充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2292.2013年8月22日(木) イチロー選手日米通算4000本ヒットを放つ。
大リーグ・NYヤンキースのイチロー選手が日米通算4000本安打を打った。大したものである。一部のアメリカ人ファンの中には、暗に日米の実力の差を考えて、日本で打った安打をあまり評価しようとしない向きもある。だが、誰が何と言おうともイチローの力はそんな偏屈な考え方を吹き飛ばすくらい抜きん出たものだ。イチローは日本で9年間活躍した後にアメリカへ渡ったが、日本では試合数がアメリカより少ないせいもあって年間200本の安打を打ったのはたった1度きりである。それに比べて、アメリカでは今年13年目を迎えたが、最初の年から10年連続で200本以上を打っていることから考えても、単に数字を比較するだけでは公平とは言えないと思う。
イチローが今日までに打ったヒットは日本で1278本、アメリカで2722本である。イチローの両国における活躍年数とヒット数を考えると、最早アメリカでの成績だけを評価すること自体ナンセンスに思えてくる。
アメリカ人選手で4000本を超えるヒットを打った選手は、ピート・ローズとタイ・カップの2人だけで、その2人もイチローの39歳より年長になって大台に達したので、イチローは彼らを追い抜いて最多ヒット記録の可能性もあると思う。それだけイチローの記録は、人一倍優れた大記録だということが言えるのではないだろうか。
蛇足ながら、猛烈なヘッドスライディングで知られたピート・ローズは引退してからビジネスで晩節を汚したが、フィラデルフィア・フィリーズに在籍していたころ、彼をフィラデルフィア・スタジアムで観たことがある。すでに下り坂だったが、流石にスター選手らしくバッターボックスに入ると「ピー!ピー!」と物凄い嬌声が上がったことを思い出す。このローズ氏はイチローの実力を評価しながらも、アメリカ以外で打ったヒットは問題外と考えているようだ。自分の記録が塗り替えられることを恐れるご当人の言い分に、ちょっと人間としての器の小ささを感じて失望させられる。
国内では夏の名物、高校野球決勝戦が今日行われた。群馬県代表校・前橋育英高と宮崎県代表校・延岡学園高の戦いとなったが、接戦の末4-3で前橋育英高が初出場・初優勝を飾った。
さて、6月にトラック島のホテルでお会いしたスキューバ・ダイヴィングを趣味とする渋谷の歯科医熊谷光剛・道代ご夫妻の親切に甘えて、トラック周辺海底の写真を見せてもらいに夕刻クリニックにお邪魔した。DVDを預かってきたが、ちょっと見せてもらったところ素晴らしい写真が沢山あったので、じっくり見てみようと楽しみにしている。このうち何枚かを今執筆中のドキュメントに使わせてもらいたいと考えている。
2291.2013年8月21日(水) 「風流無譚」とテロ事件を想う。
60年安保闘争の年に「楢山節考」の作者・深沢七郎の「風流無譚」が「中央公論」12月号に掲載された。翌61年2月にその内容に憤慨した右翼の少年が嶋中鵬二・中央公論社長宅を訪れ、留守だった嶋中社長に代わり応対に出た夫人を傷つけ、お手伝いさんを殺害して世間を恐怖のドン底に陥れた。「風流夢譚」の内容があまりにも過激で、右翼を怒らせたことがその原因だった。確かに天皇や皇太子が無残に殺害される過激なストーリーは、その内容があまりにも不穏であるとして作品は長らく物議を醸した。著者の深沢は一時世間から姿を隠し、中央公論社は謝罪文を発表し、編集長が宮内庁に謝罪する有様だった。
一方で、言論の自由の擁護や、書き過ぎについて甲論乙駁の議論が戦わされた。吉本隆明や武田泰淳らは、深沢作品を擁護した。その後死傷者が出たことに深いショックを受けた深沢は、記者会見で涙を流し、「風流無譚」の書籍化を封印したと伝えられた。実際同書がその後世に出ることはなかった。ところが、最近になって当時の中央公論編集部次長の子息が同書の電子書籍版を発行した。著作権継承者が了解したからだという。しかし、深沢本人はどんな気持ちでいるだろうか。そして、それが結構販売数を伸ばしているという。これはあくまで電子書籍化ということで、通常の書籍としては現状では出版されない。
昨日の朝日夕刊に取り上げられていたこの関連記事を読み、何とも感慨深いものがあった。エポックメークな年に起きたこのテロ事件は、もちろん私自身よく憶えている。この事件の直後に長野県ラジオ局の街頭録音でこの事件に対する意見を尋ねられて応えた経験があるからである。ちょうど中央アルプス宝剣岳から下山した後に国鉄駒ヶ根?駅前でインタビューされ、内容はおぼろげながら、テロリストの少年と右翼の行動を非難したような記憶がある。安保騒動の後で日本中に反権力の空気と名残があり、まだまだ学生たちは社会改革へ気持ちが向かっていた。こういう動きを警戒した右翼勢力がいろいろな形で民主化運動を妨害し、反動化していた時代である。
