ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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2087.2013年1月29日(火) 政府は原発問題をどう考えているのか。

 日本原子力発電敦賀原発について原子力規制委員会は、昨日同原発2号機の直下を走る断層について活断層である可能性が高いとする報告書案を了承した。これが最終決定ではないが、敦賀原発の再稼動は極めて難しくなった。

 昨日召集された通常国会で安倍首相は所信表明演説を行った。評論家諸氏がコメントしているように、経済再生を力説し、その半面微妙な問題について語ることを避けた無難な内容だった。それらは大きく分けて経済、震災復興、外交・安全保障、教育の4つの分野に集約される。首相は党内で合意を得ていないTPPと原発問題に関しては触れることを回避した。

 今わが国にとって原発問題は喫緊の課題である。その重要課題を取り上げることなくして危機突破内閣としては責任逃れと言われても抗弁できまい。下手をして火ダルマになることから逃げようとしたのだろうか。

 先日も原発容認派の友人と議論になったが、今もって原発の根本的な問題は解決されていない。放射能を撒き散らす恐れの極めて高い、こんな危険なエネルギー源をどうして断念するという発想が生まれないのか不思議ですらある。しかも、排出される「核のゴミ」とされる使用済み核燃料の処分方法がまったく解決されず、依然として世界中で「核のゴミ」問題が宙ぶらりんの状態なのである。

 震災前の2011年2月NHK・BS放送でBSドキュメントのシリーズ「放射性核廃棄物はどこへ」の一環として、「地下深く永遠に-核廃棄物」が放映された。これは2010年に国際環境映画祭でグランプリを受賞した秀作である。ほんの1時間足らずの短編であるが、エネルギーを必要とするわれわれ現代人に多くの問題を示唆し考えさせ、同時に核を使用することの是非を問いかけているものだ。

 この作品が一昨年7月に再放送された時私は初めて鑑賞し、昨日改めてビデオを観てみた。フィンランドのオルキルオト島の地下400mにある「オンカロ」と称せられる洞窟内に、高レベル使用済み燃料を埋み込める計画を映像化したものである。これは「10万年後の安全」としてドキュメンタリー映画でも映像化された。これも同じ頃渋谷の映画館で観た。

 その最終処分計画の建設許可が実際に申請され、順調に行けば来年6月に建設を始め、2020年に操業を開始するという記事が、今月24日の朝日朝刊に紹介された。これは排出された核のゴミを処理するための世界で初めての施設である。一応10万年間は持ちこたえられるという前提の下に作られたものである。現在世界中に排出された使用済み核燃料は、少なくとも25万トンと言われている。このオンカロで処分されるのは9千トンである。まだまだ処分問題は緒についたばかりで、解決したわけではない。今後核のゴミの処理について、国際的にどういう対応をして解決していくのか、今も長期的な展望は見られない。

 問題のひとつである、出口の問題は現状ではオンカロのような処分方法がやっと実用化されようと考えられたが、その一方で入り口の原発稼動問題と切り離すことができない放射能漏れの危険については、解決策は原発を稼動させないことであることは分っていながら、これが廃絶に向けて一向に前進しない。

 偶々昨日の海外ニュースで知ったことであるが、ブルガリアの原発計画が福島原発事故以降ストップしている。ブルガリア政府はこれを機会に原発計画中止を提案したが、賛成派議員が猛反対して大きな問題となった。その結果国民投票を行ったところ、賛成派が60%を占めたが、投票率が21%台と低くこの国民投票は無効となったそうだ。いずこの国でも原発計画については悩み、できることなら別のエネルギー開発を行いたいとしながら、原発中止にまでは踏み切れない。

 日本ではどうするのか。原発が「トイレのないマンション」と揶揄されるように、核のゴミは溜まる一方である。私個人としては絶えず放射能漏れの心配をしなければならない危険な原発は、次世代のためにも断固中止しなければならないと考えている。どちらにせよ、政府もできるだけ早く展望と国の方針を打ち出すべきであろう。

