充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
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2242.2013年7月3日(水) 日本憲法制定の舞台裏
明日公示となる参議院議員選挙で憲法改正問題、とりわけその入り口にある改憲の発議要件を緩める96条改正を巡る問題が注目されている。憲法改正を志向する改憲派には、占領下にアメリカから押し付けられたと信じ切っている現行憲法を、日本独自の憲法に改定、或いは新憲法を作ろうという願いが強い。だが、96条改正は真正面から本丸の憲法改正に挑むのではなく、隙を見てブラインドを突くようなあまりにも姑息なアプローチではないか。そして、アメリカから押し付けられた憲法との言い分は、正しい認識ではなく、むしろ誤った理解、分析ではないかとの疑問がある。
駒沢大学公開講座で清田義昭講師から毎週秀作テレビ番組のビデオを鑑賞させていただいているが、今日観せてもらったのは、90分の長編、NHK・ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」という中々骨のある作品だった。2007年の作品である。1~2年前に見せてもらった民放テレビ製作のビデオも同じような主旨の佳作だったが、今日のそれは草案作成後の当事者同士のやりとりを追求して、詳しい事実の真相を追い、さらに当事者の証言に裏づけされて深みのあるストーリーが作り上げられていた。
終戦の年に憲法研究会が、その当時ひとかどの良識ある硬骨漢の学者を集めた。メンバーの7人はリーダーである社会政策の東大教授・高野岩三郎を始め、弟子で広島大学学長になった元社会党代議士・森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄、馬場恒吾、杉森孝三郎、そして当時41歳の憲法学者・鈴木安蔵で、昭和20年12月26日最終草案を作成した。GHQからは民主的で受け入れられると概ね了解を得たが、GHQは当初松本焏治を通して吉田茂外相へ日本政府の新憲法案の作成を依頼してもいた。
しかし、それは天皇制の温存を図ったものであると見做されGHQから了解を得られず、最終的には民間の憲法研究会草案が、若干の修正を加えて日本憲法となった。その過程で鈴木安蔵が、明治憲法には採用されなかったが、「自由民権」を発表した植木枝盛私案の精神を採り入れようとしたことや、戦後鈴木が相模湾が望める「国府津館」に引き篭って草案作成に努めていたことを、「国府津館」経営者で何度かお会いしたことがある、高校先輩の箕島清夫さんが語っていたことが強く印象に残っている。
この終戦直後に真剣に新憲法作成のために知恵を絞っていた、リベラルな学者の苦労と憲法制定の経緯を見ると誰が考えても、現行憲法はGHQのアドバイスこそあったが、アメリカ合衆国憲法、ワイマール憲法、その他各国の民主的な憲法を参考にして、民間の憲法研究会7人衆が作成したものであることは明白である。
それにしてもこれだけ充分な資料と証拠があるのに、なぜ改憲派は現行日本憲法をアメリカが押し付けた憲法だと強弁しようというのだろうか。
実に内容の濃い、説得力のあるビデオだった。改憲論争をする前に、もう一度多くの国民が観る必要のある秀逸な作品だと感じた。
2241.2013年7月2日(火) 内外ともに難しい問題が増えた。
今月21日の参議院議員選挙を前に、過日自民党を始め8党の幹事長出席による討論会が行われた。自民党石破幹事長は安全確認ができたら原発を再稼動させることに賛成と応えたのに対して、他の7人の幹事長は原発再稼動に慎重な態度を示した。だが、各政党№2の原発再稼動賛成者が僅か1人だったにも拘わらず、現状は再稼動の流れが加速している。原発各社は公開の株主総会で原発再稼動中止の緊急動議が提案されたにも拘わらず、電力会社は少数意見としてこれを否認し、再稼動への道を突き進んでいる。すでに4つの電力会社は6原発12基の安全審査を申請する方針のようだが、これに続き、東電も今月中に柏崎刈羽原発の運転再開を目指し安全審査を申請する方針を固めた。
これに対して泉田裕彦・新潟県知事は、福島第1原発事故の検証・総括がなければ柏崎刈羽原発の再稼動の議論はしないと強く牽制した。政府は再稼動へ向けてエネルギー政策を進めたい意向だが、しばらく虚々実々の駆け引きが続けられるようだ。
