充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
ブログ一覧
2496.2014年3月14日(金) 「STAP細胞」は幻の研究だったのか。
今日理化学研究所が、いま話題になっている万能細胞と言われたSTAP細胞の論文発表に関する中間報告で、ノーベル賞受賞者の野依良治理事長以下幹部らが重大な過誤があり、不適切な点があったことを認め、謝罪した。それぞれ説明に当たった理事らは、小保方さんグループの行為は科学者のやり方として考えられないとか、遺伝子解析結果の画像が切り貼り加工されていたとか、まるで1月末に喜色満面で中心人物らが記者会見した時とは打って変わって厳しい表情で今回の騒ぎが不本意であることをうかがわせた。理化学研究所では、論文を撤回することにして小保方さんと他の共著者らに同意を求めている。
ことここに至って理化学研究所は、子飼いの小保方さんらは若く、力不足で論文としても成り立たないとの厳しい意見まで述べた。理事長は自分の時代では起こり得ないことであると総責任者としての責任を感じているのか分からない発言までした。小保方さんが書いた論文に過誤があったのは、時代のせいだとか、カルチャーが変わったのだとまで若い研究者を酷評している。例えこういう杜撰な結果になったとは言え、そこには部下をかばうとか、若い人の感性を生かそうなどという考えはまったくないようだ。理化学研究所内にこそ倫理観が欠けていたのではないだろうか。
どうしてこういうお粗末なことになったのか。常識的に考えられないことが日本の科学の最高水準にある理化学研究所で起きた。世間の常識とは異なる理化学研究所の倫理観や、体質にこそ問題があったのではないだろうか。いまにして内部の倫理観云々を口走る理事がいるようでは、いくら気持ちを引き締めると言ったところで、所詮その場しのぎになりかねない。「万能細胞」というダイヤモンドがせっかく若い女性の研究で世紀の発見として世界的に披露されたのに、その女性と周囲の研究者仲間のやった杜撰さにより自滅したわけである。実に惜しいことである。それより何ともがっかりである。
それにしても小保方さんの姿が公にまったく見られないのは、彼女の存在が自分にとって都合の悪い人が隠しているのではないかと勘ぐらざるを得ない。早いところ当人がはっきり説明した方が良いのではないか。
2495.2014年3月13日(木) 辻堂の相澤さんを訪ねる。
約束通り今日辻堂の相澤さん宅をお訪ねした。先日出版サイドからいま執筆中のノン・フィクション「南の島の日系人大酋長の波瀾万丈」の筋書きについて、ススム・アイザワ大酋長に関する部分の描写をもう少し膨らませてほしいという要望があった。これ以上手元にこれという材料がないので、ここは大酋長の父親の実家を継いでいる相澤重男さん、千春さんご夫妻からお話を伺うしかないと思い、数日前に連絡して時間を取っていただいた。
幸い相澤さんから貴重なお話を聞けたし、資料もコピーさせていただいた。大酋長は何艘かの船舶も持ちカツオを主に漁業にも力を注いでいたことを初めて知った。また、スーパーストアを始めてから大酋長は来日の都度相澤千春夫人と都内の商店を見学していたという。小売業にかなり力を入れていたことが分かった。
今日お話を聞いて、もう少し、内容に肉付けができるのではないかと考えている。
さて、今日ポカをやってしまった。相澤さんを訪ねるに当たって手土産に自由が丘駅前の「蜂の家」で和菓子を買ったのは良かったが、それを何と横浜駅のプラットフォーム上のベンチ脇に置いたまま、電車に乗り込み途中で気がついた時は後の祭りというお粗末だった。止むを得ず、辻堂駅前の新しい巨大モール「テラスモール湘南」で代わりの買い物をした。余計な出費になってしまったが、帰りにふっと忘れ物・遺失物として横浜駅に保管されているかも知れないと淡い望みで駅の遺失物係を訪ねてみた。そうしたらちゃんと保管されているではないか。忘れてから4時間後のことである。ホッとすると同時に日本人の正直さと親切さを改めて思い知らされた。取り戻したお菓子は他の目的に使うしかないが、失った物が手元に戻ってきた嬉しさで幾分爽やかな気分である。かつて駅員時代に随分遺失物を探し回ったが、いま自分が駅に迷惑をかけたことを恥ずかしく思っている。
