775.2009 年6月27日(土) 世界遺産登録維持の難しさ

 昨日のニュースによると、現在世界の世界遺産878箇所のうち、ドイツの「ドレスデン・エルベ渓谷」がユネスコによって世界遺産の登録を取り消されたという。私が訪れた143箇所の世界遺産訪問記録の中にもドレスデンは入っている。これで私の個人記録も1箇所減じて142箇所になったことになる。

 登録抹消の主たる要因は、交通渋滞解消のために、エルベ川を跨ぐ大きな橋を建築することになったからである。美しいドレスデンの景観が橋脚の建設によって台無しにされ、文化遺産の価値を失わせるというのがユネスコの言い分だ。ユネスコは再三に亘ってドレスデン市へ「もし橋脚を建設したら文化遺産の指定を取り消す」と警告を発していた。悩んだ市当局は熟慮の末に、橋梁建設の賛否を住民投票に委ねた。結果的に橋脚建設賛同派が自然保護派を破って橋脚は建設されることになり、文化遺産はその指定を解除されることになった。住民の生活がかかっているだけに、何とも切ない結論である。ドレスデン市民の日常生活上の利便性を考えると、外部のわれわれとしては何も言えない。

 しかし、この世界遺産登録取り消し問題は、われわれ日本人の胸元にも匕首を突きつけている。何でもかんでも世界遺産にしてもらおうとの熱病的世界遺産オタクから一歩身を引いて考えてみるべきである。文化遺産や自然遺産を守ろうとの真摯な気持ちは尊いものであるが、そのまま原形に近い形で守り続けることは、並大抵の努力では難しい。

 実際東洋文化史研究家、アレックス・カー氏が、高野山の散歩道の杭ポストを無許可のまま木製から石製に作りかえたのは、ユネスコによる世界遺産タイトル剥奪の可能性があると指摘していた。そのくらい現状維持のために真摯な気持ちで費用をかけることは、大変なことなのである。

 今日日本では、平泉・中尊寺、富岡製糸工場、富士山ほかが次の世界遺産登録の候補地とされているが、その後に原形のまま後世へ伝えていく強い気持ちがなければ、これらの遺産登録はまったく意味のないものとなる。

 ドレスデンは、戦前美しい都市として知られていたが、戦災により灰燼と化した。それが戦後長い年月をかけて復興された。でも、そこまでだった。われわれもこのドレスデンの例を他山の石として考える必要がある。現実の生活と自然・文化を守ることの選択を迫られた時、われわれはどういう道を選ぶだろうか。

2009年6月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

774.2009年6月26日(金) ‘King of Pop’マイケル・ジャクソン逝く。

 今朝アメリカのスーパースターである‘King of Pop’マイケル・ジャクソンが亡くなった。享年50歳だからあまりにも早過ぎる旅立ちであるが、近年のマイケルにはトラブルやスキャンダルが付きまとい、やヽ落ち目の傾向があった。特に数年前には子ども性的虐待容疑で逮捕もされた。歌と踊りの上手さは天才的で、巨万の富を築いたが、白人化するような整形大手術などでかなりの借金も背負っていたという。度々来日して日本にもファンが多かった。‘Thriller’というレコードは100億枚以上も売り上げたというからミリオンセラーどころではない。今夜TVでその13分余のプロモーション・フィルムを観たが、中々見事なもので歌の迫力といい、リズミカルなテンポといい、やはり並のスターではない。

 戦後のスーパースターだったエルビス・プレスリーが1977年42歳で、同じく心臓発作によって亡くなったニュースは偶々ハワイ滞在中に知り、ビートルズのジョン・レノンが1980年40歳の時凶弾に倒れたのを知ったのはマルセイユに滞在中だった。今日マイケルの死は自宅のTVでごく普通に知った。自分自身最近あまり海外へ出歩かなくなった証しだろうか。

 テレビ朝日の「報道ステーション」の中で、一昨日お会いした寺島実郎氏がいみじくもマイケルの死について、40代、50代の中年になってだめになるのを防ぐ支えになるのは、①話し合える友人と配偶者(家族)がいること、②生きていくための使命感を持っていること、と話されていた。スーパースターの心の内にそういうものが欠けていると推察されたのだ。