さて、いま海外で話題になっているのは、モスクワ空港のトランジット客であるアメリカCIA元職員・スノーデン氏の動きとエジプトのモルシ大統領辞任要求デモである。
前者は、スノーデン氏が一旦はロシアへの亡命希望を述べたが、プーチン大統領が受け入れを表明しつつも、アメリカに損害を与える活動を止めるとの条件を付したことに、スノーデン氏はロシアでは自分の主張を貫けないと判断したのか、ロシア亡命希望をすぐ引っ込めた。彼が挙げた亡命希望国はまだ20カ国もある。先に話題となった、エクアドルとヴェネズエラへは亡命する気があるのか、ないのか。
後者は、昨年民主的に選挙で選出されたムスリム同胞団のモルシ大統領が、ここへ来て反体制デモで辞任要求を突きつけられている。長期政権により権力を縦にしていたムバラク前大統領が政権の座を追われ、民主的な大統領と期待されたモルシ現大統領が就任してまだ1年で早くもその座を追われようとしている。すでに5人の閣僚が辞任を申し出ている。そこへ軍部が乗り出しそうな勢いだ。事態は予断を許さなくなってきた。
2240.2013年7月1日(月) ミクロネシアに中国資本投資プロジェクト
今朝の朝日新聞一面を見てあっと驚いた。「中国、南の島国に触手」としてミクロネシア連邦ヤップ州の大規模開発に関する記事が大々的に掲載されていたからである。ミクロネシアは国家財政の約4割をアメリカからの援助(約91億円)で賄ってきたが、その援助が10年後の2023年には打ち切られる厳しい現実に直面している。
今このミクロネシアについてノン・フィクションを執筆しているので調べているから分るが、ミクロネシアには元々小規模の農業、漁業、観光業以外にこれという産業がなく、貿易収支も恒常的に赤字で外国からの援助なしには立ち行かない国である。言うなれば、自給自足経済を少し進展させた発展途上国である。アメリカからの援助が打ち切られるとなれば、ことは重大である。そこへ目をつけたのが中国の巨大資本で、カジノホテルを建設する大プロジェクトが計画され、すでに昨年ヤップ州と投資協定を結んだ。
プロジェクトではミクロネシア連邦の4つの州のひとつ、ヤップ州の空港を整備して中国や日本から観光客を呼び寄せ、観光収入を増やそうと目論んでいるようだ。4つの州はそれぞれ別々の島から構成されていて地理的にも離れているので、先月訪れたチューク州など他の州が直ちに直接大きな影響を被るということではないかも知れないが、ヤップへの影響が徐々に他州へも及んでくることは想像に難くない。
ミクロネシア政府は取らぬ狸の皮算用により、航空機の飛来による相当の着陸料を見込んでいるようだが、それ以上に心配な点は、地元に1万人の雇用が生まれると本気で計算していることだと思う。仮に雇用が生まれても、地元の雇用状況が好転すると見るのは甘い。その理由として、中国による海外巨大プロジェクトは、これまで地元の労働者をほとんど雇用せず、労働者も機械、資材などと一緒に丸ごと中国から連れてきて行うために、それらが現地でトラブルとなっている前例が数多くあるからだ。それはこれまでのナイジェリアやビルマの土木建設工事を見ればよく分る。まさかミクロネシア政府がこのことを知らないことはないと思う。
その他にもいくつかの問題があるようだ。今まで計画を知らされていなかった住民から反対の声が上がった。プロジェクトに賛成で推進派のエマニュエル・モリ大統領が、反対派のヘンリー・フラン州議会議長と真っ向から対立している状態で、ヤップ州内だけに留まらず、下手をするとミクロネシア連邦の国内世論を分裂しかねない。
ミクロネシアは国家財政が赤字続きで国内にこれという産業もなく、国家の体面を保つのは容易ではない。今までアメリカの援助に頼り過ぎていたがために、国内では自力で歩む力が身につかず、急には自力で開発できる金儲けの手立てもなく、独自の島の伝統や文化を無視したうえで、ついに金満中国資本の軍門に下ることになってしまうのだろうか。
生前2度お会いしたことがあるモリ大統領の父・正隆氏は、極めて温厚で、人望があり、長期展望を見据えた方だった。先日お会いした妹のリンダ・モリ・ハートマンさんも如才ない方だった。それだけに、お会いしたことはないが、モリ大統領がこのプロジェクトで仮に傷つくようなことがあれば、国内に広く大きな影響力を持っているモリ一族にとっても一大事である。
恐らく森正隆氏がご存命なら、このプロジェクトには首を縦に振らなかったのではないだろうか。また、ススム・アイザワ大酋長が生きていれば、どう考え判断されただろうか。
2239.2013年6月30日(日) 富士山の世界遺産登録に思う。