こんな野蛮なことは決して許されることではないが、半世紀以上も経過すると懐かしいような気もするから不思議なものである。
2290.2013年8月20日(火) 英語表示を分りやすく
国土交通省と東京都が国会議事堂周辺の道路標識をローマ字から英語標識に改めるという。こんなことは当たり前の話で、ローマ字表示は日本人には必要性がなく、外国人にとっても、ないよりましだが、読めても意味は理解できるものではない。そのため外国人から苦情が寄せられていたという。今頃になって何を今更という気がしないでもないが、まあ本来の目的が達せられると思うので、英語標識をさっさと実施した方が良いだろう。
「国会前」が「Kokkai」から「The National Diet」へ、「総理官邸前」が「Sorikantei」から「Prime Minister’s Office」へ変わるそうだから分りやすくなることは間違いない。
以前に地下鉄「国会議事堂前」駅のローマ字表記「Kokkaigijidomae」をフランス語で発音すると「コッケイジジドモー」と聞こえて、まさに実態をずばり言い当てていると思ってエッセイに書いたことがあるが、その点で地下鉄も駅名表示に少し気を遣ってはどうだろうか。
ついては、目下熱戦を繰り返している夏の高校野球の出場校は今や私立校が圧倒するようになった。所謂スポーツ重点高校の進出である。昨日準々決勝に出場した8校のうち、公立校は徳島県立鳴門高校だけだったが、その鳴門も敗れ準決勝に駒を進めたベスト4はすべて私立校だけになった。そこで興味を引かれたのは、ベスト4に進んだそれら私立高校はユニフォームの校名が日大山形高を除き、漢字で書かれていることである。アメリカから輸入されたスポーツのユニフォームに、なぜチーム名をデザイン的にも洒落た英語にしないで日本語で表記するようになったのだろうか。また、どうして近年出場する高校は漢字表記の学校が増えたのだろうか。そこには学校側の何らかの思惑でもあるのだろうか。学校当局も何か考えたのだろうが、柔道着のような武道ならともかく、どう見ても野球のユニフォームには、英語名の方がセンスが良いと感じられるのではないだろうか。
因みに母校湘南高が昭和24年に全国優勝した時に対戦した相手校は、決勝戦の相手校・県立岐阜高まですべて公立高校だったし、相手校のユニフォームの校名はすべてローマ字で書かれていた。
さて、内戦状態のシリアのアレッポでジャーナリストの山本美香さんが亡くなってから今日でちょうど1年になる。昨日が国連人道デーというから皮肉なものである。山本さんのパートナーでもあったジャーナリスト佐藤和孝氏が民放テレビで現地から実況生中継で現状を伝えていたが、一向に内戦が止む気配がないようだ。膠着状態になったアサド大統領派と反アサド派の対立は益々エスカレートして、今日化学兵器使用の事実関係を調査するため国連調査団がシリアへ入った。一方、エジプトでは暫定政府に反対するイスラム同胞団指導者のバディウ団長が身柄を拘束された。今やエジプトの騒乱が頂点に達しつつある中で、シリアの事態も一向に愁眉が開けない。
かつてエジプトがナセル大統領時代には一時この両国がアラブ連合共和国というひとつの国家となって、アラブ諸国の中で強烈なリーダーシップを握っていたが、それも今や昔となってしまった。アラブの宗主国であり、強大な国家だったエジプトとシリアの国内紛争が一日も早く解決し中東情勢が安定することを願わずにはいられない。
2289.2013年8月19日(月) インドも高齢化時代
北海道南部で大雨があったうえに、東北、北陸方面でも雲行きが怪しいが、四国を中心に太平洋沿岸ではまったく雨が降らず、取水制限も一段階引き上げることになったようだ。日本では北と南でまったく気象条件が違うが、海外でも異常気象現象は起きている。今日ベオグラードの山崎さんからもらったメールによるとセルビアでも今年は昨年に続いて旱魃だそうで、とうもろこしが枯れてしまったという。地球温暖化が一年また一年と進んでいるようだ。
