ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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2297.2013年8月27日(火) 小学校先輩の元東映エース・土橋正幸さん逝く。

 24日プロ野球東映フライヤーズのエースだった土橋正幸さんが亡くなった。連続9奪三振のプロ野球タイ記録や、日本シリーズのMVP獲得のような派手な現役時代の活躍に加えて、その後ヤクルト・スワローズと日本ハム・ファイターズでも監督を務め個性的で目立っていた。それ以外にも東映入団はテストだったとか、江戸っ子選手であるとかとかく話題に事欠かない人だったが、その土橋さんとちょっとだけ接点がある。

 新聞では浅草の鮮魚店の息子として日本橋高を出て、フランス座に勤めた江戸っ子だったとしか報じられていないが、インターネット‘Wikipedia’で調べてみると、戦時中から戦後にかけて千葉の幕張に疎開していたと紹介されている。実は、これが私との小さな接点である。土橋さんは幕張小学校では担任が湯浅和先生だった。5年生時に幕張小に転入した3年後輩の私も同じ恩師の湯浅先生が担任となった。土橋さんが東映で活躍するようになって初めて湯浅先生から土橋投手は3年前の教え子だったと教えてくれた。それ以来土橋さんの活躍を期待するようになった。

 その恩師が1984年に亡くなられた。当時土橋さんはヤクルトの監督を務めていた。訃報をお知らせした方が良いと考え、試合中の神宮球場へ電話してヤクルト球団の担当者に、試合が終わったら監督に恩師・湯浅先生が亡くなられたことを伝えて欲しいと葬儀日程と併せて連絡したことがある。土橋監督からは残念ながら通夜と告別式に何の連絡もなかった。生前お会いしたことはなかったが、いま亡くなられた先輩・土橋さんを想うと後輩の声援に応えて精一杯活躍してくれたことを嬉しく誇らしく思っている。心よりご冥福をお祈りしたい。

 その恩師を偲ぶ「和会」は、今月3日にも千葉市内で開かれたが、いつも湯浅先生の思いやりのある言葉や、校外の田んぼでの俳句作りや、版画など先生独特の情操教育的教え方が思い出され懐かしい。いつもクラスメートの間で話題になる湯浅先生の思い出は今も尽きない。

 さて、いまノン・フィクション作品「南の島の日系大酋長が示した大和魂と謎」に取りかかっているが、残念ながらご協力いただいている森喜朗元首相が忙しすぎて中々お会いする時間が取れない。今日森事務所に都合を聞いてみたところ、秘書から近日10日間ほどアルゼンチンへ出かけるとのことだった。2020年オリンピック開催地が決定するIOC総会に東京招致の応援団として出かけるそうだ。森さんの話とは別に、いまアイザワ大酋長が戦中戦後に寄宿していた藤沢市辻堂にある父親の実家の継承者に会って話を聞きたいと手を尽くしているところである。このアイザワ本家から身近な情報を得られれば、さらにドキュメントのストーリー性にも確かな裏づけが加えられると期待している。

2013年8月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2296.2013年8月26日(月) ボー・グエン・ザップ元将軍がお元気とは!

 昨日の新聞に懐かしい名前を見つけ、その人物像をありありと思い出した。あのベトナム戦争の英雄、ボー・グエン・ザップ将軍である。昨日102歳の誕生日を迎えたという。30年近く前に亡くなった母と同じ年齢とは知らなかった。ベトナム人民軍総司令官として、独立戦争ではディエンビエンフーでフランス軍を打ち破り、母国ベトナムをフランスの植民地支配から解放した功労者である。ベトナム戦争中にも独立の父、ホー・チ・ミンの側近としてアメリカ軍と南ベトナム軍に対する戦いを指揮して、ベトナム再統一の原動力となった軍人でもある。ベトナム統一後も副首相兼国防相として要職にあったが、1979年カンボジア侵攻に反対して以降、共産党内における立場は難しくなり少しずつ後退して、1991年80歳の時すべてのポストから外れた。

