがたいので、これを最後にしたいと妻も言う。明日午前中にもう1度医師に術後の様子を診てもらうことになった。そんなことから、明日の懸案の開眼法要には、妻は出席出来ず、我が家では施主である私以外出席が叶わず、法要後に豪華なハイアット・リージェンシー「翡翠宮」で予定した、せっかくの食事会がちょっと寂しいものになってしまった。

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206.2007年12月6日(木) 宝仙寺墓地に墓石建立

 妻が先日オペをやった箇所の抜糸の予定なので、医院の近くまで車で送ったが、中々帰って来ない。その内電話がかかってきて、右下瞼をもう一度オペしたという。随分簡単に決めちゃうものだと少々驚いた。それでも今朝よりは様相的に全体のバランスが良くなって帰ってきた。これからまた腫れたり、瞼が下がったり、百面相を演じるのではないだろうか。一番肝心なことは、手術前より視界が開けて見やすくなったかどうかということで、現時点では良さそうなので、取りあえずは善しとするか。

 午後から中野の宝仙寺へ出かけ、新たに建立した自分の生前墓を見てきた。この秋に石材店に頼んで、先祖の墓地の一角に次男である私の墓を建立してもらっていたところ、旅行中に完成したと連絡があった。大辞林には載っていないが、生前墓のことを「寿陵」というのだそうだ。近藤家本家、分家の墓と私の墓を合わせて3つの墓石が建ったことになる。私の墓石の裏には、はっきりと「平成十九年十二月吉日、施主近藤節夫建之」と彫ってある。3つとも似たような墓石だが、分家の墓石も作り直してしっかり根を下ろし、床面はすべて玉砂利にしてきれいに整備された感じである。明後日兄弟妹と連れ合いに参加してもらい、僧侶にお経を上げてもらって開眼法要式を執り行う。もう1年以上も懸案となっていたが、漸く自分が納まるべき場所を確保することが出来た。ところが、妻の面相が腫れてあまり良くないので、開眼法要に孫たちを参加させると彼らが妻の顔を見て怖がるといけないということで、長男浩史へ話して、当日孫たちは来ないことにした。

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205.2007年12月5日(水) 血圧が安定してきた。

 午後からかかりつけの内科医森先生に診察してもらいがてら、チベット旅行中の体調経過報告に行った。血圧降下剤服用の効果が少しずつ現れてきたのか、最近は上が大体140以内に収まり安定しつつあった。ところが、標高2,200mの西寧から、5,000mを超え3,650mのラサ、およびツェダンのような富士山とあまり標高差がない都市に滞在中は上が160近くまで上がった。現地ではガイドに、やれ酒は飲むな、とか、熱い風呂に入るな、とか言われ、その金言を守ってきたお蔭か、大きく体調をこわすことはなかった。しかし、やはり高山特有に酸素が薄いせいで、脈拍が突出して上がってしまった。普段は60以下で安定していたが、28日から、つまり鉄道で5,000mを超えた日から100をオーバーした。普段の2倍である。以後北京へ戻ってくるまで、92~112を記録した。明らかに激しい脈拍を示している。この点をPCで作成した血圧チェックシートを持参して、森先生に説明した。

 先生には、西寧で購入した高山病予防薬の漢方薬「紅景天」の空箱を持って行き、服用法についてもお話した。今日の血圧はもう平常値へ戻っており、先生からも大分落ち着いてきましたねと言われた。

 今更ながら、人体というのはかなり環境に左右されるものだと実感として感じている。幸い痔の方も少しずつ落ち着いてきた。

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204.2007年12月4日(火) 清水丈夫さん、ご健在!