2013年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2086.2013年1月28日(月) 歴史を変える事態を放任している文科省

 現代社会になっても歴史的事実、史実が完全には解明されていないことは言うまでもない。だが、それが長い間学校で学んだ史実に疑問を呈する事態になるとちょっと厄介である。噂には聞いていたが、鎌倉幕府が開かれた年号がこれまで信じられていた1192年ではないとなると、戸惑いを感じるとともに、なぜだと疑問を抱き確認してみたくなる。

 今日から朝日夕刊に「歴史のズレ」というシリーズ物連載が始まった。それによると鎌倉幕府開府は、本来源頼朝が軍事・行政官である守護、地頭を各地に置くことを朝廷から許され、実質的に支配を始めた1185年だそうだ。では、これまで受験勉強中語呂合わせして必死に暗記した「イイクニ創ろう鎌倉幕府」だった1192年は何だったのか。それは頼朝が朝廷から武士の最高位である征夷大将軍に任じられた年である。これも充分根拠があるので、どちらかを一方的に決め付けるのではなく、多くの歴史専門家が検証し充分議論を戦わせてどちらかに決定すべきだろう。敢えて社会を混乱に陥れてまでも開府年号を変えて通史を変更する必要があるだろうか。

 私にとってもっと意外だったのは、幕府という概念自体が、その当時はなく、江戸後期になって生まれた言葉だったということである。「鎌倉幕府」という言葉が初めて使われたのは明治になってからだというのも意外だった。従って鎌倉時代に頼朝に仕えた武士たちには、自分たちが「幕府」の構成員であるとの認識はなかったそうである。

 今鎌倉幕府がわが国最初の武家政権だという通説にも異論が出ている。本郷和人・東大教授は平清盛が後白河法皇を幽閉し、福原で政治、軍事権を握った1179年こそが、最初の武家政権「平家幕府」が開かれた年だと論じているのである。

 一番困るのは、疑問は疑問として中途半端なまま一方的にどちらかが正しいという結論を出され、新しくなった史実を教えられた生徒たちが、一方ではそうではないと思っている昔の歴史を学んだ大人たちとの間で、真偽はどちらか迷わされることである。歴史教科書の中には、すでに新説の記載で走り出しているものもある。つまり、鎌倉幕府の開府が1185年と記載されて教えられているのである。問題は2つの説を充分検証もしないで、それぞれが自説にこそ正しい根拠があると主張することによって、不信感の中で誤解と困惑が拡散することである。

 それにしてもわが国の歴史上の史実が変わるかもしれないこんな重要な事態に、文科省はなぜ何も発言しないのだろうか。

2013年1月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2085.2013年1月27日(日) 2013年度税制改正大綱を決定

 自民党と公明党は24日、2013年度税制改正大綱を決定した。安倍政権が掲げるデフレ脱却と景気浮揚を側面から支えるために、企業に設備投資や雇用拡大などを促す減税制度に重点を置くほかに、一般には来年4月の消費税率8%への引き上げに備えて住宅や自動車の購入のための負担を軽減しようとの狙いがある。

 消費増税については、併せて軽減税率の導入も検討されていたが、これが複雑過ぎて産業界の意見も多種多様であり、集約することがとても時間的に間に合わないとして、先延ばしされることになった。ただ、こういう救済措置は主旨として理解はできるが、制度を複雑にする一方である。その見返りに低所得層に現金給付を行う方針である。

 これならそれほど難しいことはないとして採用されるようだ。実際1997年に3%から5%へ増税された際にも「臨時特別給付金」の名目で65歳以上の低所得者に1人あたり1万円を支給した前例がある。