 しかし、独立戦争における功績はベトナム国民から敬愛され、2年前の100歳の誕生日には国内で記念行事が行われたほどである。

 ベトナム戦争当時の指導者は、ベトナム軍高官を始め、アメリカ人もジョンソン大統領を含めほとんどが世を去った。その物故者の中にはベトナム国民の尊敬を一身に集めていたホー・チ・ミン大統領や、悪名高かったグエン・バン・チューや、グエン・カオ・キら2人の南ベトナム大統領もいる。ベトナム戦争反対運動に関わったひとりとして思うのは、「ベトナム戦争、いまや遠くなりにけり」である。

 さて、昨日行われた横浜市長選の最終投票率が、何と29.05%だったから呆れかえる。10人の有権者のうち7人が投票所へ足を運ばかったということになる。前回が衆院選と同時とは言え68.76%だったことを考えると、横浜市民のあまりの無関心さに憮然とするほどである。この投票率は過去最低である。かつて横浜市民だった立場上言わせてもらえば、あまりにも情けなく現在の横浜市民に対して一体何を考えているんだと言ってやりたい。横浜市は人口だけなら東京都に次ぐ日本第2の巨大都市である。その存在感のある筈の住民が自分たちのリーダーを選ぶ選挙を自ら棄権するというのは、どういうことだ。

 正確な投票率は覚えていないが、我々が30~40年前に住んでいた時には、当時の飛鳥田一雄市長が斬新な改革を次々に実行して横浜市の評価を上げたので、投票率も上がり飛鳥田市長は悠々当選したように思う。それに比べて結果的に昨日林文子市長が再選されたのは、待機保育児童ゼロの目標を達成した実績が大きかったと思う。それはそれとして結構であるが、圧勝したとは言え、市民の2/3から支持を棄権され当選という結果には、林市長本人が一番面食らっているのではないだろうか。

 横浜市民は大都市ぶっているようだが、決して市民の民度は高くないということを認識した方がよいと思う。

2013年8月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2295.2013年8月25日(日) 街づくりとネーミングにもう少し配慮を

 日経新聞夕刊の「あすへの話題」というコラムに各界の著名人がエッセイを綴っているが、数日前「子孫に美観を」と題して藤崎一郎・前駐米大使がなるほどと相づちを打つような洒脱な文を書いていた。外交官らしく長い海外勤務から戻ると日本の誇れる美点に感心するのだそうだ。それはダジャレのようだが「アカセキレイ」と呼んでいるそうで、「安全」「確実」「清潔」「規律」「礼節」等、それぞれの頭文字をつけたモットーだそうだ。日本人の誇るべき資質と性格を表しているのだが、果たして最近はどうだろうか。

 「安全」は福島第一原発事故以来、有名無実化した。「規律」に至っては国を代表する国会議員の日頃の行動を注意して見てみれば、望む方が無理だということは明らかである。「礼節」なぞは、最近の若者の無作法な言動や無軌道な行動を考えると風前の灯である。

 藤崎氏は街の景観についても独自の考えを持っているようだ。画一的ではなく、個性的な街づくりを提唱し街づくりには一定の調和が必要だと提言している。流石に優秀な外交官だけあって、都市を世界的な美的視点から見ている。

 さて、寡聞にして存じ上げなかったが、民俗学者の谷川健一氏が昨日92歳で亡くなられた。氏は「風土記日本」や「日本残酷物語」などを手がけた後、柳田国男、折口信夫らの民族学を独自に発展させた「谷川民俗学」を打ち立てたとされていた。

 1981年に「日本地名研究所」を設立したのは、市町村合併などで失われゆく由緒ある地名が消滅していくことに危機感を感じて警鐘を鳴らすためだった。実際近年の地名変更には、歴史、伝統、文化などへの配慮がなされず、簡単であれば佳しとする傾向が見える。例えば、地名にカナ文字を安易に使用するのもいかがかと思うし、合併自治体の新名称でも双方に折り合いをつけたような、それぞれの旧名を1字ずつ採用して意味不明の都市になったり、まったくセンスも工夫も見られない。

