充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2670.2014年9月4日(木) 韓国人の反日感情の起源は?
今日の午後から夜にかけてトップ・ニュースは何と全米テニスで錦織圭選手がベスト4に進出したことである。優勝ではない。まだ準決勝進出である。それでいてこの大騒ぎである。
昨日は第2次安倍改造内閣発足で夜遅くまで気難しい特集を組んでいたのに、この豹変ぶりである。しかも世界的にはエボラ出血熱の蔓延、イラク北部の「イスラム国」の残虐な行為、ウクライナの戦闘、パレスチナ内戦、等々ニュースはいくらでもある。ただ、残念ながらこれらはみんな暗いニュースばかりである。
そこで明るいニュースを積極的に取り入れて報道したと言えなくもない。
錦織選手の準決勝進出は、実に96年ぶりだそうである。しかし、錦織選手にはこれまでの日本選手とは一味異なる力強さがある。「誰とやっても勝てないとは思わない」との発言は、かつての日本人選手には見られない自信たっぷりなものだ。2日後に行われる世界ランク№1のジョコビッチ(セルビア)との準決勝で真価を問われる。期待したいと思う。
さて、今NHK大河ドラマで「軍師官兵衛」を放映しているが、日経夕刊連載小説で火坂雅志「天下-家康伝」が時代的に同じころを描いている。2つを比較しながら読み解いていると中々面白い。ここで小説が先行したが、秀吉が日本海を渡り朝鮮遠征の描写となって攻め込んでいたが、苦戦し、結局退去するシーンになる。
今でこそ日韓関係悪化の原因として、①歴史認識と②従軍慰安婦問題が取り沙汰されているが、それ以前は実は、この秀吉の朝鮮出兵が当時の朝鮮の人々に強い反日感情をもたらせていた。今から40年ぐらい前に初めて韓国を訪れた時、韓国のあちらこちらで軽く反日的なことを言われた。それは豊臣秀吉が韓国で乱暴狼藉を働いたというものだった。その時は、その歴史的事実はもう大分昔のことなので、好い加減に勘弁してもらいたいと韓国のガイドさんに笑いながら謝ったことがある。今ではターゲットは秀吉から慰安婦に代わってしまったが、それでも韓国人の心の奥底には、大なり小なりずっと反日的な気持ちがあるのだということを感じた。それが、偶々昨今の新聞小説で当時の印象を甦えさせられたわけである。
2669.2014年9月3日(水) 第2次安倍内閣発足
第2次安倍改造内閣が発足した。一昨年12月の総選挙で自民党が第一党にカムバックしてから安倍内閣としては、初めての内閣改造である。自民党幹事長だった石破茂氏が、安倍首相との間の確執を思わず曝け出し、結局希望していなかった新しい大臣、地方創生大臣に就任することになった。あまり国民的人気はないようだが、政策通であり、防衛問題にも精通し、自民党地方議員の間では人気が高いようだ。腐らず初心を貫いて欲しいものである。
18人の大臣の中で、荷が重いと考えざるを得ない人が何人かいる。引き続き経済成長を目標にすると言いながら、経済産業大臣に経済にそれほど識見、経験があると思えない最年少40歳の小渕優子氏を充てたことである。素材さえ良ければ何とか経験不足をカバーして全うできると思える大臣職は他にもある。にも拘わらず、国の経済政策を立案し、国際経済の動きに注視しつつ日本経済をリードして行かなければならない経済官僚を導くためには、経験不足の小渕氏で果たして大丈夫だろうかという不安が拭えない。結局二世議員ということが利いているのではないだろうかと下衆の勘ぐりが消え去らない。
新閣僚がどう実力を発揮するのか、これまでとそれほど変わらないだろう。ひとつだけ評価したいのは、靖国神社参拝を続けていた古屋氏、新藤氏、稲田氏が揃って退任したことだ。彼らの言動が中韓両国を刺激していたことは間違いない。安倍首相は常々中韓両国に対して、対話のドアはいつも開かれていると公言していたが、自らを含む閣僚の行為がその扉を閉めさせていたことには気づいていない。
積極的平和外交と言いながら、対話のドアを閉めるようなことばかり行ってきた第一次内閣とは異なって、謙虚に、かつ自明の行動を起こしてもらいたいものである。
さて、午後森喜朗事務所とミクロネシア大使館へ行き、出版記念会の案内状をお渡ししてきた。長谷川秘書の話では、森氏は喜んで出席されるということだった。大使館では、偶々入口で外出しようとするフリッツ大使にばったり会い、丁度モリ大統領が訪日されるのでその日程次第であるが、日程さえ調整できれば出席したいと言われた。
ぼちぼち案内状を送る作業を始め出した。
2668.2014年9月2日(火) 元読売記者の北岡さんと会う。
珍しく旧知の北岡和義さんからぜひ拙著を読んだ感想を含めて会って話をしたいと電話があった。望むところであり特別の用事もなかったので、自由が丘で食事方々話をすることになった。北岡さんも40年前にミクロネシアとパラオなどを訪れたこともあり、戦争について知る人たちが少なくなっていく現状を嘆いていた。
来年終戦70周年を迎えて日本人の間に、一気に戦争への関心が薄れていくのではないかと心配しておられた。まったく同感である。北岡さんは読売新聞記者を経て横路代議士秘書を務めた後にロスアンゼルスで日本人向けテレビ局を立ち上げ、更に沖縄密約事件でも支援者として活動してこられた熱血ジャーナリストで、ともにビルマに関心があることでも共通点がある。