 今回の税制改正大綱で低所得者層に含まれない一般人には、どれだけの優遇、恩恵をしてくれるのかというと、住宅ローン減税と住宅の省エネ改修工事費の控除額、自動車取得税、孫への教育資金の非課税、株式・投信への小額投資非課税などで中々分り難いうえに、それなりの資産を有している人がその恩恵に与れるようだ。こうして、税制度はますます難しく一般の人々には分り難くなって面倒くさいと関心を持たれなくなってしまうのではないだろうか。

 税金の仕組みはあまり複雑にしない方が良いのではないかと思う。さもないと税金の本旨が理解されなくなり、支払う義務について誤解を呼び、支払うことの義務感が薄くなるのではないかと心配である。その意味で果たして今度の税制改正大綱はどんなものだろうか。

2013年1月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2084.2013年1月26日(土) 日本教育界にとっての問題点

 今教育界にいくつか深刻な問題が持ち上がっている。

 最近最も話題をさらったのは、大阪市立桜宮高校の運動部顧問による体罰に悩んだ運動部主将が自殺した事件だろう。同校は橋下徹市長の強い意向で体育科の入試を今春中止する異常な事態に発展した。後顧に憂いを残す問題を提起したので、今後広く論議を呼ぶことになるだろう。

 過激な橋下市長が、事件の充分な検証や対策もしないうちに強引に教育現場へ介入したことで、受験を間近に控えていた受験生の夢を奪うことになった。表面的な善悪だけの判断で複雑な問題を一刀両断にすることが、果たして教育の名に値するものだろうか。しかも、橋下市長は万一入試を中止しなかったら、市長を辞任して再市長選で市民の信を問うと言ったという。流石にこの目立ちたがりのパフォーマンスは周囲が止めたようだが、この思い上がった独裁者は一体何を考えているのだろうか。

 2つ目は、国家公務員の給与削減に同調して地方公務員の給与も削ることになったそのツケが、思わざる結果をもたらしてしまったことである。その期限の決め方とか方法論が問題を提起した。退職手当の条例改正に伴い、退職金が減らされる前に「駆け込み退職」する教職員が相次いだのである。埼玉県のように123人もの教職員が退職を申し出たそうである。原因は、今年1月末までに退職すれば規定通りの退職金を受け取ることができるが、それ以降だと退職金がカットされる条例の施行である。これで年度行事の卒業式や終業式に一部支障を来たし、当然出席する予定だった教師が出席しないという異常事態となり、学校と生徒にとって後味の悪い学年末を迎えることになる。

 それぞれ言い分はあろうが、1月末という期限を区切りに退職金の額に差をつけるという教育現場無視の条例改正こそが一番の癌であろう。

 3つ目は、公立小中学校のすべての学級の人数を最大35人にする計画を文部科学省が断念したのである。実はこの制度はまだ緒についたばかりで、現在上限を35人と義務教育標準法で定めているのは小学校1年生だけである。文科省は小1の学級が持ち上がる小2についても、小1と同様の法改正を検討したが財務省が拒絶した。はっきり言って今年度までに小1、小2の「35人以下学級」を実現した民主党政権は5年間で中3までの全学年に広げる計画を立てていたが、政権交代によりいとも簡単に白紙に戻してしまったのである。

 文科省の教育視察団のお供でアメリカの初中教育の現場を度々視察したが、1クラスはほとんど20人以下の学級編成だった。ヨーロッパの小中校も大体1学級30人以下だったように記憶している。

 長期的なスパンで考えられるべき教育行政が、日本ではどうも軽視されているような気がしてならない。今の政治家と官僚には教育のあるべき姿が分っていないようだ。だが、その一方で公共事業には税金をじゃぶじゃぶ注ぎ込むことを惜しまない腹積もりのようだ。

 結局予算を獲得し、政策を実行するのは政治家と官僚・役人である。長期的教育効果とか国家的視点で考えることより、彼らは自分の損得だけでしか物事を考えないのだから話にならない。