 「さいたま市」は、どうして「埼玉市」ではダメだったのか。「何でも合併」時代にひとつになった市町村名には炊飯物が多い。例えば、平成15年6町村が合併して誕生した「南アルプス市」は、南アルプス山麓の市だから宣伝上そう名づけたのだろうが、南アルプスとは通称赤石山脈と呼ぶ連峰で山梨県韮崎市西部から静岡県島田市北部まで連なる大動脈を指していることを考えれば、現在の南アルプス市が全南アルプスを領有しているが如き名称の付け方には、文句のひとつも言いたくなる。平成16年に生まれた長野県「東御市」の場合は、「北御牧村」と「東部町」からただ1文字いただいただけの新市名である。更に神経を疑いたくなるのは、平成18年にできた茨城県「小美玉市」のケースで、市名が中々決まらず最後に合併する「小川町」「美野里町」「玉里町」のその最初の文字を取ってくっつけただけという無神経、かつ軽薄ぶりである。

 民間会社でも次元の低い例はある。つい最近東武鉄道の由緒のある駅名「業平橋」を「東京スカイツリー前」に変更した例などは史上最悪の駅名変更であろう。さぞや在原業平も泉下で嘆いていることだろう。

 わが国の場合、近年名前をつけることに関しては、自治体名にせよ、都市名、人名にせよ、無意味でセンスが感じられなくなったような気がする。名前だけならまだましだと無理に言い聞かせるとするか。

 果たして谷川氏は泉下でどう思っているだろうか。

2013年8月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2294.2013年8月24日(土) 原発事故処理の対応と難しさ

 いま東電福島第1原発の高濃度放射能汚染水漏れが猶予ならぬ事態に立ち至っている。漏れたのは、原子炉の冷却の過程で出た高濃度の汚染水である。ほとんど地下にしみ込んだとされていたが、先日はそれが海水へ流れ込んだというニュースがあったばかりである。

 原子力規制委員会はこの事態を重大視して国際原子力事象評価尺度(INES)で8段階の上から5番目の「レベル3」(重大な異常事象)に相当すると発表した。その報告に基づいて昨日規制委は、福島第一原発に立ち入り調査をした。あまりにも東電の報告が変更に次ぐ変更で変わりやすく信用できないと自ら調査に乗り出したのである。その前段階として、19日に東電から少なくとも120㍑の汚染水が漏れているとの報告を受け、それは「レベル1」(逸脱)に当ると暫定的に判定していた。しかし、その報告の翌日にはタンクから漏れた量が早々300㌧に修正された。これを受けて規制委が評価を見直したものである。INESの評価尺度では、福島第一原発やチェルノブイリ原発事故が最上位の「レベル7」と評価されたのを筆頭に、過去の原発事故がランクづけされている。

 福島第1原発は現在廃炉への道を急いでいるが、一向にゴールが見えない。問題山積でこのままいつまでも排出される放射能を処理できず、この危険な状態が続くようだと国民の間にも嫌悪と諦め、そして失望感が生まれてくるのではないかと心配される。

 政府は原子力を国のエネルギー政策の根幹として捉えてその高い技術力を買いかぶり、海外諸国へ原発の売り込みを図っているが、頭のハエを追えずに他国で商売しようとはあまりにも商業道徳に悖るのではないだろうか。そのため、政府の対応にはことさら福島原発事故を過小評価しようとの腹の内が透けて見える。

 現時点では原発中止は考えていないようで、虎視眈々とその再稼動のチャンスを狙っているようだが、福島原発の処理が思うに任せず、収束までにどのくらいの時間がかかるのか見当もつかないようだ。そのうえこの杜撰な東電の処理作業に対して、海外メディアから日本が収束に向けて真剣に取り組んでいないと非難される有様である。 

