7032.2026年8月14日(金) ルパング島帰りの小野田寛郎元少尉

 逆行した台風15号の置き土産だろうか、昨日千葉県を中心に関東地方を襲った大雨は、雷雨を伴う豪雨となって各地に大きな爪痕を残した。県内では、南房総以外は道路の冠水、道路遮断、鉄道運行停止などで県民ばかりでなく千葉を訪れた多くの人々を戸惑わせた。その典型は、最高のレベル5・大雨特別警報や、同じくレベル5・土砂災害危険警報が発せられ、東京~成田間の鉄道や、定期バスのが運休したこともあり、海外から到着した内外の搭乗客が、空港から出ることが出来ず、7千人もの人たちが空港ロビーに寝泊まりする状態となった。都内23区にも警報が出されたが、地域によって、また時間によって降雨の激しい度合は異なった。整形外科医との約束通り今月に入って日課のウォーキングは1日6千歩台から4千歩台に減らしているが、昨日も今日も傘を持参して歩いて来た。

 昨晩南房総方面以外は、広域的に豪雨に襲われ上空から見るとどこの市町村も道路が冠水していた。特に千葉市には、卒業した幕張小学校があり、幕張は土地が低いだけに校庭も水浸しではないかと気をもんでいる。

 気象庁は、千葉県の昨日の記録的大雨を「令和8年8月千葉豪雨」と名付けることにした。このように豪雨に名称を定めるのは、「平成29年7月九州北部豪雨」以来のことである。

 今日も大雨が降る可能性が高いそうだから、県民の気持ちも落ち着かないだろう。とんだお盆休みとなってしまった。

 さて、一昨日夜NHK・BSで「小野田少尉帰還」が放映された。フィリピン・ルパング島ジャングル内で戦後29年間も終戦を知らずに生き抜いてきた小野田寛郎元少尉のドキュメンタリーである。実際には、終戦は知ってはいたが、根っからの職業軍人だった小野田氏は、上官の命令がなくば終戦を認めないと考えたようである。偶々日本人少年とジャングル内で出くわしたことが、帰国への道を開いたが、上官から軍務解除の命令がない以上公に姿を現さないということから、元上官をフィリピンに派遣し、目の前で上官が終戦と命令解除を通達して軍人から一般人に戻った。

 小野田氏が帰国したのは1974年3月12日であるが、その日私は偶々ミヤンマーへ向かう陸軍航空飛行第12戦隊の第一次南方基地慰霊団とともに羽田空港にいた。その時、小野田氏と鉢合わせした。翌朝のスポーツ紙に「往く人、帰る人」の見出しで紹介された。

 ひとりの軍人として小野田氏は、予備士官学校、中野学校などを経た生粋の軍人だけに、戦後もフィリピンの山中で現地人とは接触せず、食糧用に彼らの家畜を殺害したことなどが、現地の人からは厳しく非難されていた。しかし、誰の援助も支援もなくひとり野外で生き延びるには、彼のような強い意志と行動力がないと難しいだろう。いろいろ批判も受けたようだが、帰国しても当時の日本で生きて行くために自力では難しいと判断し、僅か半年後にはブラジルに渡り、牧場を経営しながら、その後日本には1年の半分を過ごしてその時間を日本の子どもたちにキャンピング生活を指導した。普通の日本人の生き方とは、大分考え方もスケールも異なる。

 厚生省の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業に関わっていた当時、サイパンでその前に発見された横井庄一さんとは軍人として、また人間として大分違うということを団長だった厚生省課長から随分聞かされたことを想い出す。戦争によって得をした国、人はほとんどいない。むしろ悲しみを味わった国や、人がその何倍も多いかということを考えるといつも戦争に顔を向けている人間がいるのが不思議なくらいである。

 明日は81回目の終戦記念日を迎えることになる。

2026年8月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com