ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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2387.2013年11月25日(月) 中学校の中にもう1つ別の中学校があった不思議

 東京都内で活動している湘南高OB・OGの同窓会組織「東京湘南有志会」が、六本木アークヒルズで開かれた。一昨年会の中心人物、森ビル会長・森稔氏が亡くなられてちょっと寂しくなった。お話しようと思っていた佐々木信也さんも出席されるかと思っていたが、来られなかった。

 ただ、今日は意外な収穫があった。いま執筆中のノン・フィクションの主役、トラック島大酋長の相澤進さんの出身校について、湘南か、近くの他校か、真偽取り混ぜた憶測がある。これという決定打がない。現時点で一番可能性のあるのが、相澤本家の現当主相澤重男氏の母親が生前湘南高校の隣の学校に通っていたようだとの証言である。現市立藤沢一中に該当する学校で、戦後藤沢高等小学校と見られる学校だ。

 しかし、これが相澤さんの主張する母校湘南であるとは断定しきれない。それが、今日1年先輩の天野武和さんから思いがけない話を伺った。天野さんの話だと、終戦前後に旧制湘南中(現湘南高)の校舎内に湘南中とは別に、旧制湘洋中という湘南中に入学し損なった生徒を迎え入れた学校があったということを聞いた。そして、幸いにもその頃湘南中に通学していた12年先輩に当る元三菱商事専務の堀江昭さんからお話を伺うことができた。堀江さんによれば、その当時湘南中には1学年に5組あって、全クラスはまったく同じ授業を受けていたが、そのうち1組が湘洋中の生徒だったという。つまり先生も同じ、教室も同じで学校名だけが別々だったという。従って同じ日時に卒業しても4組の生徒は湘南中卒、他の1組は湘洋中卒という話である。これも摩訶不思議な話で初めて知った情報だが、どうもすんなり受け入れることはできない。

 信じがたい話だが、現実にその渦中におられたのが堀江さんだ。同期生の中には、湘洋中の卒業生もいると言っておられたので、間違いあるまい。これらの話を総合すると、相澤大酋長が通学していたのは、湘南ではなく、いまは廃校となった湘洋(現存する新制湘洋中とは別)である可能性が少し浮かび上がってきたようだ。知る人は皆黄泉の国へ旅立たれた。

 ノン・フィクションはいま追い込みに入っているが、少し文章を変更することも考えなければならないと思っている。

2013年11月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2386.2013年11月24日(日) このまま特定秘密保護法案を成立させるのか。

 特定秘密保護法案成立を阻止しようと反対の声を上げるジャーナリズムを始めとする団体の動きや、法案を憂慮する声がここ数日の間にヒートアップしてきた。再来週には臨時国会が閉幕するという事情もあり、政府・自民党は明後日に法案を衆議院で通過させようと躍起になっているからである。実際今日秋田で石破茂・自民党幹事長が26日に法案を通過させると述べた。

 この特定秘密保護法案というのは国民の間でも充分理解されていない法律で、しかも危険な法律と専門家が指摘している法案をなぜ徹底的に議論を尽くさず、拙速に法案成立へ向けて突っ走るのか。今日の街頭インタビューを観ていても尋ねられた人は法案の内容についてあまり知らず、他人事のような受け取り方である。私もこの法案については分らないことが多い。だが、実はこの点が一番危険なのだ。

 20日国際ペンクラブは日本の特定秘密保護法案について、異例の反対声明を出した。国際ペンが日本の国内法について反対声明を出すのは戦後初めてのことである。ジョン・ラルストン・サウル会長は「国にとって差し迫って必要でも、公益を守るためのものでもない。政治家と官僚が秘密保全の考えに隠れて自らに権力を集中させようとしている」と法案を批判した。

 ペン会長が言うまでもなく、法律で秘密を守るということが為政者にとっては自分たちの都合で何でもでき、国民をつんぼ桟敷に置いておけると考えていることを意味している。公明党がプレーキ役を果たさず、修正後賛成に転じた他の政党も「修正ではなく偽装修正で前より悪化している」と見られている。

 そもそも秘密保護は国家公務員にとっては国家公務員法によって縛られている筈であるし、防衛に関する秘密については、自衛隊法によってすでに罰則が決められている筈である。このうえ国民を巻き込んで網をかけて言論の自由を押さえつける必要があるのだろうか。

 今日もテレビでコメンテーターが、日本に駐留する米軍兵士の費用負担を秘密にしたまま日米当事者同士で一方的に決めるのは、国民の財産を国民に知らせずに浪費することだと話していた。これをメディアにも知らされず、また国民に報道もできない。最終的に第三者機関がチェックするという、その第三者に安倍首相が考えられているという。アメリカですら、チェックは大統領はもちろん政権内部の人を排除しているという。いまの日本のこの法律からは、恣意的なものが感じられる。実際首相が関与するようでは、もうこれでは中立ではないではないか。

