充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2630.2014年7月26日(土) 国外に、国内にもトラブル
パレスチナ・ガザ地区の戦闘は日に日に激しさを増し、すでにパレスチナ側に900人を超える死者が出て、取り敢えずイスラエルとの間で12時間停戦が実現した。アメリカの1週間停戦要求案に対してイスラエルは拒否した。イスラエルに言わせれば、物資や食糧の搬入などの人道支援のために12時間の一時休戦で充分としている。今後どういう経緯を辿って休戦へ行き着くのか予測はできない。ガザ地区を支配するイスラム武装組織ハマスとイスラエルが衝突を繰り返し、その都度仲介に乗り出す「世界の警察官」アメリカの影響力が効果を上げないのは、アメリカ自身のイスラエル寄りのダブルスタンダードのせいである。
イスラム組織の中でも今ではパレスチナ自治国家として広く認められているのがファタハを中心とする組織で、これはガザとは距離的にも離れたヨルダン川西岸のベツレヘムに本部がある。一昨年エルサレムから車でベツレヘムに入った時、緊張感を覚えたが、そこには銃弾の匂いはしなかった。だが、戦争と平和は紙一重の背中合わせで、平和がいつ戦争に転じるかまったく予測もできない。私自身第三次中東戦争直後にアンマンでヨルダン軍兵士に突然身柄拘束されたのも、当時アンマンが戒厳令下にあったにも拘わらず戦争の硝煙が感じられず、つい油断したからである。
ウクライナの内戦状態もマレーシア航空機の撃墜事件が発生して、益々解決は遠のいている。しかし、確実に世界に紛争の種はまかれ、それが複雑化して解決を難しくしている。
それは日本でも同じで、中韓両国との対立は一向に相互の歩み寄りが見られず、いつになったら中国や韓国との善隣友好関係が復活するのだろうか。
そんな行き詰まった外交関係の一方で、外国人観光客の誘客のためにかねてより話題に挙がっていたカジノを政府が検討を始めたという。デメリットだらけで、常識人には悪評ふんぷんのギャンブルしか観光政策として考えられないのが短絡志向の国会議員の精いっぱいの知恵なのである。これをヤクザ紛いの国会議員が議員立法で一気にやってしまおうというのである。国民の間で充分賛意も得られず、広く議論が戦わされることもなく、静かに議員立法で密かに実行に移されようとしている。すでに候補地として、北海道、千葉、東京、横浜、大阪、長崎、宮崎、沖縄が挙がっている。治安面、ギャンブル依存症などのマイナス面への対策も描けぬ内に、ギャンブル好きの議員たちによって着々と布石を打たれているようだ。日本も政治が国民の声を聞かなくなり民主主義が死滅しつつある。恐ろしいことである。
2629.2014年7月25日(金) 日本社会も少しずつ劣化している。
今日舛添要一東京都知事がソウルで韓国の朴槿恵大統領と会談した。日韓関係が冷却化して両国の首脳会談が行われなくなってからすでに久しい。安倍首相と朴大統領の会談なら両国の友好関係上大いに歓迎すべきであるが、首都首長との会談とは、韓国側にとってはちょっとスタンスを変えて様子見という感じである。韓国マスコミは大統領が日本に柔軟政策をとるのではないかと疑心暗鬼に陥った報道をしているようだ。舛添知事は安倍首相のメッセージを伝えたが、日本サイドにしても、相変わらず朴大統領が歴史認識問題と従軍慰安婦問題を頑なに譲らないと断言している以上、安倍首相との会談は、いくら都知事が媚びへつらってお願いしても見込みが立たないと思う。
まったく外交というのは難しいとつくづく思う。
難しいのは、外交ばかりではない。かねがね問題発言のあった作家でNHK経営委員の百他尚樹氏が、22日経営委員会で「ニュースウォッチ9」の大越キャスターの在日1世は強制連行されて苦労したとの主旨の発言に対して、異議を唱えた。個別番組への委員の干渉は放送法で禁じられている。またこの経営委員のパフォーマンスが物議を醸している。須藤春夫・法政大名誉教授によれば、「明白な放送法違反だ。経営委員は経営の基本方針に関わる事柄が仕事で、編集の独立性を尊重することが求められている。職責の自覚がなく、適性を疑う。任命した首相や同位した国会の責任も問われる」と厳しく批判している。
これは、須藤教授が言うように、百田氏に適性がないということだ。そんなことが自分の好みで任命した安倍首相には分からない。朝日の今日の朝刊で大きく取り上げられ、日経夕刊でも追随した記事が掲載されている。どうして公平であるべき公共放送のNHKが、辞めさせることができないのか不思議である。
国内では他にもおかしな事件が起きているが、国家の名誉とか、公平さを損なうようなことは為政者がしっかり管理すれば防げることである。日本社会が確実に劣化しているということだろうか。
2628.2014年7月24日(木) まもなく新しい本が世に出る。
今日は拙著の三校ゲラの見直しを何とか済ませていよいよ印刷に回すことになった。これまでの拙著に比べて、出版社の性格が違うせいか、結構原稿の手直しを迫られることがある。今日もメールと電話でやり取りを続けた。納得のいく文言の修正のケースなら良いが、受け入れられないような変更を求められると言い返すことにもなる。とにかくあと1カ月以内には世に出ることになる。友人たちは大分期待してくれているので、心強い。楽しみでもある。早く自分の本を手に取ってみたいものだ。