 こんな最中に22日付朝日夕刊にチェルノブイリ原発の事故処理に関する記事が掲載されていた。事故を起こした4号炉が、高い放射線量に阻まれ手がつけられず、コンクリートで覆った石棺も崩壊して放射能が飛び散らないよう、さらに巨大なシェルターの建設が進められている。ところが、この4号炉が相変わらず強い放射能を放って近づけない。その廃炉作業のメドは立っていないという。1~3号炉については2064年までに廃炉作業を終える予定だという。気の遠くなるような話ではないか。問題は、事故当時建設中だった5、6号炉がそのままに残されていて、事故直後に放射能に汚染された瓦礫や機器が運び込まれ、廃墟のままになっている。このまま放置すると倒壊する危険性があるようだが、撤去のメドはまだ立っていないそうだ。つまり、現状は放射能が放出されるまま放ったらかしにするようである。どうにも厄介で無責任なことになっている。事故処理作業は勇断を持って急いで進めなければならない。

 将来事故の危険性のある原発の新設は、各国ともここらで中止するという勇気を持てないものだろうか。

2013年8月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2293.2013年8月23日(金) 教育制度は拙速に変更すべきではない。

 東京都教育委員会が現在12年の「6・3・3年制」カリキュラムを「4・4・4年制」に区切った新制度に変更したうえで導入を検討している。早ければ2017年度に都立小中高一貫校の開校を目指すという。それにしても随分拙速ではないか。ことはわが国の教育の根幹に関わることである。日本の教育制度がさらに複線化して益々複雑になるということでもある。

 少なくともわが国には、文部行政を預かる中央官庁として文部科学省が「君臨」する。にも拘わらず、首都とは言え、1地方自治体である東京都の地方行政の理念と制度が、それだって都民から同意を得ていないまま国を差し置いて先行実施されようとしている。

 これまでも時代に合った教育行政と制度について、政府の教育再生実行会議を始め、有識者会議などがしばしば提言してきた。しかし、新カリキュラムは義務教育とその後の教育を跨いで改革しようという以上、義務教育を超えた教育期間にかかる税金の使い方の問題も派生するので、もっと時間をかけて広範に国民的見地から検討されるべきではないか。東京都の制度改革はあまりにも拙速に過ぎる。

 この東京都の動きに対して下村博文・文科相は「時代が変化し、こどもの発達段階も違う。東京都の取り組みは参考のひとつになる」と傍観者のようなコメントを述べている。まるで他人事なのである。自ら自分の所管事項に手をつけようとしない。文科省担当者も「自治体が地域ニーズに応じて柔軟な教育課程を作ることは多様な人材育成につながる」と歓迎しているようなコメントを述べている。上司が上司なら部下も部下である。これでは文科省の主体性がまったく発揮されないし、自ら国の文部行政をリードしていく気構えが感じられない。文科省の存在意義がないのではないかと疑われても弁解の余地があるまい。

 本質的な点について言及するなら、カリキュラムの改革のような大仕事は、一地方自治体だけに任せるべき事柄ではないように思う。例えば、「4・4・4年制」に組み替える根拠も示されておらず、何のためにカリキュラムを変更するのか、その意図がはっきりしない。単に国民に対して最初の4年間は基礎学力を身につける期間であると一方的に言われても、すんなり受け入れる気にはなるまい。現在の6年間ではなぜいけないのか、という肝心な点がまったく説明されていない。少なくとも戦前日本がドイツから採り入れ、今もドイツで根付いている教育制度を参考に採り入れた「グラン・シューレ」という4年制基礎学校制度や、アメリカ・オクラホマ州の生徒の発育を考慮した4年制小学校の制度を、参考にして4年制を採り入れるという事情を分りやすく説明するというのなら理解できる。しかし、ただ闇雲に語呂合わせと考えたのではあるまいが、そう受け取られかねない「4・4・4年制」への変更は到底納得できるものではない。先ず以って国民に充分説明、啓発し、国民の理解を得るべきが先決である。

 そうでなくても、最近の政治家の言動は危なっかしくて信頼できないというのが、一国民としての率直な感想である。政治家の「無責任」「無思慮」ぶりが、端無くも教育制度の変更の過程で表れたとでも申すべきか。

2013年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com