 旅行中、前進社、否「現代文化研究所」の「大久保正」氏から書簡をいただいた。長い間消息不明で所在が気になっていたラグビー部の先輩、清水丈夫さんについて、「清水議長は健在で、大いに活躍しております」とお知らせいただいたものだ。長い間まったく足取りすら掴めず、ひょっとするともう亡くなられたのではないかとさえ思っていた知人、友人も多い。ところが最近になってインターネットを通して、偶々清水さんのお名前を見つけてから、もしかすると元気に活躍しておられるのではないかと、期待を抱き楽天的に考えられるようになっていた。それが、清水さんと身近に接触しているらしい「大久保」氏から、清水さんは活動しているとの確かな連絡をいただいた以上、喩えもう同じ目的の下にともに行動することは出来ないにせよ、少なくとも若かったころに一時的に一緒に活動した経緯と懐かしさがあり、かつての清水さんの温かいお人柄も想い、今後は清水さんの活動を遠くから静かに見守っていきたいと考えている。

 それにしても、「大久保」氏の文面を拝読すれば、清水さんは相変わらず勇ましく、組織の先頭に立って活動している様子が窺え、その弛まざる強靭な信念には、ただ恐れ入るばかりである。

 書簡には、週刊「前進」デジタル縮刷版刊行に際して寄せた、革命的共産主義者同盟(略称「革共同」)議長としての清水さんのメーセージも添付されていた。題して「原点から学び、到達地平を確認し、新たな決意で先頭に立つ」というものである。文章は易しく書かれてはいるが、論点は厳しく、とても私ごときには就いていけない。すごいなあと思ってしまう。先月の集会を前に発表されたようだが、先日近所の和田先輩から、11月に前進社に対して公安の家宅捜索があったという話を聞いており、案外この集会情報を得た公安が動いたのではないだろうか。この書簡について、和田さんにもメールでお伝えした。

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203.2007年12月3日(月) チベットから帰国

 昨晩遅く北京市内のホテルへチェックインして、最後の一夜ということで参加者の浜谷さんから部屋で一杯やりませんかとお誘いを受け、遅いにもかかわらずお邪魔して2時過ぎに自室へ戻ってきた。短い間に内容の濃い一杯となった。この方もお酒に関しては、結構凝っているようで、焼酎「いいちこ」の割れない厚手の小瓶、福島の銘酒「栄川」、スコッチ、黒砂糖、等々を手元に用意しておられる。よほどお好きなようだ。帰って13日からすぐまた大好きなラスベガスへ奥さんを伴ってお出かけだそうで、私より1歳年長であるが、第二の人生を結構エンジョイしておられる。 

 成田から京成で帰宅したが、自由が丘駅からタクシーに乗って自宅近くでメーターを見たら、本来660円のはずが710円になっているので、「値上げしたんですか?」と聞いてみたら、今日から値上げしたとの答えだった。テレビニュースでも話題のひとつとして、各局とも報道していた。

 玄関に入る前、手術後の妻の面相が少々気になっていたが、やはり私の予想よりは良くない。当人も何点か気になっているようで、医者へ電話してくれということなので、すぐ大分腫れているようで、自分の予想より悪いと率直に執刀された医師へ聞いたところ、種々原因等を説明され、結局まだ手術後時間が経過していないので、もう少し経ってから話をしようとの結論になった。妻は、以前より見やすくなったのは事実であるが、顔が変わったことがショックのようである。いまは、あまりじたばたしてもしようがない。しばらく時間を待たなければ仕方がないような気がする。

 このチベット旅行も中々充実していて楽しかった。行ってみて本当によかったと思う。

 小中さんから、チベットからメールが送れるとは思わなかったと返信があった。高地でお酒を飲むとどういうことになるかとの素朴なご質問をいただいた。そのご質問に対しては、ガイドから極力控えるようにとのきついアドバイスがあったので、分かりませんといしか答えられない。

2007年12月3日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

202.2007年12月2日(日) チベット旅行は楽しかった。

 昨晩10時を過ぎてから、添乗員の木村さんから12時から今朝7時まで再び停電になると連絡があり、充電関係の処置だけして、身体を暖めて休んだ。今朝フロントの女性には昨日のインターネット不接続に関する約束不履行に関してクレームを申し立てた。約束しておきながら、それを2度も無視するのだからどうしようもない。ガイドに言わせれば、以前よりましになったとのことだが、少々不愉快である。まだ、ソフトウェア部門でサービスが行き届いていない印象を受ける。

 チベット滞在も今日が最後となり、ラサを去る前にチベット王陵を見学して、典型的な民家を訪れた。手土産を用意しておいてよかった。おじいさんにはぐい飲みの猪口を、おばあさんには扇子を上げたのだが、明治の板チョコを割って子どもたちに分け与えている姿をバス車内から見ていたゲーリーさんが、休みの日にこどもたちに普段は食べられないおいしいチョコをあげたのは良かった。子どもたちにとって、一足早いクリスマス・プレゼントになったのではないかと仰っていただき恐縮である。

