充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。
ブログ・ご意見番の意見
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2675.2014年9月9日(火) 「昭和天皇実録」公開される。
今日の大きな社会的ニュースは、「昭和天皇実録」公開と錦織圭選手の全米オープン準優勝である。後者は錦織選手が日本人として初めて決勝へ進出したが、残念ながら敗退したことである。朝のニュースで時間的にまだ結果は分からなかったが、その内に結果が3-0のストレート負けと分かった。しかし、それでも号外が出る有様である。確かにプロテニス4大タイトルで日本人として初めて決勝へ進出したのはご立派である。今大会で一気に花を咲かせた錦織選手には今後もチャンスがいくらでもある。仮に今回優勝でもしたら日本中が大騒ぎになったのではないだろうか。それだけに今後のタイトル獲得が楽しみである。
それにしても錦織選手のように若い時に海外武者修行で自分を磨くというのは、その人の素質もあるだろうが、大きく育つためには大きな要素であるように思う。サッカーの三浦和義選手が一流プレーヤーとなり、40歳を超えてもなおあの激しいサッカーを続けていられるのも錦織選手の海外武者修行に通じるものがある。
もうひとつ朝刊一面を占めていたのが、「昭和天皇実録」公開である。「昭和天皇の動静 克明に」とか、「新資料や回顧録の存在判明」とやや建設的に理解しようとしている。昭和天皇が崩御されてからすでに25年の歳月が経った。学者や作家がそれぞれコメントを述べている。私には果たして実録がどこまで真実であるかとの疑念がある。大正天皇実録には黒塗り個所が多く、歴史への冒涜と極めて評判が悪かったようだが、昭和天皇実録には黒塗りがないからと言って「公開性を意識した結果、物議を醸しそうな点は記述していない可能性もある」(古川隆久日大教授)。
敢えて物申せば、公開した宮内庁には、表向き公になっていない昭和天皇への非難を守ろうとの意図があるのではないか。例えば、昭和天皇は平和を追及していたとして軍部の独走を戒めたとの記述は考えられるが、御前会議で大東亜戦争へGOサインを出したのは、間違いなく昭和天皇である。それほど平和を希求するなら、天皇の立場なら満州事変の勃発、太平洋戦争勃発を強硬に反対することができたと思う。この昭和天皇実録公開が天皇の戦争責任追及をかわす目的に使われるようなことがあってはならないと思う。
さて、今日は母校湘南高校で、連絡しておいた校長と教頭に会い拙著を寄贈した。その前に校庭で硬式野球部員に佐々木信也先輩について言葉を交わした。体育会系運動部員らしく挨拶がはきはきして感じがとても良くすっかり気分を良くした。先日佐々木さんらとの鼎談が掲載された「江ノ電沿線新聞」を一部あげたらとても喜んでくれ、同窓会事務局長との話を終えた帰りがけに私の運転する車に向って何人かの部員が頭を下げて挨拶してくれるほどの好意を示された。
その後藤沢駅周辺で用を足して近くの有隣堂書店を覗いてみたら、スポーツコーナーではあったが、拙著が平積みされ、そこに「著者湘南高校出身 湘南のことが書かれています」とペン書きで紹介されてあった。こういうやり方も販売効果があるのだろう。こんなパフォーマンスも嬉しい。
2674.2014年9月8日(月) 首相が訪問したアジアの親日2カ国
現在安倍首相はアジア2カ国訪問旅行中だが、バングラデッシュに次いで訪れたスリランカから今日帰国した。歴代首相の中で目立って海外へ出かけている安倍首相だが、今回訪れた両国とも昔から極めて親日的な国である。バングラデッシュでは、日本の経済援助効果もあって今年期限の来る国連非常任理事国の座へ同国とともに立候補していたが、立候補から降りるというバングラデッシュの譲位もあってわが国が非常任理事国となるのは決定的となった。そしてスリランカも親日国である。これらの国はいずれも中国の経済侵食が強まっている。これから日本は親日国だった国々が中国の影響が強まるのをどうやって抑え込み、芯から親日だった国々を更に日本との交流を深めていくことができるだろうか。