 昨日の朝日新聞「異議あり 特定秘密保護法案」のコラムに、内田樹・神戸女学院大名誉教授が法案は治安維持法のような凶器にもなると的を射た警告を発していた。内田教授は「安倍政権は経済成長を最優先課題に掲げ、経済発展に都合のよい形に社会制度全体を設計し直そうとしている。その流れの中に同法案を位置づける必要があり、国民が知ることのできる情報を制限すれば、それだけ議論の余地は少なくなり、政策決定はスピードアップする。役員会での議論や他社との交渉や密約を逐一全社員に開示する必要性や、従業員の合意を得なければ決められない経営方針など必要がない「株式会社」のモデルにならって政治システムを改組しようとする試みだ」。

 さらにデモクラシーは経済活動には非効率であるから制限すべきだと考える人がこの法案を支持していると決め付けている。

 いよいよ明日、明後日が勝負となった。

2013年11月24日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2385.2013年11月23日(土) 続・中島敦作品について

 一昨日の本ブログに天才作家中島敦について取り上げた。中島の作品には短編が多いが細かい点について考えさせるよう描写した作品ばかりで感心している。アマゾンを通して先に購入した書と同じジャンル書として、アマゾンがメールで中島に関連する書籍をPRしてくる。ついその手に乗ってしまい、今日も2冊購入してしまった。

 1冊は島内景二著「中島敦『山月記伝説』の真実」(文春新書)である。難しい中島の作品の中では比較的楽に読めそうだ。何が書いてあるのか、副題として「初めて明かされる悲しい秘密」と紹介されている。これから読むのが楽しみである。

 もう1冊は法政大学教授で文藝評論家・勝又浩著「中島敦の遍歴」(筑摩書房刊)である。帯文に「昭和17年、一筋の光のように登場し、またたく間に逝った中島敦-その短い生涯の奥深い遍歴を辿りながら、とりわけ『李陵』『山月記』『名人伝』そして『南洋書簡』を中心に、中島敦の文学の魅力を存分に論じる」と紹介されている。「南洋書簡」はすでに読了したが、この本も面白そうだ。

 さて、昨日突然のように猪瀬直樹・東京都知事が、公選法違反で逮捕者を出した医療法人徳州会から5千万円を受け取っていた問題が大きくクローズアップされた。朝日新聞に至っては、昨日と今日の朝刊のトップ記事に取り上げている。昨日からテレビ・ニュースでも大きな話題として報道されている。猪瀬知事も黙っているわけには行かなくなって昨日2度、3度と記者会見に応じた。

 しかし、質問に対して応答するが、どうもはぐらかすようで説得力がない。下衆の勘ぐりではないが、何か隠しているのではないかということは察しがつく。猪瀬知事は、このところ2020年の東京オリンピック招致が決定してその主役として活動してきた印象が強く、すっかり好い気になっていたようだ。つい最近苦楽をともにしてきた夫人を喪い、同情票も味方して猪瀬株は上り調子だったが、思わぬ落とし穴があった。尤も自らが失態を演じたのだ。大体曰く因縁のある徳州会から、選挙直前に無利子で現金5千万円を借りてそっくり金庫にしまったまま、徳州会の幹部が逮捕されて司直の手が及びそうだと見るや、その金をそっくり返す一連の行動は、怪しまれて当然である。説明が二転三転するから一層疑わしくなる。基本的に公選法の何たるかを知らずして選挙に臨むことが知事としては非常識だと言わざるを得ない。

 所詮猪瀬知事も金を使わず選挙を行い、公選法に触れないよう違法スレスレの選挙を行い、できれば寄付金を法に触れずに沢山いただき、当選したいとのそんじょそこ、らの低次元の泡沫候補と変わらないということである。

 それにしても特定秘密保護法案に関して、与野党が国民を完全に無視したまま法案を通すための駆け引きに暗躍しているのにはもうウンザリである。国会議員がこのていたらくで、地方首長の最高の地位にある東京都知事にしてこの有様である。政治への不信が強まるのも無理はない。

2013年11月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2384.2013年11月22日(金) ケネディ大統領暗殺から半世紀

 メディアでは、3日前に来日されたアメリカのキャロライン・ケネディ新駐日大使の話題で持ちきりである。確かにケネディ家のセレブとしての華やかな存在感とそのネームバリューは抜群であり、メディアが血眼になって追い回すのも無理はない。宮中で天皇に信任状を手渡したり、その際馬車に乗って皇居へ向かったり、昨日は安倍首相と会見し昼食会をともにしたり、横田米軍基地を訪れたこと等々、後から後から熱い視線が向けられている。当分ケネディ・フィーバーは止むことはなさそうだ。

