今日は81年目の太平洋戦争終戦記念日である。正午には日本武道館で天皇、皇后両陛下を迎えて「全国戦没者追悼式」が行われた。こんな時午前中に右翼的な小泉進次郎・防衛相は靖国神社に参拝した。昨年まで毎年参拝していた高市首相に代わって、鈴木俊一自民党幹事長が首相の代理として、有村治子総務会長、西村康稔選対委員長とともに玉ぐし料を収めた。高市首相は、首相就任前は毎年恒例の春秋例大祭と合わせ、終戦記念日にも欠かさず参拝しており、首相になっても参拝し続けると語っていたが、流石に険悪な日中関係や韓国との外交関係を考え、本人としては不本意ながら今年は参拝を差し控えた。
81年前と言えば、湘南鵠沼から千葉県勝山町(現鋸南町)へ疎開も考えて転居し、勝山国民学校(現小学校)へ入学してまだ日も浅かった。鋸山方面からしばしば米軍航空機が飛来し、その都度自宅近くの山に掘られた横穴式防空壕へ逃げ込んだ。日本の形勢も日に日に悪くなり、校外学習でクラスの仲間揃って校門を出てからしばらくして、米軍戦闘機編隊に襲われかかったこともあった。それでも暑い夏休み中でもあり、昼間は港の近くの浜辺で海水浴をしていた。そして8月15日からしばらくして父親から、怖い戦争は終わったから安心しろ、もう防空壕に隠れることもないと言われた。それが終戦だった。主要道路を戦車が走行することもあったが、終戦となってからしばらくして米軍兵士の姿を見ることがあり、彼らの目の色が青いと母親に話したこともあった。
とにかく怖かった戦争が終わったことで、周囲は明るくなったような気がした。その後、小学校5年生時に朝鮮戦争が始まり、教師から度々朝鮮戦争について説明をしてもらった。戦争に首を突っ込みだしたのは、60年安保闘争終了後にベトナム戦争反対運動に参加してからである。戦争を知ろうと1967年ベトナム戦争が激しい中を南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチーミン)へひとりで出かけ、何度か怖い思いをした。それから第3次中東戦争、アデン独立戦争、9.11テロなどと少しずつ戦争に触れるようになった。そして、その過程で戦争の残酷さと恐怖を知り、一層戦争に反対する意思を強く持ったのである。戦地で危険な目に遭ったこともあり、また戦友会の戦跡巡拝団とともに戦地を訪れ、戦友の方々の辛い気持ちをお察しすると反戦の気持ちは益々強まった。
その点では、自民党政権が年々戦争へ近づきつつある政策には、絶対反対である。自民党政権はもとより、国民の生命を預かっている国会議員の間には、戦争体験がなく戦争の怖さを実感しておらず、戦争を世間話のように捉えているのが許せない。彼らが、戦争は酷いもので残酷であり、社会も個人の人生も壊してしまうということを知らないのが心配でならない。
宮城県柴田町のホームページに、「~正午になりましたら、戦没者を追悼し、平和を祈念して、それぞれのご家庭や職場で1分間の黙祷をお願いします」と訴えていた。NHK・TVで中継された「全国戦没者追悼式」に合わせて1分間黙祷をした。もう戦争とは完全におさらばしたい。