 駒沢大の2単位の講座は、ひとつは広告掲出の減少に関したもので、広告量の減少が年々進み、特に新聞、TVのへこみ方はどうしようもない。原因はインターネットとフリーペーパーである。新聞販売量の減少は、アメリカでも深刻で今朝の朝日新聞に長い伝統を誇る、シアトルの「シアトル・ポスト・インテリジェンサー」と、デンバーの「ロッキーマウンテン・ニューズ」が倒産したことが報じられていた。そのほかにも「ボストン・グローブ」のような一流新聞でも経営の岐路に立たされている新聞社は多い。かつては新聞社や出版社、テレビ局などは、黙っていても顧客が付いて経営は安定していると見られていたが、時代が変わりインターネットのような想定できなかった新業種の参入により、産業界も大きく変わったのである。

 もうひとつは、検索エンジン‘GOOGLE’の最近のストリート・ビューとか、世界中の出版物のデジタル化によって関係者の著作権問題が起こっている点について、講師が例題を挙げて説明された。特に、最近日本ペンクラブが承服し難いとのコメントを発表したことを例に挙げた。私なりに2月に日本文芸家協会から受け取った手紙について簡単に説明した。

2009年6月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

773.2009年6月25日(木) ジャーナリスト岸井成格氏の北朝鮮分析

 多摩大学の公開講座で毎日新聞特別編集顧問・岸井成格(きしいしげただ)氏の講義を聴講した。ジャーナリストとして広く知られ、博識でもあり、その語り口もポイントを掴んでいて分かりやすい。今日のレクチャー「文明の岐路に立つ世界と日本」は内容が多岐に亘り、珍しい話題も多く面白かったが、話題があまりにも広がり過ぎてやゝまとまりがなかったように感じた。その最たるものは、レジュメに項目が列挙されていたにも関わらず、それ以外の話題に時間を割き過ぎてタイムアップになってしまった時間配分にある。もう少し詳しく話を伺いたかったというのが本音である。レジュメに挙げられていながら、話されなかった「座標軸の置き方」「世界に3つ、日本に1つの座標軸」「イラン革命と大統領選挙」については興味があり、ぜひとも岸井氏の見解を伺いたかったが、成らなかったことが大変残念だった。

 冒頭に沈才彬・多摩大教授が岸井氏を紹介されて、1972年6月の佐藤栄作首相退任記者会見で取材記者と首相との間でひと悶着あって、記者団全員が退席した時の張本人が岸井氏であることは初めて知った。あの記者会見は偶々見ていたので、突然のハプニングにびっくりしたことをよく覚えている。その時、記者の気持ちも理解出来るが、記者団が取材しなくなってはお仕舞いではないかとも思った。本人に言わせると若気の至りとのことであるが、ある面で岸井氏も相当気骨のあるジャーナリストである。日頃より的確な表現で事象の因果関係を浮かび上がらせたり、同席者のピントの外れた意見に対してもきちんと指摘したり、中々の人物であると一目置いていた。

 ワシントン特派員時代の日米自動車摩擦問題を取材した体験談と、前段で話された北朝鮮問題に興味をそそられた。北朝鮮が2012年に30数年ぶりに労働党大会開催を決定したと話された。これを機会に強盛大国、核ミサイル大国の道を突き進むだろう。前例(金日成から金正日へ政権世襲)に倣えば、この大会で金正日から3男・金正恩への世襲が正式に承認されるそうである。また、中国が北朝鮮の崩壊を支える立場にあり、朝鮮戦争では国連軍に対して共に戦った同盟意識もあり、このまま支援し続けるだろう。驚いたのは、中国が北朝鮮の核開発、核実験を諌める立場上、その説得の殺し文句は北朝鮮が核の開発を進めると、必ず日本が核開発に乗り出すので、抑えてくれという言葉だそうである。日本の核開発は、能力的に可能なだけに欧米も大分警戒しているらしい。その点で言えば、日本は同盟国からあまり信用されていないようである。先日その北朝鮮を離れた貨物船はどうやらビルマ海域へ近づいているらしい。