暑いところと言えば、暑いインドではこんな話題が持ち上がっている。途上国でも成長著しいインドでも近年少子高齢化が進んでいる。そのインドは人口が増え続け、1928年には中国を抜いて人口世界一となる。そのインドで1930年には高齢者人口が全人口の8.2%となり、高齢化に拍車がかかる。以前から問題になっている日本の高齢化は30年には30.7%になっているので、インドのそれは大して気にかけるほどのこともないように思われがちだが、インド自体の経済力と、インド人の高齢者に対する考え方が厳しい。
ヒンドゥー教国のインドでは、夫を亡くした女性を不吉な存在と見做す伝統がある。そのうえ、経済的に苦しいため子どもが親の面倒をみようとしないという。こうして、老婆が路頭に迷うことになる。救済措置として避難所を設けているようだが、前記の2つの理由が大きく、長生きしても絶望的な余生を送るようになるらしい。人口の増大は経済発展のための推進力と言われるが、ケースバイケースか。インドのみならず世界中の高齢者にとっては益々厳しい世の中になりつつある。
今日自民党の社会保障に関する部会で70歳以上の高齢者の医療費負担を来年から現在の1割から2割にする案について話し合いがなされていたようだが、若い議員がどれだけ真剣に取り組んでいるのか甚だ疑問である。彼らから懸念されたとされる1割負担から2割負担への増額の背景には、消費税が増税されるのに、さらに医療費の負担増とすることに疑問を呈したそうだが、そのこと自体本筋から外れてはいないだろうか。
私自身は最近まで3割負担だった。必要経費増が認められたせいか、幸い今月から1割になった。これが11月から2割にアップする。これに対して懸念することがそもそもおかしい。
社会保障費の増大に対して、その皺寄せを高齢者の医療費増額に転化するのは筋違いではないか。それより高速道路や橋梁など強靭化計画と称する新規工事を取り止めることの方が納得できると思う。ともかく政治家の議論は、本筋を外れていると感じることが最近特に多い。
今日政策シンクタンク「構想日本」に対して、先日本欄で触れた国民による国会議員の評価(通信簿)の方法を提案されるよう要望したところである。
2288.2013年8月18日(日) タックス・ヘーブンを見逃して良いのか。
午後4時31分鹿児島で櫻島が突然噴火した。この30年来最大の規模だという。噴煙は5000m上空まで達した。鹿児島市内はまだ日没前であるにも拘らず、車はヘッドライトを点灯して走行している。
考えてみると、どうも天候だけではなく、全体的に異常を感じさせる最近の気象状況である。昨日から北海道南部にも大雨が降り、JR北海道の特急列車が立ち往生している有様である。東北地方ではここ数日来断続的に地震が発生している。再び大きな震災を予感させるような日本列島である。
さて、今晩もドキュメンタリー番組を観ていて考えさせられた。NHK「急増!新富裕層の実態」と題するドキュメントで、複雑な気持ちがした。端的に言えば、稼いだお金を税金に取られたくないので、にわか成金どもが税金の安い国へ脱出するストーリーだ。納税者としては古今東西同じ心理だと思うが、あまり納得できる話だとは思えない。
高額納税者には多額の税金をかけるのは、どこの国も同じ考え方だが、高額納税者の心理につけ込んで少しでも税金の負担から逃れようとする成金どもに甘い言葉で誘って、彼らを自国へ呼び込むような税制を考える国がある。タックス・へーブンと呼ばれる国々である。
その中でプエルト・リコの場合、株式売買益には無税で、法人税も5%程度の低率で勧誘する。プエルト・リコのように貧しい国にとってはそれでも大いなる税収というのだろうが、高額納税者に逃げられるアメリカなど富裕国にとっては耐え難いことだろう。
一番問題なのは、このまま税収が減れば国の社会資本というか、道路や橋、トンネル、港湾施設など公共のインフラや公共サービスの一環である警察、消防、教育などの原資をどうするのかということである。納税者がいなくなったら、公共サービスが充分行われなくなるのは当然である。その仕組みを根本から破壊する、こういう行為が果たして許されるのか、国際的なレベルで考えるべきことだと思う。漸くOECDでも検討を始めたようだが・・・。
これはタックス・ヘーブンと言われる税金天国に限らず、日本人企業家や投資家が、企業家育成をうたい文句にシンガポールなどへ脱出して行っている税金逃れのやり方にも言えることである。確かに税の公平負担ということについては、国もしっかり考えてもらわなければいけないが、それにしても自己防衛的にただ逃避するというのでは、問題は解決しない。一種の脱税行為に近いと言わざるを得ない。日本にいて日本人として日本社会のために少しでも尽くそうという気がないとすれば、いずれ日本社会は崩壊すると思うと空恐ろしくなる。