明日の山開きを前に、富士山の人気がうなぎ登りである。その最大の原因はつい1週間前に富士山が世界文化遺産に登録が決まったことにある。年間30万人もの登山者が頂上を極めるという。だが、最近俄かに「弾丸登山」という耳慣れない言葉が目立つようになった。それが目指す特異なところは、頂上でご来光を拝むや休憩も取らずに猛スピードでとんぼ返りして下山するという点である。関係者は無理をした弾丸登山者が遭難事故を起こすことを心配している。
その富士山が世界遺産に登録されたわけだが、当初三保松原が除外されていた。それを覆して三保松原を審査委員に世界遺産の一部と認めさせたのは、これまでの日本の外交や折衝では考えられないような、選考委員への個人的に執拗な説得を試みた近藤誠一文化庁長官のロビー交渉力が陰の力として大きかった。富士山の世界遺産への登録を置き土産に近藤長官はまもなく退任する。三保松原周辺の観光業者からは、近藤長官に対する感謝の言葉が後から後から口を突いて出てくる。もう少しその職に留まって、他にも日本の伝統文化発信のために活躍して欲しい外交官である。
実は、昨年11月「ペンの日」パーティに来賓として出席された近藤長官と挨拶を交わした折、名前が同じ「近藤」で、同じ「湘南高校」出身で、しかも高校歴史館内の「湘南大樹」の一葉としてお互いに経歴が紹介されているという共通項にお互いにその奇遇に驚いたものだ。後輩にこういう頼もしい人物がいることは心強い。近年では2年余もの長きに亘って文化庁長官を務めた人物はいないようだが、それも類稀なる外交能力と海外有力者との人脈が高く評価されたからだろう。
その世界遺産だが、富士山が世界遺産に登録されたことによって、私の個人記録、訪問世界遺産が167ヶ所に増えたが、その他にもうひとつ登録された世界遺産があった。それはポルトガルの「コインブラ大学-アルタとソフィア」である。
思い起こせば、2001年6月パリからポルトへ入り、その後イベリア半島を南下してコインブラ、コンディシャ・ア・ノヴァ、ファティマ、ナザレ、オビドス、リスボンへ下り、その翌日シントラ、ロカ岬を訪ねた思い出多いツアーだった。その時、コインブラ大学図書館を訪れてその蔵書にびっくりしたことが印象に残っている。コインブラは学問の都市として知られる。こういう言葉がある。「ポルトは働き、リスボンは楽しみ、コインブラは学ぶ」
いずれにせよ、世界遺産は奥が深い。まだまだ未知の世界遺産を訪れてみたいと思っている。
2238.2013年6月29日(土) 高校ラグビー部OB会学年幹事会に出席
5年前に湘南高ラグビー部OB会(SRC)会長を辞めてから1度も出席していなかった毎夏恒例のSRC学年幹事会に久しぶりに出席した。先日茅ヶ崎の同学年幹事・大島泰毅くんから奥さんの病状が優れないので、代わりに出席して欲しいと頼まれ、近所の1年上の学年幹事である和田正温さんをピックアップして元旦以来半年ぶりで母校へ出かけた。
出席した幹事が思っていたより意外に少なく、ちょっと盛り上がらない。かつての4分の1ぐらいの出席者ではないだろうか。案内の仕方とか、運営の点などで一工夫必要かも知れない。
主題は、8月菅平に予定している現役チームの夏合宿の支援体制と、3月に行われたYCACセブンス参加に対する今後の対応だった。併せて、私の参与職就任を遠まわしに要請された。会長職を退いて、偶にはお手伝いすることも良いが、参与になってなお多忙になっては困ると考えている。まぁ正式に門田会長から依頼があった時点で考えてみようと思う。
散会して4年先輩の時山直人さん、和田さんとランチをともにした。時山さんはいまも財団の非常勤だが、ほとんど毎日出勤しているというから驚きだ。友人はほとんど亡くなったか、健康を害して床に臥していると言っておられた。我々もそういう年齢に近づいているが、友人らの訃報を聞いたりすると段々寂しくなる。最近になってやはり健康が一番大切だと痛感している。
夜になって大島くんから電話があった。学年幹事会について率直に内容をメール送信したので、気になったようだ。心配をかけることになって反って申し訳ない。彼は奥さんが5万人に1人の確率でしかないというALSを患ってしまったので、自宅で彼が看病しなければならず、それが大変のようだ。ニュージーランドにも、イギリス・ラグビーにも夫婦揃って仲良く出かけたのに、お気の毒としか言いようがない。奥さんはほとんど意識がない状態で身体が動かせないというから長い時間外出できないことが彼にとっても辛いようだ。この状態が続くようだと、当分学年幹事役を代行せざるを得ないかも知れない。