 昨日から政界に旋風を巻き起こしている東国原宮崎県知事の、自民党へ突きつけた要望書(知事から国政転出の条件として、自民党総裁候補として推薦する)についても触れられた。やはり政治部記者としての長いキャリアがあり、自民党の立場、執行部の気持ち、長老議員の考え等が、心理面まで踏み込んで興味深く、かつ分かりやすく説明してくれた。ジャーナリストとしては大命題を語るより、どうしても直近の話題の方に話が流れる傾向があるようである。

2009年6月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

772.2009年6月24日(水) 寺島実郎先生にご高説を賜る。

 知研「出版プロジェクト」で楽しみにしていた寺島実郎先生への取材を今日午前都内で行った。現在マス・コミで最も売れっ子の「すべてに精通する評論家」の寺島先生は、執筆に、テレビ出演に大童の活躍ぶりである。その蓄積されたノウハウと諸外国現状分析の面で、これまでの学究的知識と頻繁な海外視察による定点観測により、その真っ当な社会解析は並外れており、分析と先行予測は類稀な正確度を誇り各界から信頼されている。財団法人日本総合研究所会長、三井物産戦略研究所会長の要職に加えて、今年4月から多摩大学学長にも就任されている。その他にも文科省・中央教育委員会委員を始め、政府関係の委員を含めて29の役職や委員を委嘱されている。有識者の中でも現在日本で最も多忙なおひとりである。

 以前よりどうしたらこれ程正確な情報分析と予測が出来るのだろうかというのが素朴な疑問だった。ご多忙の中を約1時間に亘りインタビューに応えていただいた。インタビューは、今日に備えて昨日上京された知研・仙台支部長の横野洋卯子さんが担当された。

 昨日入手した横野さん作成の事前質問は、情報収集、構想、自己表現の3つの分野に細かく分けられている。寺島先生から多くの点で印象深い示唆を受けたが、情報はかき集めるだけではダメで、他の事象との相関を考えるべきであると言われたこと、団塊世代への手厳しい指摘、現代若者についての感想、父の転勤に伴う転校体験、三井物産入社直後の海外体験、演繹法と帰納法しか解決手段を持たない秀才、等について伺った多岐に亘る話が大変興味深かった。

 九州から北海道、そして逆コースとまったく異なる土地柄の中で初中等教育を受け、高校時代にクーデンホーフ・カレルギー著「パン・ヨーロッパ」を訳された鹿島守之助氏へ大胆にも直接手紙で訳著をおねだりしたエピソードを披露してくださった。三井物産ではすぐイスラエルへ駐在して、テル・アビブ大学で学んだ体験とイランのIJPC(イラン石油化学プロジェクト)への関わりが、イスラム、或いは諸外国との相関関係の大切さを知るきっかけになったと仰った。

 三井物産へ入った動機について補足的に質問させてもらったが、答えは一般の商社マンとしての入社とは異なり、最初からシンクタンクである三井物産戦略研究所へ入り、商社の営業活動には携わっていないとお答えいただいた。現地で現場の空気を知ったことが、その国について確たる信念を持って論ずることが出来る根拠となっているというお話だった。

 それにしても、現代の若者に力がなくなったとの件では、世の中に不条理とも思える差別とか、貧困差がなくなったことで、若者の間に怒りがなくなったことが原因と仰った。知識人についてもわななくような怒りがなくなった。これはもう人間ではないとまで言われた。ご自身が団塊世代であることについてもろくなものではなく、長い日本の歴史上自由に生きてよいと言われた唯一の世代であり、公から逃げた世代だと自嘲的に話された。そこまで厳しく責めることはないのではないかとも思うが、きっと団塊世代としていたたまれないほど良心の呵責の気持ちが強いのだろう。それと同時に責任を持たずに育った団塊世代の子どもたち、団塊ジュニアについても厳しい見方をされた。団塊ジュニアは「ミーイズム」と呼ばれ、ライフスタイルは不干渉主義、好き勝手のし放題と手厳しい。ホリエモンや、秋葉原無差別殺傷犯人らを始め、「SMAP」が歌う「世界にひとつだけの花」の歌詞なんかもぼろくそだった。

 しかし、寺島語録は頷けることばかりで流石に現実をよく捉えておられると思う。実に教えられることの多い取材だった。寺島先生も終始笑顔を絶やさず、アットホームな雰囲気の中で時間いっぱい格調高いお話を伺った。同席された久恒啓一理事長には、終ってからホテルで昼食をご馳走になった。