さて、先日ウクライナ上空でマレーシア航空機が撃墜されて、その後も現地へ派遣される調査団が機体に手を触れられなかったり、部品を隠ぺいされたり、欧米とロシアの間で責任追及について対立したり、とにかく問題が大きくなっている。今日になって台湾の西方、澎湖島で旅客機が着陸に失敗して市街地で墜落し50名近い犠牲者を出した。これは悪天候によるものと見られている。と思ったら、西アフリカでブルキナファソの首都ワガドウグからアルジェリアの首都アルジェへ向かっていたアルジェリア航空機がマリ上空で行方不明となった。マリでは昨年イスラム武装勢力がフランス軍との間で紛争があり、まだ詳細について報道はないが、事故なのか、事件なのか、いろいろな思惑が広がっているようだ。
また、中国で食品安全に関わる事件が発生した。日本でも大分影響を被りそうで、マクドナルドやファミリーマートが被害に遭った。中国の食品業界には感覚的にどうかと思える常識があり、衛生観念に欠けている。食品工場内の従業員の会話を聞いていると、自分たちは食べないせいか、腐っても死なないなど不届きな発言がある。数年前にも中国からの輸入ぎょうざが食品中毒事件を起こした。日本の食品業界にとっては、中国はなくてはならない食料品供給国だとすると、検査を中国だけに任せることなく、日本側でもチェックすることを考える必要があるのではないか。
2627.2014年7月23日(水) 拙著タイトル「南太平洋の剛腕投手」に決定
今日は24節気の大暑に当たり、暑い、暑い。それもそのはずである。全国にある観測点925か所の内何と528か所で真夏日の30℃を超え、17か所で猛暑日の35℃を超えたという。このところテレビで熱中症の注意と警報ばかりである。
さて、昨日拙著のタイトル変更について書き込んだばかりだが、現代書館と話合った末今日「南太平洋の剛腕投手」ということに決めた。赤道以北にある旧トラック島を南太平洋と呼ぶことに若干抵抗があり、編集者にその旨伝えたが、それは理解できるが戦前から旧トラック島を含む南洋群島を南太平洋と呼ぶことに間違いはないとの確証を得たと言う出版社の言い分と、彼らの営業サイドの意見に押し切られた。サブ・タイトル「日系ミクロネシア人の波瀾万丈」のミクロネシア人ということから、南太平洋がミクロネシア、つまり旧トラック島であることは明白になると説得された。まぁ、こういうことなら良いと納得して受け入れることにした。
ただ、ススム・アイザワ大酋長は現役時代は必ずしも剛腕投手ではなかった。それは実績によっても分かるし、佐々木信也さんもそう言っていた。むしろその剛腕とは、プロ野球を辞めてから旧トラック島へ帰ってからの政治的、社会的活動に因んで名づけたものである。
さぁ、これで正式にタイトルが決まった。もう2度と変更することはあるまい。
ところで、昨22日あの「世界遺産」モン・サン・ミッシェルで式典があった。島と陸地の間に橋が架けられたのだ。これまでは干潮時に海水が退き島と陸地が繋がって歩いて行ける。そして満潮時には島と陸地の間が海水で満たされ、島が浮かぶような光景が見られた。それが近年満潮時でも島と陸地の間が繋がったような状態になっていた。この橋の完成によりモン・サン・ミッシェルが本来の島の形を毎日見られることになった。
2001年にここを訪れた時、中々の風物だと見たが、当時からすでに島と陸地の間に土砂が堆積しつつあったのだ。今改めてモン・サン・ミッシェルを思い出すと、その近くのしっとりとした小さな漁港の街オン・フルール、映画で知られたシェルブール、象の鼻の形をしたエトルタを始め、ドーヴィルの名門「ホテル・ノルマンジー」に宿泊した体験などが懐かしい。機会さえあれば、いつかもう一度あの世界遺産の島を、完成した橋を歩いて渡って訪れてみたい。
2626.2014年7月22日(火) 再び拙著のタイトル変更
今日はびっくりした。アポイントを取って現代書館で担当者の福田氏と拙著の三校ゲラの付き合せ、修正を行った。いくつかの話し合いと微修正はあったが、1時間半程度で終えた。その後代々木のJAPAN NOW観光情報協会へ回り、のんびりその話をしていた。
ところが、帰宅してゲラの原稿をチェックしていて福田氏と話していた時に、同社菊地社長が私と話したいということだった。それが驚愕の始まりだった。
菊地社長から唐突にタイトル「野球大酋長」を取りやめて他のタイトルに代えられないかという驚くべき要請があった。一瞬何が何だか分らなかった。現在のタイトルに代えたのは、今月10日である。しかもその提案者が菊地社長だったからである。まだ、この変更を伝えていない友人たちが大勢いる。それが、2週間も経たない内に、また本の命である書名を代えようというのである。その理由は、「大酋長」という言葉が差別用語に当たる可能性があると、ある新聞社が拙著の広告掲載を断って来たことにある。もとより私自身表現や気持ちに差別の意図はまったくない。しかし、このまま他のメディアでも同じような理由で拒絶されるようだとトラブルが拡大する恐れがあり、それ自体本意ではないので、止むを得ず菊地社長の意を受け入れ、タイトル変更を呑むことにした。上梓を1カ月以内にもなってこんな事態が発生したのは青天の霹靂である。
拙著で使用した「酋長」という表現は、決して差別の意を含んではいない。現地では戦前から差別のような意味はまったくなく、むしろ自然な表現として現地島民の間に根付いている。当の「大酋長」ですら何の躊躇もなく、この表現を使っていた。相澤大酋長は私にも大酋長という言葉を使った。
しかし、書物の出版という現実問題として考えると、差別のあるなしに関わらず、今後拙著を宣伝するうえでこのネーミングを拒否される可能性があるとするなら、突っぱねているわけにはいかない。新しいタイトルを考えることにした。
これから新タイトルを考えるのは、そう簡単ではない。中々一筋縄でいかないのが、「ヒット商品」の製作過程だと思いたい。