ポカは加齢のせいというのではなく、気の緩みと注意力の欠如が原因だと認識している。改めて肝に銘じるつもりだ。
2494.2014年3月12日(水) 眼科の検査はひとまず安心
最近目ヤニが出るような気がしていたのと、左目が圧迫されるような気がしていたところへ、過日糖尿病が気になる数値を示したこともあって合併症の可能性も否定できず、昨日思い切って眼科で検査してもらった。結果は、案ずるより生むが易しというべきか、心配するほどのことはなくホッとしたところだ。
目ヤニの感じは、ドライアイの可能性があるが、それほどひどい目ヤニを意識したわけではないので、当分このまま経過観察ということになった。左目の圧迫感は眼鏡の度があっていないのではないかということから、近日眼鏡を調べてもらうことになった。糖尿病の影響による合併症はまったく心配する必要はないということになった。やれやれと思っている。警戒は緩められないが、取り敢えず重い疾患でなかったことが分かって嬉しく思っている。いま少々気になっているのは、どうしても毎日パソコンに掛かり切りになるので、それをどうやって目に影響を与えないように続けていくかという点である。
さて、寒い日が続いていたが、今日は突然のように異変を示して東京の気温は16.6℃を示し、平年4月上旬の気候だそうだ。今年は陽気が不順で激しいアップダウンに振り回されている。昨年の昨12日の気温は25℃を超えて昨年最初の夏日だった。今日も午後駒澤公園へウォーキングに出かけた。ぽかぽか陽気だったが、外出する明日は予報では寒くなりそうだ。こう寒い日が続くと外で仕事をする人は大変だし辛いだろうと思う。このところ連日報道される東日本大震災の被災地で大量の積雪に取り囲まれながら、外でライフライン工事や除染などに取り組んでいる人たちの気持ちを思うとつくづく大変だろうと同情せざるを得ない。その点では家の中で好きなことを、好きなだけやっていられるのは、ある面で贅沢なのかも知れない。
2493.2014年3月11日(火) 東日本大震災から早や3年
天皇・皇后両陛下が出席されて東日本大震災の犠牲者のための追悼式が国立劇場で行われた。3年経ったいまも行方の分からない人が約2600名もいる。家族を亡くされた人にとっては、あっという間の月日だったようだ。被災地から生で情報を伝えてくれているのを観ると、まだまだ放射能の除染が滞っていることが分かる。このため避難地区に住んでいる人々は、将来自宅へ帰るべきかどうか悩んでいる。震災直後はいずれ自宅へ帰りたいと願っていた人も徐々に少なくなり、町村の復興という意味でも問題となっている。
この問題について谷公一復興副大臣がNHKの質問に対して、難しい問題であり、いろいろ知恵を出していただいて、汗を掻いて頑張っていきたいと応えた。これでは質問にはまったく応えていないし、真面目に仕事をしている人の言葉とはとても思えない。父親の元農水大臣から地盤を引き継いだ二世議員の無能、不勉強、無責任をそのまま地で行っているお粗末ぶりである。こんな政治家をどうやって国民は信用できると言うのだろうか。
その他にも実際に放射能を含んだゴミの処分が大きな問題となっている。暫定的な中間処理施設の建設問題で地元ともめ、その後の最終処理施設はその場所もまだ決まっていない。
さて、1月に理化学研究所の小保方晴子さんが作製した万能細胞と言われたSTAP細胞の真偽が問題になって来た。過日その報告内容に疑問が呈せられ、発表した資料も他で使用されたものだとして、共同研究者の若山照彦山梨大学教授が論文の取り下げを他の研究者にも求めると述べた。発表直後はあれほどすごい画期的な発明として期待され、共同研究者のアメリカ人バカンティ・ハーバード大教授も太鼓判を押していた研究成果だったが、一転して価値のないものになろうとしている。どうしてこういう粗雑な研究発表となったのだろうか。