スリランカの初代大統領だったジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ氏は日本にとって恩人とも言える人だった。1952年サンフランシスコで講和条約が締結された際、戦勝国は日本国土を分割するよう主張する利己的な意見が相次いだ。それに歯止めをかけたのは、当時セイロンの国連代表だったジャヤワルダナ氏だった。彼はこう言った。「憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む」と。この正に慈愛に満ちた言葉が、戦勝国の言いなりになりそうな日本の窮地を救った。ジャヤワルダナさまさまである。それに引き換えわが国には、こういう慈愛溢れる哲学的メッセージを述べられる政治家は皆無である。
さて、現在2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に向け、主要施設の改築が走り出している。中でも陸上競技のメインスタジアムである国立競技場が賛否両論の中で、取り壊し工事にかかった。そこで毎年12月に行われる早明ラグビーが会場として使っていた国立競技場が使用できなくなったために、東京ドームを使用するという馬鹿げた話が進んでいた。アマチュア・スポーツの権化であるラグビーの華の早明戦を、プロ野球の本拠地で行う節操のなさに呆れかえっていた。かつては行なわれていた本家の秩父宮ラグビー場ではどうして行えないのか。打算的な観客収容能力を計算したようだ。
とどのつまりは、秩父宮に決まった。東京ドームではポールを建てた場合危険だというが、あまり説得力がない。いずれにせよ、納まるべきところへ納まった。それにしても東京ドームへ持って行かなくても都内には他にいくらでもラグビーをプレイできるスタジアムがあるではないか。
森喜朗日本ラグビーフットボール協会会長は、早大OB会のメンバーでもある。どうしてこんな寄り道をしてしまったのだろう。折も折今日11月に開く予定の拙著出版記念パーティに森会長からご出席いただけるとのご回答を正式にいただいた。
2673.2014年9月7日(日) 墓穴を掘る恐れのある言論封殺
滅多に読まない東京新聞だが、今日の朝刊に、月刊「創」篠田博之編集長が「話題の発掘」というコラムを書き昨今の朝日の狼狽と無節操ぶりを批判している。特に先週から今週にかけて、「週刊文春」と「週刊新潮」誌が徹底して批判している。その号の両誌があまりに辛辣な朝日攻撃に、朝日も頭に来て両誌の朝日広告掲載を拒否する意趣返しとなった。篠田氏の発掘された話題「ためらいなき朝日たたき」の見方は鋭い。朝日の従軍慰安婦の間違った、虚偽の記事が今日の韓国の従軍慰安婦問題追及の原点となっているとのメディアの声は強いが、週刊誌などが朝日を「国賊」「売国奴」呼ばわりすることは、かつて国家の方針に従わない言論を封殺するのに使われた言葉であると指摘している。実際最近、やれ「国賊」だ、やれ「売国奴」との強圧的な言葉が、メディアで平気で使われている。
偶々東京新聞を求めて読んだのは、一面に拙著「南太平洋の剛腕投手」の広告掲載があったからだ。コンビニか、駅売店で買い求めるつもりだったが、すっかり失念し外で夕食中に思い出した。普通なら夜7時過ぎに朝刊は置いていないが、幸い今日は日曜日だったために、夕刊は休刊で辛うじて朝の新聞が駅売店で販売されていたわけである。
本来なら「創」編集長の見方は目に止まらなかった筈である。東京新聞に広告が掲載されると知らされたが、それも買い損なった。普通ならそれまでだった。だが、今日が日曜日だった幸運によりまだ売れ残っていた。そこにこの「言論封殺の拡大を懸念」する小論が載っていた。
ここには、攻めには守りが大切だとの教えがある。
2672.2014年9月6日(土) 原発廃炉の動きは強まるか。
第2次安倍改造内閣発足で経済産業大臣に就任した40歳の小淵優子氏は、経済政策通といいうわけでもなく、変動の激しい日本経済のかじ取りを担うのは、少々荷が重いのではないかと懸念していたが、アメリカの「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙も早々に不安感を表した。そして、そんな声を意識したのか、小淵氏は川内原発再稼働に前のめりの考えを述べた。