2009年6月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

771.2009年6月23日(火) 沖縄で64回目の慰霊の日

 終戦から数えて64年目の今日は、沖縄地上戦で命を落とした犠牲者を悼む「慰霊の日」と呼ばれている。戦争犠牲者の碑の前では、ほとんどの人がもう戦争は繰り返さないと誓う。しかし、現実には戦争は無くならず、むしろ近年は地域戦争や民族紛争が頻発している。激戦地となった糸満市摩文仁の丘の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式が開かれた。4,500人も参列したこの追悼式には、麻生首相も出席し追悼の言葉を述べた。残念ながら、野党代表者は誰一人として列席しなかった。いつも声高に戦争反対を叫び、国際的に注目を集める核反対運動などでは先頭に立つ共産党や社会党の党首はもちろん、野党第1党の民主党執行部からは誰も現地へ足を運び、戦没者を悼み、追悼文を述べる関係者はいなかった。

 戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」には、すでに24万人を超える犠牲者が祀られている。口先だけ戦争反対と言ったって、どこまで本心かは分からない。現場で慰霊碑の前に立ち、静かに戦争の情景を思い浮かべ、関係者の話を聞いて、初めて心にずしんと来るものである。僭越だが、私自身の経験から言えば、熾烈な戦いが行われた土地で体験者から話を聞いて自分のイメージをダブらせると、自然に目頭が熱くなってくるものである。そこに追悼の気持ちも生じるのである。だからこそ現場である戦地へ足を運ぶことに意味がある。然るに、憲法改正反対とか、原子力発電所建設反対、自衛隊海外派遣反対とか、とかく派手に報道される運動には力を注ぐが、日本人にとって戦後復興の原点でもある沖縄最後の地上戦と、その犠牲者に対して、そっぽを向いているかの如き、リベラルと称する面々の沈黙は一体全体何だろうか。もう少し誠実な良識と日本人としての心があっても良いのではないかと思う。併せてマス・メディアの見識も問いたい。

 今日は各地で真夏日となり、熊谷市では摂氏33.8度を記録した。この暑い中を歯科、整形外科、内科と医院のはしごである。先日抜けた歯の治療もどうやら終わりとなって、整形外科と内科は定期検査に行く。相変わらず高めの血圧については、整形医と内科医とももう少しこのまま同じ量の投薬で行こうということになった。

2009年6月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

770.2009年6月22日(月) ロマンスカー車内での取材

 知研「出版プロジェクト」で私にとって4回目のインタビューは鉄道作家であり、推理作家でもある野村正樹さんだ。野村さんの提案により小田急ロマンスカーの展望車を部分的に借り切って、そこで取材するという珍しい舞台設定になった。出版社も興味を持ってくれ、予備席を含めて22席をリザーブして、小田急電鉄にも前以てこの企画について了解を求めた。

 16座席をフロントガラスに向かって「コ」の字型にアサインして応接間空間を作り、ゆったりした雰囲気の中で取材するということになった。流石に「鉄っちゃん・野村正樹」の面目躍如で心憎いばかりの心配りと演出である。予め質問をお送りしておいたが、特に「知の現場」という書名に関する「知」に拘った質疑となった。

 恐れ入ったのは、事前の質問に対して事前に野村さんから書類により一部回答をいただいたことである。少々難しいインタビューになるかなとの懸念は見事に吹っ飛んだ。野村さんにとっての「知的生産」とは、人間としての理想である「真善美の追求」「清く正しく美しく」のために4つの「識」、つまり「知識」「常識」「見識」「美意識」を磨き、これに触媒を加えて5つの「シン」の行動、端的に言って「発信」「受信」「共振」「疑心」「確信」することであると言われた。野村イズムの斬新な命題が浮かび上がったような気がする。