なんでも当初発表されたイギリスの科学誌‘NATURE’に掲載された写真が、それ以前に小保方さんの博士論文で使用されたものと酷似している。しかも、前者ではSTAP細胞はいろいろな細胞から作製可能としているが、後者では骨髄細胞からしかできないとされている。これは明らかにおかしい。
難しい万能細胞の話なので、詳しく説明できないが、先日偽りの作曲家・佐村河内守氏の偽作曲問題で散々うんざりさせられたが、その二番煎じになるのではないだろうか。1月30日の本ブログにも小保方さんの功績を喜んで書いたところだが、こうなったら小保方さん自らが、誰もが分かるようにきちんと説明すべきであろう。こんな茶番じみた話は好い加減にして欲しいものである。
昨日は東京大空襲の69周年となったと昨日の本ブログに書いたが、あの小野田寛郎さんがルバング島のジャングルから出てきたのも40<年前の昨日だった。そして、その2日後小野田さんは特別機で羽田へ帰ってきた。ちょうど私は羽田から飛行第12戦隊の慰霊団とともに、ビルマ、ボルネオ、スマトラへ出かけるところだった。小野田さんとわれわれ慰霊団を対照させて「往くひと・還るひと」と新聞紙上に紹介された。偶々この時のニュースについていま書きかけているノン・フィクションに取り上げている。あの時もスマトラで元日本兵に会ったことがある。その小野田さんも今年1月鬼籍に入った。時は確実に過ぎ去り行くものだ。
2492.2014年3月10日(月) 東京大空襲から69年
今日は東京大空襲からちょうど69年目である。私は国民学校入学直前だったが、一度に10万人の都民の命が失われた忌わしい日である。残念ながらこの東京大空襲についてはメディアでほんのちょっぴり報道されている程度である。どうしても明日の東日本大震災3周年の方に目が移って行ってしまうのも仕方がない。今日夕方には、安倍首相が3周年を前に記者会見を行ったくらいである。
今日から明日にかけて大震災の関連報道が派手になされるだろう。しかし、震災について被災者にとっては、復興はまだまだ先の話だという認識が強いようだ。相変わらず放射能漏れや汚染水漏れのニュースが報道される度に、もう原発は好い加減にしてほしいと言う声が増えていくのが普通の神経だと思うのだが、それとは逆に原発再稼働の動きはじわじわと強まっているようだ。与党の政治家を先頭に経団連が何が何でも再稼働を推し進める反社会的な動きの中に、他人の不幸を横目に自分たちだけ儲けよう、楽しもうとのさもしい根性が透けて見える。
さて、今日珍しいCD映画を観た。長年何とかこの映画を観たいと思っていたが、先日漸くアマゾンを通して買い求めたものである。その映画とは一世を風靡した「加藤隼戦闘隊」である。昭和19年山本嘉次郎監督、藤田進主演で製作され、当時の情報局選定の国民映画として陸軍省が後援までしたものである。映画は戦意高揚の空気を受けて全国的にヒットした。
1972年に初めて「加藤隼戦闘隊」ビルマ戦跡巡拝慰霊団を企画し添乗員として同行した。以降毎年加藤部隊を主とする陸軍航空隊慰霊団を企画しては、度々ビルマを訪れた。ある時寝釈迦のあるペグー近郊でこの映画が上映されていたのをポスターで見て、ビルマ人ガイドに尋ねたところ現地でも人気のある映画だと聞いて、加藤部隊の人たちも感激していたのを思い出す。
映画ではいろいろ懐かしいビルマの地名が出てきたが、その中で加藤隊長が戦死されたベンガル湾沿岸のアキャブを映していた。そのアキャブ海岸で加藤建夫少将ほか戦死された戦友の冥福を祈って慰霊祭を行った。その後加藤部隊の方々からは親しくお付き合いさせていただき、戦時中ビルマでのいろいろ厳しい話を伺った。しかし、その加藤部隊の人たちもいまやほとんど鬼籍に入られた。
画面の最後のテロップは「神鷲去ってまた帰らず」だった。2014