 今度の旅行に関しては、私はもちろん大満足であるが、他の参加者からも概ね良かったとの声が高い。他の普通のツアーと大きく異なるのは、高地ゆえの健康対策である。実際こんなに飲み水をもらいながら、毎日水ばかり飲んで、時折酸素を吸っているのは、まったく初めての経験である。木村さんに聞けば、19名の参加者のうち、結局医者にかかった人が6人、その内点滴を受けた人が5人ということであるから、とても並みの旅行コースとは言えない。実際、私がこの旅行にお誘いした年配者3人にも断られたが、その理由が高地で気圧が心配だということだった。確かにその懸念はある。しかし、今回大事に至らなかったのは、処置が早かったせいであろう。この点を旅行社もわれわれ旅行者も肝に銘ずべきであろう。

 僅か4泊の短い滞在で、身体も充分順応しないチベットではあったが、ほかにも魅力がいっぱい溢れている。この旅行を守り立ててくれたのは、何といってもガイド・曾さんのガンバリやのお陰である。性格も素直で、勉強家である。個人的に、また将来的に再び来られるかどうかは分からないが、今度の旅行は私自身にも多くの知識を授けてくれたうえに、生涯忘れられない思い出になったことは間違いない。

 新しいラサ空港を飛び立ち、成都経由で北京へ向かう。あまりよその国を批判するのは可しとしないが、それにしても中国の人たちが整列とか、航空機内で携帯電話をかけるのは、何とかならないのだろうか。大きな声で傍若無人にしゃべっているのは、傍にいて耐えられない。

 いま、丁度午後7時、成都空港のトランジットルームでPCを打っている。ここも近代的なロビーである。まもなく北京へ向けて出発する。

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201.2007年12月1日(土) チベットのホテルは未だ発展途上

 大分疲労が重なっているようだ。身体は気候に順応しつつある反面、疲労と高血圧の影響からだろうか、なんとなくけだるい気分である。今日もグループの人から風邪薬をいただき服用している。

 今日はツェダンから40㎞ほど離れた、チベット文化と民族の発生の地といわれる「サムイェ寺」と「タントゥク寺」を訪れたが、川沿いにあまり整備されていない道路を走って、道路工事中のため引き返したり、バスが大きくバウンドしたと思ったら車体の機械部分が破損して小一時間ばかり立ち止まったり、ドライバーにとっても苦闘の一日だったと思う。

 だが、やや殺伐としてはいるが、砂埃の中を走り抜ける気分は何とも言えず爽快である。空は抜けるように青く、周囲には人家もほとんど見かけられず、アフリカのサヴァンナ地帯を走っているような雰囲気である。空気が乾燥しているせいで、しきりに唇や手がカサカサになる。ハンドクリームを手放せない。

 ラサの「雅魯藏布大酒店」と当地の「西藏山南澤當飯店」は、いずれも土地の最高級ホテルの格付けのようだが、新しいホテルが性急に豪華さを競うあまり、外見的にはともかく設備面において、またホスピタリティの面でとても期待に応えているとは言えない。部屋までの複雑なアプローチ、鍵の使用方、室内のスイッチ、抽斗の少なさ、バスタブへの注湯の遅さ、等々これから改善していかなければならない点が多すぎるように感じた。そして、いま夕食を終えホテルへ帰ってきたら、ホテルが真っ暗闇の中にある。電気系統の故障らしく全館停電状態だ。ロウソクをもらい、4階の部屋まで歩いて上る。部屋へ戻って20分程度経ったら電気は点灯したが、今日はインターネットも繋がらず、チェックしてもらう予定だった。しかし、スタッフはやっとこさやって来たが、別人を手配すると帰ったまままったく音沙汰なし、この無責任さはどうしようもない。みんな人物は悪くはないのだろうが、こういう好い加減さが、今後チベットのホテル業界全体の評判を落とさなければ良いがと心配である。

 従って、今日はインターネットが用を成さず、メールを読むことすら出来ない。

2007年12月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com