ところが、昨日、今日の新聞を見ると小淵氏の原発再稼働の意に反して、原発の廃炉問題が大きく取り上げられている。関西電力では、美浜原発2基の廃炉を検討しているという。この2基は稼働以来すでに昨年国が決めた「原則40年」を超過した。これを「最長20年間の延長」は可能であるが、新たな基準に基づく地震や火災などの追加対策で、巨額の設備投資が必要になる。延長した20年後を考えると相当な経費がかかることが考えられ、この際廃炉の道を選ぶことも検討するに至った。
だが、問題は一筋縄でいかない。それは廃炉にかかる費用が馬鹿にならないことである。これまで廃炉に向けた大きな動きはなかった。現状では電気料金から積み立てた廃炉のための費用の捻出が考えられるが、とてもそれでは足りない。仮に今後廃炉が次から次へと続けば、とても廃炉の費用はとても賄いきれない。更に面倒なのは、現在でも散々話題になっている廃炉で生じる大量の廃棄物の行方である。使用済み燃料から原子炉内の部品まで最終的な行方が決まっていないことである。
これまでは原発再稼働へ向けた議論ばかりが目立っていたが、これからは廃炉を国民的目線で議論することが必要である。
それにしても福島第1原発事故発生前は、原発は費用がかからないと言われていたが、これほど高い買い物はないということを今更ながら思い知らされることになった。
さて、現在西アフリカで猛威を振るっているエボラ出血熱がじわじわと広がりを見せ、近代医学では根治できないのではないかと憂慮されている。日本でも最近になってデング熱感染者が表れ、都内の代々木公園で感染したという若者が現れたが、今度は新宿西口公園でも感染者が現れた。いずれもかつての勤務場所に近く、しばしば公園内を歩いたものである。今年は異常気象だと言われているが、このデング熱患者が発生したのも何と70年ぶりだそうだ。
どうしたって人間は自然には勝てない。例え自然をコントロールしたと思っても、そのツケは事故や人類が考えられないしっぺ返しとなって痛めつけられる。
2671.2014年9月5日(金) 懐かしいスエズ運河を描いた絵画
これは終戦間もない小学生の頃の記憶である。絵本でスエズ運河の絵を見て、何となくスエズの景色に憧れた。その頃小松崎茂が描いた同じような絵物語に夢中になっていた。その後そのスエズ運河が頭の中にインプットされたまま、1967年第3次中東戦争直後にスエズ運河に出かけ、運悪く警察に身柄を確保されるていたらくとなり、押し込められたホテルの裏窓を破って忍び足で屋根伝いにスエズの街へ出かけて行ったことが走馬灯のように甦って来る。
ところが、現実のスエズの街は戒厳令下にあり、かつて描いたイメージとはまったく変わっていた。それは時代の経過があまりにも大きかったことから無理もないことでもあった。
実は、日経紙によると子どもの頃絵本で見たような気がしたスエズの景色と称する本物の絵画が、113年ぶりに発見されたのである。近代日本画の巨匠、竹内栖鳳が1901年にヨーロッパから帰国してすぐ描いたもので、美術展に出品後行方が分からなくなっていたが、広島県廿日市市の美術館が所有していたことが、先月末明らかにされた。
110年前の絵は、私が実際に訪れて自分の目で見たスエズ運河とは、60年近い日時を経たせいもあり似ても似つかないものだったが、絵の中でスエズ川の畔に見られるラクダや砂漠、ヤシの木は110年前のスエズの情景をほうふつとさせるものだった。この絵に強烈なインパクトを与えられ、私の魂が揺さぶられるような気がした。47年前訪れたスエズは戒厳令が敷かれた物々しい町だったわけだが、あれから少しは落ち着いたスエズがもう一度呼んでいるのだろうか。
スエズを訪れた時、イスラエルの空爆で市街地から市民は避難して市内には若い男だけしかいない異常な状況だった。でも、運河縁で相撲のような遊びをしていた男たちは、気さくに話しかけてくれた。難しいだろうが、戦争の危険のなくなったあのスエズ運河にもう一度行ってみたいものだ。その前にできれば、廿日市市の「海の見える杜美術館」で今秋展覧会に公開される郷愁の本物の絵画「スエズ景色」を観てみたいものである。