充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2521.2014年4月8日(火) 貴重で価値ある資料が見つかる。
ウクライナのロシア系住民が不穏な動きを示し始めた。すでにクリミアが住民投票で独立を宣言し、ロシアへの編入を望むというスタンスを示した。それに続いてウクライナ東部のドネツク、ハリコフ、ルハンシクなどでロシア系住民がウクライナからの分離独立を求める運動が活発になってきた。ドネツクでは議会にロシア系住民がなだれ込み勝手に議会を開きドネツク共和国の樹立宣言をしてロシア軍平和維持部隊の駐留を望んでいる。ハリコフでも親ロシア派デモ隊がハリコフ人民共和国の樹立を宣言した。ルハンシクではクリミア同様に住民投票の実施を求めている。ウクライナ政府はロシアの特殊部隊が背後で画策しているとロシアを強く非難している。
現時点ではロシアは静観の構えを取っているが、彼らを支援する意思がありありで、いずれ国際的な注目を集める中でぐじゃぐじゃになることは間違いない。これらの地域には元々ロシア系住民が多かったので、ロシアへの信頼感があることは間違いないが、それにしても住民さえ取り込めば彼らの思い通り何でもできるというのはどんなものだろうか。
ウクライナ情勢が再び荒れようとしている。
さて、昨日と今日の2日続きで貴重な資料が見つかったことが公表された。ひとつは昨日都内で発見された坂本龍馬の手紙草稿である。直筆であることが鑑定人によって裏付けされた。龍馬が福井藩藩士・三岡八郎と新政府樹立など国の将来について語り合った内容がこの後藤象二郎宛の手紙の草稿に書かれているという。龍馬はこの中で新政府の財政を論ずるのは三岡以外にはいないと見込んだ人物だ。三岡は後に由里公正と改名し、「五箇条御誓文」を起草した明治政府にとって重要な人物である。龍馬の鋭い人物鑑識眼を証明している。しかしながら、この手紙を書いた10日後に龍馬は暗殺されてしまった。
もうひとつは、今日文科省が発表した教育勅語の原本である。これは一度所在が分からなくなり再発見されたものだ。明治政府の教育と道徳の理念を示す資料で、戦前教育の根幹を成すものである。ふたつとも明治政府が日本、及び日本人の進むべき方向性を規範として示したものだと言える。
しかし、その貴重な資料が同じ時期に発見されるとは偶発性にしてもあまりにも奇遇である。
2520.2014年4月7日(月) また同期生が天へ召された。
今日もまた訃報を受け取った。小田急電鉄へ同期入社した足立慶郎くんが先月20日に亡くなったと従弟で喪主の方から亡くなるまでの短い闘病の様子を書いたハガキをいただいた。やるせない気持ちになる。彼は大学も同じだった。最近は入退院を繰り返していて、昨年12月に緊急入院して3カ月闘病した末に安らかに黄泉の国へ旅立ったとハガキには認められていた。約10年前に彼はホテルを、私は旅行会社を辞めたが、その前後からお互いにあまりコミュニケーションを取れなかった。拙著やエッセイを掲載した小冊子を郵送しても、またちょっとした連絡をしても年賀状以外あまり積極的に連絡してくるようなことがなかったので、体調が悪いのではないかとちょっと気にはなっていた。
2月に同期入社の牧野くんが脳梗塞で突然亡くなり、ショックだったが、改めてまたひとり冥界へ旅立ってしまった。寂しい気持ちは拭えないが、これも運命だと思って諦めるより仕方がない。彼は生涯独身を通したので、家族がいないが、それは彼の生き方であるから彼なりに納得はしているのだろう。
それにしても親しい友人がひとり去り、ふたり去って段々寂しくなる。同期生もそういう年齢になったということだ。牧野くんも、足立くんもストレート入学だったので、2年浪人した私より2歳若い73歳である。2日に亡くなった竹内謙元鎌倉市長も同じ73歳だった。最近亡くなった3人の友人は揃って同じ年だった。まだ早いのではないかとつい思ってしまう。
最近はほとんど同期生と会うことはなくなったが、一度寄り集まって思いのたけをぶちまけてみたいと思っている。
足立くんのご冥福をお祈りするばかりである。