 それにしても日本の教育は、政治家の手によって望ましい方向とは逆行している。日本の将来にとって希望を失わせているのは政治家と政治制度、そして官僚機構であると言ってやりたい。

2013年1月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2083.2013年1月25日(金) 人質事件の犠牲者、母国へ帰る。

 今朝アルジェから日本政府専用機で人質事件の生存者7名と、最後に死亡が判明した人を除く9人の遺体が羽田空港へ帰ってきた。テロリストの凶暴な犯行により亡くなられた方々の気持ちは、さぞや無念だったのではないだろうか。一緒に帰ってきた日揮㈱川名社長の挨拶もまさに痛恨の極みと述べ悲痛なものである。亡くなられた方々にまつわるエピソードを伺うと哀れでならない。

 どこへこの悔しい気持ちをぶつけて良いのか、関係者の気持ちも乱れるばかりではないか。こういう悲しいムードを慮って、宮内庁では昨秋喜寿を迎えられた常陸宮の内宴を、天皇の強い意向で取り止めることにした。また、あるテレビ局では人質事件を大きなテーマとして取り扱った番組の放映を延期することになったという。

 当事者はもちろん身近な人にとって精神的な影響が大きいのだ。今朝もテレビで、1996年に起きたペルー日本大使館襲撃事件当時の青木盛久大使が、事件後しばらくは恐怖感があり、精神的に落ち着かなかったということを話していたが、今回も人質になった方々の心のケアを忘れてはならないと思う。

 3日前の本ブログに、戒厳令下のアンマンで軍隊に身柄拘束された私自身の体験を簡単に綴ったが、私は運が良かったのだと改めて思う。もし、あの時軍ではなく、テロリストに拉致されたらどうなっていたか。また、ヨルダン軍に疑われたまま収容所に連れて行かれ、拷問でもされたら、現在の自分はいないのではないかと空恐ろしくなってくる。拘束を解かれてからホテルのロビーに出てきた時、偶々当時のフセイン国王(現国王の父)の取材に訪れていたテレビ朝日クルーから、このままどこかへ連れて行かれてズドンとやられたって死体なんか出て来ませんよときつい言葉をぶつけられたが、よく観察すればそれほど現場には危険なムードが漂っていたとも言えるのだ。幸運にも私は解放され、惨めなことにはならなかったが、あくまで運が良かったレアケースと受け止め、この体験を安全な海外旅行のために、もう少し有効に啓蒙していきたいと思う。

 さて、今公明党の山口那津男代表が中国を訪れ、今日中国の習近平・総書記と会見して一応存在感をアピールしたようだ。今後日中両国の政治レベルで対話が発展するならこの上ないことである。ただ、中国要人との面会前に、日本政府の意向とは相容れない日中間のかつての約束事、つまり尖閣諸島棚上げ論を再び元に引き戻すがごとき発言をしている。問題が生じそうになると話を取り下げたり、本意とは違うと言い訳を述べたりしているが、先に鳩山由紀夫・元首相が同じような発言をして総スカンを食ったばかりである。山口代表は、公明党の元代表・太田昭宏氏が前回衆議院選で落選して代表の座に就いたが、今回太田氏が国会議員に返り咲いたのを機会に再び公明党代表へ復帰を策していることを警戒して、自らの強い存在感を打ち出すために外交の場ではしゃいだ発言をしたのではないか。国益より自分の利が欲しい人なのではないか。東大卒の鳩山、山口両氏とも受験向きの優秀な頭脳を有しているらしいが、強い個人欲と非常識さ、空気が読めない点では天下一品である。彼らが漏らした放言癖のツケは巡り巡っていずれ国民に回ってくる。「デフレ脱却のために日銀で輪転機を廻してお札をどんどん印刷すれば良い」と述べた安倍首相や、「死にたい人には生命維持装置なんか着けないで死なせて欲しい」などと暴言を吐いた麻生副首相など、程度の低い政治家に呆れるばかりである。

2013年1月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com