 ロマンスカー内での質疑は賑やかでやや落ち着きのないものだったが、中々珍しい体験で楽しいものだった。小田原駅では、知研会員の石川均さんがわざわざ年休を取ってワゴン・カーで出迎えてくれ、野村さんが連絡を取ってくれた二宮神社へ案内してくれた。野村さんは小田原で二宮尊徳博物館と報徳二宮神社見学を設営してくれていた。博物館で学芸員の説明を受けた後、草山昭・財団法人報徳福運社理事長から二宮尊徳の偉業と思想についてお話を伺った。草山理事長はかつて報徳二宮神社の宮司だった。昨年ブラジル移民100周年記念行事のためにブラジルへ行かれ、ブラジル日系人から尊徳について学びたいとの熱心な声に接した。帰国後尊徳の像を贈って普及にも力を注いでおられると仰っていた。「報徳精神」というのは、そもそも「神・儒・仏」が一体化したものだとの説明を受けたが、その考えは、神が50%、儒は25%、仏が残りの25%だと教えられた。神が半分も入っていることは中国辺りでは受け入れられないだろうと考えられるが、思想的に難しい中国でも近年二宮尊徳に関する関心が高まってきているということである。また国内でもトヨタ自動織機では、経営の参考のために、尊徳に対する教育を広めたいと言っていたそうだ。今や日本の教科書で尊徳について教えられることはなくなってしまったが、現在のような経済破綻、倫理観の失われた時代だからこそ、反ってその思想が強く求められているとのお説であった。まさにその通りだと思う。

 今日の取材は一風変わった取材になったが、二宮尊徳を見直す機会にもなった。いつまでも印象に残るものである。

2009年6月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

769.2009年6月21日(日) 時代は世紀末に近づいているか。

 一昨日懸案となっていた臓器移植法改正案が衆議院で可決された。微妙に異なる4つの案が出されていてどうなるのか国民には分かりにくかったが、結局「脳死は人間の死」との前提が認められたことになる。今日まで法制化が難しかったのは、倫理的な問題を含んでいるため是非を判定する法律に馴染まず、どの政党も国会議員も猫の首に鈴をつけたがらなかったことが原因である。わが国はこれまで高い治療費を支払って海外で手術を受けるという個人的な行為に頼り、問題解決を先送りしてきた。

 先般WHOが臓器提供者の不足から、臓器は同国内で提供されるべきであるとして、外国で臓器提供を受けることを禁ずる警告を発した。それにより日本国内で臓器提供者の少ない現実を踏まえ、臓器提供者の枠を広げようとの発想が、今回の衆議院における法律改正に辿り着いた。しかし、この法律は結果的にさまざまな問題提起を来たしている。国会審議は充分でなくバタバタと決めてしまったことが、専門家の間に不満を募らせている。

 それにしてもこの問題以外にも、この一両日の間の立法と行政のドタバタは目に余る。例えば、一度に3つの法案を可決して、こんな拙速でよいのかと考えてしまう。ここへ来て1日の内に「海賊対処法案」「国民年金法改正案」「税制改正法案」の3法案を通してしまったのである。国会開催期限のことも念頭にあったと思うが、議員はそれぞれの法案の内容が充分分かっているのだろうか。

 行政でもおかしなことがまかり通っている。建設効果が費用に見合わないとして、国土交通省がこの3月末に建設を凍結した国道18路線について、大半は事業が再開されるどんでん返しとなったことである。これでは何のための見直しか。朝令暮改を堂々と繰り返して、政治家も役人もまったく恥じない。国交省の対応には開いた口が塞がらない。金がかかるから工事を停止にしたはずであるが、族議員の要望があればすぐひっくり返してしまうのである。これなら最初から見直しなんて必要なかったのではないか。毎度こんな調子だから、政治家も役人も信用出来ない。

 さて、荒れたイラン国内情勢は、最高指導者・ハメイニ師が選挙の結果は正当であるとして、革新派のムサビ氏や支持者に反対運動の中止を促した。一旦は収まりそうに見えたが、群集は納得せず、暴動一歩手前の騒動になっている。警備隊の発砲により10人が死亡したとも伝えられている。ここもいつ平静さを取り戻すのか。北朝鮮の貨物船もどこへ行ったのか。ビルマはどうなるのか。イラクでは自爆攻撃により60人が亡くなった。

 国内では一部の人間が勝手な振る舞いをして国を劣化させ、世界では無軌道、暴動、無差別殺人が当たり前のようになって世界中に不安の種をばら蒔いている。世紀末的な影が忍び寄っている証左だろうか。