さて、金に汚い政治家のやることなので、今更何をとの気持ちがないわけではないが、今日「みんなの党」の渡辺喜美代表が辞任を発表した。誰が聞いても首を傾げる金の貸し借りである。代表は、ある会社の会長から選挙前に2度に分けて計8億円もの大金を借り入れていながら、個人的に借り入れしたもので政治資金規正法にも、公職選挙法にも違反しないと強弁していた。しかし、依頼したメールには、選挙資金として借りたいということがはっきり書かれていた。法律に定められた申告を記載していないので、明らかに違反しているではないか。党内からも辞職を求める声が出て、代表も四面楚歌に陥り、ついに観念した。だが、今日の会見では開き直って借りた金は妻の口座に置いていたとか、すべて利息を付けて返済したので、法律には一切抵触していないと性懲りもなく強気の弁を語った。
まったく悪いことをしたとの意識がなく、党内に迷惑をかけたから辞めるという、いつもながら政治家のずるい言い逃れである。渡辺氏は代表を辞任することで一件落着とこの件を幕引きしようとしている。国民を代表する国会議員としてのモラルがまったくなく国民を騙していた。つべこべ言わずに議員を辞職すべきであると思う。検察当局は本件を厳しく追及して徹底的に調査してもらいたい。
いつまで経っても一向に懲りずに、金と離れられないのが政治家と決めつけられては政治家としても不名誉この上ないのではないか。好い加減に目を覚ましたらどうか。
2519.2014年4月6日(日) 見苦しい理化学研究所の対応
新年度に入ってまだ日も浅いが、トップニュースは言うまでもなく消費税の値上げである。それに次いで話題を浚ったのは、STAP細胞問題だった。本ブログでも1日に取り上げたばかりである。今日のテレビでもサンデー・プロジェクトで岸井成格氏が理化学研究所に対して厳しいコメントを、また新聞の読者欄への投稿でも、この話題に対して疑問を投げかけていた。
まだSTAP細胞問題については最終結論が出ておらず、理化学研究所がこれから1年をかけてその存在について研究、精査を続けるということだが、研究自体もさることながら一般人に首を傾げさせているのは理化学研究所の組織としての機能と対応の仕方である。
年間1千億円近い予算を受けて、3400人の研究員、職員を抱える大組織でありながら、組織は膨大というだけで充分機能していない。理事長以下の組織上の管理、指導教育もなっていない。
こう言っては申し訳ないが、上部の人たちは所謂学者バカで、自分たちのこれだけ大きな組織の動かし方を知らないし、自分の立場が良く分かっていない。そのうえ周囲に対する気配りがまったくできていない。
1月に小保方晴子さんのSTAP細胞の研究論文が‘NATURE’誌に掲載された時は、組織を挙げてバックアップをしていたのではなかったのか。それが肝心の論文に疑問が呈せられ、過ちが判明するや手のひらを返すような仕打ちで、周囲が寄ってたかってひとりの研究員を叩きのめすような処分を下し、人前で引きずりまわしている。悪いのはただ一人小保方だけですと、組織ぐるみで全責任を小保方さんひとりにおっかぶせて善しとしている。
確かに小保方さんの論文には過去の論文の引用や、盗用まがいのやり方があったようだが、それにしても自分たち研究員仲間を悪者と決めつけ、未熟者でノートの記録もこんなものでは話にならないとばかりつつきまわしている。ついには、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授を国会にまで呼び出して、30歳代の研究者の未熟ぶりを周知させるなど、国を挙げて若き1研究者の言動をいじめ抜いている有様である。
こういう見苦しい舞台劇はあまり気持ちの良いものではない。世間知らずの理化学研究所の理事さんらも自ら反省して、同じ研究者仲間として手を貸してともに歩んでもらいたいものである。
昭和20年の今日は、沖縄沖合で特攻隊員341人が亡くなった日だそうである。
2518.2014年4月5日(土) 健康基準緩和を喜ぶべきか、心配すべきか。