肩の凝らない会話をして、11月の拙著出版記念会で会いましょうということになった。
さて、その拙著であるが、今日小田急百貨店境野専務から町田の久美堂書店では明日から平積みできる準備が整ったと連絡があった。たまたま北岡さんに会う前に自由が丘駅前では電話中の目黒区議須藤甚一郎さんにばったり会った。その時何と小中陽太郎さんと話している最中だったが、代わって話してみてはと促され、小中さんと話すことになった。拙著の販売の様子を聞かれ、有名店に平積みを依頼していることを話したところ、喜んでいただいた。更に今拙著について某誌に某氏が書評を書き明後日発行されると聞いたが、小中さんが「出版ニュース」に書いておられることを出版ニュース社清田社長から現代書館菊地社長が聞いたと先日菊地社長から私自身伺ったばかりである。
皆さんがいろんな意味で協力してくれる。その点が嬉しいし、有り難いと思っている。
2667.2014年9月1日(月) セルビアのバイオリニスト豊嶋めぐみさんと会食
セルビアから年末の沖縄公演の打ち合わせのため一時帰国中のバイオリニスト・豊嶋めぐみさんと、ゼミの赤松さんとともに新宿でランチを共にした。ハンガリー人の夫イムレ・カールマーン氏とともにセルビアのノヴィ・サド大学で教授として勤めながら国際的に演奏活動をしている。
今日は音楽の話はあまりせず、やって来られなかった山崎洋さんの話題を中心に食事を楽しんだ。ハイアットの和食「佳香」で、食事をしたのも初めてだったが、定食でありながら手間と工夫を凝らした和食弁当が中々珍しく、美味で、豊嶋さんも喜んでおられた。
詩人である山崎さんの奥さん(山崎佳代子さん)から最近発刊された「ベオグラード日誌」を豊嶋さんを通していただいた。私からも約束通り豊嶋さんと山崎さんへ拙著を贈った。
帰りに新宿の三省堂を覗いたが、依然として拙著は平積みされておらず、元の場所にそのまま置かれていた。帰宅したところ現代書館の菊地社長から、その三省堂と町田の久美堂から平積み用に注文があり手配したので近々平積みされるだろうとメッセージがあった。更に小田急百貨店の境野専務からも平積みの手配を済ませたと連絡があった。他方、鎌倉に住む弟からも7月に我々3人が行った鼎談を掲載した「江ノ電沿線新聞」が今朝の朝日に折り込みとして入っていたとメールがあった。
幸いグッド・ニュース続きで嬉しい気持ちになる。
昨日全国高校軟式野球大会決勝戦が行われ、岐阜・中京高校が神奈川・三浦学苑を2-0で破り2年ぶりの優勝を飾った。しかし、ここに至る前の準決勝戦で優勝校が広島・崇徳高校と闘った死闘が大きな話題を提供して日に日に注目を集めていた。
その準決勝は、延長15回戦の末0-0で引き分け、サスペンデッド・ゲームとなり、翌日延長16回表から開始され、1点でも取ればその時点で試合終了だった。だが、両校ともに得点がなく、延長30回闘って無得点で、改めてサスペンデッド・ゲームとなり、更に31回表から試合が再開され、結局45回を終えて勝負がつかなかった。そして3度目のサスペンデッド・ゲームは46回表から開始され50回で決着がついた。こんな伯仲した試合は初めてである。後世長く高校野球史上に残る素晴らしい戦いとなった。お互いに1人の投手が投げ切ったということから、疲労、引いては若い肉体の健康問題が議論となり、新たなルール作りが検討されることになった。残念ながら軟式大会だったがために、当初あまり注目を浴びることはなかったが、あまりにも劇的な展開を見せたことにより、耳目が集まった。
高校時代のハードワークがその後疲労蓄積となって新たな身体的故障を生むことが、つい最近のヤンキース田中投手の肘の故障の例でも騒がれている。今のうちに根本的な対応策を考えることが必要であると思う。
2666.2014年8月31日(日) 大学生の就職試験で考えたこと
今日深刻な報告を聞いた。ゼミの恩師のお孫さんが新聞記者を目指し、新聞社を受験したいと言っていた。昨年11月初めて自由が丘で会った時に強い希望を聞いた。中々真面目な好青年で、勉学にも励み、部活もワグネル・ソサイエテイに参加して精一杯やっているようで、きちんと応対する姿勢に好感が持てた。
今日の報告によると、筆記をパスしていた朝日とNHKが結局面接でダメだったようだ。本人はどうしても新聞記者になりたいと両親の了解を得て1年留年することに決めたという。ただ、来年は背水の陣で取り組む心構えを求められていることを自覚し、他の産業も就職の対象とすることを考えていると言っていた。それはそれで良いと思う。いずれにせよ、1年間の方針は決まった。時により相談に乗って考えられるアドバイスを与えてきたが、今年は成果が出なかった。彼も覚悟を決めて新しい1年間に向けてスタートを切ることになる。
来年こそは努力が報われるようであってもらいたい。そのために私もできる限り相談に乗ってやりたいと思っている。
それにしても我々のような50年以上も前の時代と就職環境や条件が大分様変わりして、受験生も中々大変なようだ。