2009年6月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

768.2009年6月20日(土) ペトロ岐部の殉教

 日本キリスト教団中目黒教会で伝道集会が開かれ、「ローマまで歩いた日本人、ペトロ岐部の殉教」のお話があると小中陽太郎さんから案内をいただいていた。中目黒教会へは以前1度訪れたことがあるが、今日の催しは中々興味深い趣向だった。キリスト教については、それほど詳しく分からないが、出席者の質問の中には、プロテスタント教会でカトリックの人たちを主題に催しを行うことは稀で、その意欲的な試みを評価する声があった。

 実はペトロ岐部という人物がどういう人で、歴史上どういう役割を果たしたのかよく分からなかった。話をされたのは、川村信三・上智大学准教授だったが、ローマで学んだので流石に詳しい。

 ペトロ岐部は天正少年遣欧使節団より20年ほど遅れて、キリシタン禁教令の下で外国人神父や仲間とともに追われるように長崎を発って行った。些か恥ずかしかったが、ペトロ岐部は少年遣欧使節のひとりだと思っていた。船と自分の足で目指すローマへ向かい、お仕置きを覚悟で日本へ帰り、殉教した。川村講師の話によると井上筑後守が処刑の決断を下した際に、ペトロ岐部の強い信仰心と揺るがぬ決意に感動したようである。その辿ったルートを見るとホルムズ海峡から砂漠の中をペルシア、イラク、シリアを経由してエルサレムへ到着した。その後ベネツィアから、ローマへ入り、マドリード、リスボンを経て海路東南アジアを経由して帰国した。

 1614年に発って16年後の1630年に日本へ戻ったというから、この時代では宇宙的な大旅行だったことが分かる。今日の出席者からペトロ岐部が処刑されたのは、江戸・札の辻だという説明があった。新知識ばかりだ。出席された人たちはそのあたりの薀蓄にかけては詳しく、質問でも話の内容でもとても私にはついていけるものでなかった。

 進行は小中さんのリードで進められたが、奥さまともども熱心なクリスチャンである小中さんは、素敵なコーディネーター役をこなしておられた。賛美歌から取った「勝利をのぞみ」という歌詞が、懐かしい‘We shall overcome’であるとは知らなかった。かつてはベトナム反戦デモの際よく英語歌詞で歌ったものである。浅はかな知識から、この歌はフォーク歌手ジョーン・バエズが作ったものだとばかり思っていた。終ってから階下で手に入れた90頁ほどの小冊子‘PETRO KIBE’「ローマまで歩いた男」はざっと目を通しただけだが、コンパクトによくまとまっている。ペトロ岐部について新たな一面を知ることが出来たように思う。

 目黒区議の須藤甚一郎さんも来ておられた。教会を出て歩道で須藤さんがご存知のタレント・久本雅美さんにばったり逢った。以前の仕事の関係で須藤さんもお顔が広い。そのまま自由が丘へ出て、小中さんご夫妻のおごりで、須藤さん、それに最近ソマリア沖の海賊対策でジブッティへ行かれた防衛省深山秘書課長とともに食事をした。

2009年6月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

767.2009 年6月19日(金) ブラウン英首相がビルマ軍政を非難

 イギリスのブラウン首相が、今日ビルマのアウン・サン・スー・チーさん64歳の誕生日に際して、ビルマ軍政に対する極めて強い調子の寄稿文を朝日新聞に寄せた。スー・チーさんはもう13年も軍の厳しい監視下に置かれて外出も思うように出来ない。ブラウン首相は国際社会がビルマの悲劇を忘却の彼方へ追いやってしまうことを恐れるかのように、世界中の人々に軍政に対して強い行動を起こすよう呼びかけている。元々イギリスの植民地であったという負い目があるのかも知れないが、日本をはじめ近隣諸国があまりビルマに対して、本来の支援活動を起こさないことに対する苛立ちが発散されたようだ。イギリス政府はビルマ軍政の正統性を認めておらず、ビルマが軍政になってから国名をミャンマーと変更したが、イギリスは受け入れず、依然としてビルマと呼んでいる。一時的にビルマが話題になることはあるが、国際社会からはすっかり忘れられた存在になっている。