昨日は松本整形外科医でいつもの定期診断に合わせて、一昨日の東京医療センターの検査概要を報告した。日ごろ気になっているCRPの目標値を0.3以下に思うように下げられないことに頭を痛めていたが、医療センターでは軽く下回り0.2となった。首を傾げながらもその数値を喜び勇んで報告したところ、何と3月19日に検査したこちらの数値はさらに下回って0.18を示したではないか。驚きである。これまでも目標値に近づくことはあったが、喜びも束の間すぐ数値は上がってしまい、いつもがっかりさせられていた。それが、今度は2週間以上0.3以下だったことが分かった。長い戦いであったが、これを元の木阿弥にさせないよう注意することが大切である。傾向としては心配していたほど悪くなっていないので、気を緩めないようこれからも気を配っていきたい。
昨日「健康」の基準について「日本人間ドック学会」と健康保険組合連合会が新たに「健康な人」の調査値を示した。それを来年から運用する
いくつかのアイテムがある。その中で代表的な血圧については、従来の上・130未満、下・85未満だったが、新たな基準では上が88~147、下が51~94へ広がった。これまで140以上にならないよう10年ほど前から毎朝晩に血圧を測り、トレンド・グラフを作成して血圧が上がらないよう注意していた。特に140を超えた数字を朱文字にして注意を喚起していたくらいである。それが、新基準では大幅に緩和されたようで楽になったと言えば、確かにそうだが、大事な健康基準がこんなに簡単に「規制緩和」して大丈夫なのだろうか。気持ちは楽になった反面、心配にもなる。
2517.2014年4月4日(金) 夭折の天才作家・中島敦の秀作「李陵」
ノン・フィクション「南の島の日系人大酋長の波乱万丈」を書くに当たって、ミクロネシアについて資料や学術書、ガイドブックなどをいろいろ調べている内に、ある薄倖の素晴らしい作家に出会うことができた。戦前南洋庁へ職員として入庁した高校の国語教師・中島敦である。この若き作家はすぐパラオの南洋庁に派遣され、当時の南洋諸島の島々を巡回しながら国定教科書のチェックなど教育指導に当たっていた。当時の南洋群島の習慣や風物詩などが彼の「南洋通信」にかなり具体的に紹介されており、随分文章作成に役立った。惜しむらくは中島は身体が弱く病気がちで太平洋戦争が勃発した翌年日本へ帰ってから間もなく亡くなった。33歳の若さだった。早世したため彼の作品はあまり多くないが、数少ない作品は粒ぞろいだ。「南洋通信」はもちろんだが、特に2つの短編代表作品は教育界でも注目を浴びている。
そのひとつが「山月記」である。知らなかったが、日本の高校の国語教科書には、この「山月記」が最も採用されているという。つい最近ある高校の国語教師が「『山月記』はなぜ国民教材となったのか」という好著を上梓して、それが新聞の読書欄に好意的に紹介されていたほどだ。確かに読んでみて滋味のある作品だった。
もうひとつの作品は「李陵」という短編で、「山月記」と同じように漢の武帝時代を舞台に、漢と匈奴との戦いの中で優れた武人李陵の行動と内面的な葛藤を司馬遷の記述を参考にしながら書き下ろしたものだ。
感心するのは、30歳になったか、ならなかったの若さで、これだけのストーリーを流れるがごとく書ける非凡な才能である。しかも漢文調で、難しい言葉遣いを駆使して縦横無尽に筆を使っている。いかに祖父が漢学塾を主宰して家系にも漢学を学んだ人が多かった家庭環境の中に育ったとは言え、その素養には舌を巻く。もし、もう少し長生きしたら、漱石や鴎外に匹敵する文豪となったかも知れない。今日「李陵」を読み終えて天才作家・中島敦の魂と構想力に感服した。
「李陵」の中にこんな気になる文言があった。最近の中国の反日感情を考えると思い当たる節がある。
「~漢の人間が二言めには、己が国を礼儀の国といい、匈奴の行いをもって禽獣に近いと看做すことを難じて、単千は言った。漢人のいう礼儀とは何ぞ? 醜いことを表面だけ美しく飾り立てる虚飾の謂ではないか。利を好み人を嫉むこと、漢人と胡人といずれかはなはだしき? 色に耽り財を貧ること、またいずれかはなはだしき? 表べを剥ぎ去れば畢竟なんらの違いはないはず。ただ漢人はこれをごまかし飾ることを知り、我々はそれを知らぬだけだ、と~」