 50年前の今日父親のケネディ大統領はアメリカ・ダラスで凶弾に倒れて43歳の若さで亡くなった。当時社会人1年生だったが、市内をパレード中の現職大統領を白昼銃で射殺するという荒っぽいニュースにショックを受けたことをまざまざと思い出す。

 あれから12年後の1975年6月ルイジアナ州シュリーブポートで開催された「アメリカ自然食品協会全米大会」に日本からただ1人参加した後、ダラスを訪れ大統領の暗殺現場と、犯人と見られたオズワルドが潜み銃を撃ったとされた近くの教科書販売会社倉庫の建物内のケネディ博物館を見学した。その内部に展示されている模型セットにひどく驚いたことを思い出す。模型の街、模型自動車、人形を巧みに組み合わせ、ケネディ暗殺のシーンを見せてくれたのだ。特に、オープン・カー上の大統領が撃たれてうつぶせになり、そのオープン・カーが急速にスピードを上げて走り去る動画もどきのシナリオには唖然とさせられたものだ。しかも、大統領の隣席にいたジャクリーヌ夫人が夫の上に覆いかぶさるシーンなんか少しやり過ぎではないかと、アメリカ人の感覚に違和感を感じたものである。

 とにかく事件発生から半世紀が経過し、人形芝居を見てから38年の月日があっという間に過ぎ去った。

 いまその悲劇の主人公の遺児が、よりによって日本でアメリカの国家的業務にトップとして居合わせることになろうとは思いも寄らないことだった。

 日米間の外交は緊密な中にもかつては考えられなかった複雑な問題を抱えている。TPP問題しかり、普天間基地移設問題しかりである。初めての女性大使ケネディ氏の外交、政治手腕は未知数と見られているようだが、弁護士としての実績を生かした活躍を期待したいと思っている。

2013年11月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2383.2013年11月21日(木) 夭折の天才作家・中島敦

 昨日は右手首から腕へかけて添木を付けて包帯で固めたので、入浴しなかったが、2日間も風呂を浴びないのも気持ちが悪いので整形外科へその後の様子を診てもらいに出かけて尋ねたところ、さらっとシャワーを浴びるとか、腕の包帯箇所にレジ袋を被せてはどうかとアドバイスをいただいた。レジ袋を被せてどうにか風呂へ入ることができた。

 今日午後もお歳暮品を買いにデパートへ出かけたが、右腕の添木もどきのせいでハンドルが握れないので、運転は妻に任せっぱなしだ。随分窮屈になったものだ。一日も早く解放されたいものである。

 さて、いま取り掛かっている旧トラック島大酋長のノン・フィクションも大詰めで、推敲している最中である。あまり情報のない国のせいで中々欲しい情報が得られない。そんな情報不足の中で出会ったのが中島敦の作品である。作家「中島敦」の名はこれまで寡聞にして知らなかったが、これだけの名文家の作品を知らず、読まずにいたことは恥ずかしいし、惜しいことだった。できることなら遺骨収集に携わり、彼が勤務していたパラオを初めて訪れた頃に読んでおくべきだった。

 「南洋通信」(中公文庫)はミクロネシアの島々を中島が巡った観察記録と、戦前彼が日本に残した妻らに宛てて書き送った手紙を紹介している。いま執筆中のノン・フィクションには随分参考になる。ついこの1ヶ月間に2度通読した。ミクロネシアの一般の女性や子どもの性格、当時の日本の統治の在り方などがよく描かれている。中島敦生誕100年記念として2009年に河出書房新社から出版された、もう一冊の「中島敦」も好い。この中に採用されている名作「山月記」が評判通り特に素晴らしい。日野啓三や福永武彦、川村湊らもべた褒めである。

 彼を知るのが、あまりにも遅すぎた。でも何とかノン・フィクションの執筆では参考にさせてもらった。中島は明治42年生まれだから私の父より1年若い。昭和16年6月に文部省職員としてパラオへ赴任し、太平洋戦争開戦まもなく昭和17年3月帰国し、同年12月喘息をこじらせて亡くなった。健康に恵まれず、あっという間に駆け抜けた短い生涯だった。享年33歳だった。惜しみてもあまりある天才作家の夭折だった。

 中島の短編作品は少々難しいが、読み応えがある。もう少し落ち着いたらじっくり読んでみたい。

 ミクロネシアに関心を持ったおかげで、とにかく素晴らしい作家を知ることができて幸いだったと思っている。

2013年11月21日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com