 ところで、国連制裁を受けている北朝鮮の貨物船が出国して中国沿岸部に沿って南下している。アメリカ政府は積荷の検査を、入港した国へ要求すると上空から監視しながら尾行を続けている。その入港先がビルマらしい。一両日内に判明するだろうが、ビルマは北朝鮮の貨物船を受け入れ、その場合アメリカの要求通り積荷の検査に応じるのだろうか。両国ともによくよく物議を醸す国である。

 今日は1日中忙しく、池袋から新宿、そして駒澤大学と移動ばかりしていた。池袋では、外人向インバウンドツアーの紹介と立会いで、以前に会ったことのある王一仁さんに話を聞いた。中国を中心にアジアからの旅行客に小田急の施設を利用してもらおうとの試みである。‘VISIT JAPAN’を標榜する観光立国政策の影響もあり、年々訪日客が増えているが、国内の受け入れ施設が整備されないようでは話にならない。その最たるものがガイド不足である。王さんの話によると、ガイド資格試験の合格率が低くて絶対数が不足しがちであるという。それでいて、日本にはガイド数を増やそうとの気持ちが感じられないという。それは、中国人が中国語ガイドの資格試験で、歴史、地理、文化等は合格点に達していながら、本家本元の中国語で落とされるという椿事があるという。韓国語でも、韓国人が語学で落ちるというミステリーにどうしたら良いのか分からないと率直に話してくれた。まあこんな愚かなことをやっている国土交通省の役人は、本丸がどこか分からず、政策立案だけやっている感じである。これで観光立国とは少々お粗末ではないか。日本のお役所仕事というのは、いつもこうだ。

2009年6月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

766.2009年6月18日(木) 広告会社が戦争を仕掛ける?

 1年ぶりに多摩大学でジャーナリスト・江川招子氏の講義を聞いた。昨年の講義が面白かったので、期待していたが、正直に言って内容的には昨年ほどの面白さはなかった。しかし、中々説得力のある魅力的な話しぶりで、近年メディアが抱える問題、取材の現場の苦労話を聞かせてくれた。また、想定外な話も聞いて興味は尽きなかった。題して「新聞の読み方・テレビの見方」である。

 今日の講義で江川講師はいくつかの問題点を提起されたが、大きな問題としてマス・メディア業界全体に、不況の影響による広告量の減少、それが新聞の頁数の減少となり、記事より写真が増える傾向にあると指摘された。

 実際今朝の朝日などはかつては考えられなかったような2流、3流の広告が載っていた。メディア内部の問題としては、①「週刊新潮」の誤報、というより意図的とも思える朝日新聞神戸支局員殺害事件のニセ犯人問題、②奈良県少年放火殺人事件、を例証された。現在事件の情報源が罪に問われるケースが深刻になっている。同時に、「SLAPE」と呼ばれる公的発言を封じる行為が問題視されている。例えば、真実を究明した結果、逆に裁判に訴えられた場合、対抗上弁護士に相談せざるを得ない。時間のやりくりも大変だが、それ以上に高い弁護士費用を払えないケースが出てくる。講師自身もオウム真理教から坂本弁護士殺害事件に関連して、訴えられた体験を話された。それが行き過ぎるとジャーナリストもつい無難な記事を書く傾向に陥る。こういう流れをどう食い止めるか。

 また、広告掲出企業を悪く書かない傾向も見えてくる。最近では一部にかなり批判されたトヨタの奥田氏とキャノンの御手洗氏のメディアに対する嫌がらせ発言の例がある。

 怖いのは、広告会社が広告を作る際、広告会社のイメージで作る場合であると非難していた。外国では、湾岸戦争やユーゴスラビア解体直前の恣意的なCMが戦争を引き起こす結果になったと、「戦争広告代理店」とまで呼んで糾弾しておられた。現在の傾向としては、「見るものが欲しがるものを出す」ということと、「何事も短く」というのが時代の風潮であり、キーワードのようである。

 考えてみるとこういう風潮が進むと、マス・メディアは徐々に内部崩壊していくのではないか。広告会社が戦争を仕掛けるとはまったくもって考えたことがなかった。

2009年6月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com