ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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2739.2014年11月12日(水) 出版記念会のグッド・メモリー

 一昨日の出版記念会について多くの友人から感想や賞賛の言葉をいただいた。ほとんど好意的に、やれ良かったとか、やれ大成功だったとの温かいエールをいただくのはやはり嬉しいものだ。昨日に引き続き今日も特にお世話になった30名の知人、友人にお礼の言葉を送った。また、森喜朗元総理や、お出でいただけなかったが祝電やお花まで贈っていただいたジョン・フリッツ・ミクロネシア連邦駐日大使にお礼の手紙を書き送ったところである。

 日本ペンクラブ会員でありながら、プロカメラマンとしての肩書もある西原健次さんは、アシスタントの女性とともにスチールカメラで撮りまくってくれていたが、今日傑作が納められたそのUSBを送っていただいた。やはりカメラのプロだけあって、よくぞこれほどと思うくらいあらゆる角度からの多彩な写真が収められている。中に手紙が添えられていて、森喜朗元総理の熱情について西原さんなりの気持ちが滔々と綴られていた。森さんがスピーチされた時に傍で伺っていて想像以上に森さんのミクロネシアに対する熱い思いを感じていたが、西原さんも森さんの熱情に感動したと言っておられる。

 特にはっきり言って天皇・皇后両陛下のミクロネシア巡拝が来年には戦後70年を迎えようというのに、未だ実現しない。そして両陛下は来年パラオに巡拝される。その大きな原因は、ミクロネシアにはハード面の受け入れ施設の点で不十分であると考えているが、森さんもその点を分かっておられて、そこをズバッと突いて「天皇が泊まれるホテルを作らないといけない」と仰った。確かにミクロネシアには、デラックス・ホテルと呼ばれるのはたった1軒しかないが、それとて両陛下が宿泊されるには設備や安全性等に問題があり、大勢のお付きの人々や報道陣のための宿泊面などを考えるととても無理だ。それを森さんははっきり指摘された。

 森さんには5分程度のご挨拶を予定していたが、何と情熱は止まず30分近くに及んだ。それだけに来賓の方々も心を打たれたようだった。ご挨拶された方々のお話は、やや失礼な言い方になるがすべからく傾聴に値するもので、感銘を受けた人が多かったようである。これが、全般的に出版記念会の評価が高かった原因ではないかと考えている。いずれにせよ今回の出版記念会では良い思い出だけをいただいた。

2014年11月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2738.2014年11月11日(火) 傲岸不遜な習近平主席の非礼はコンプレックスの裏返しか?

 今北京で開かれているアジア太平洋経済協力会議(APEC)で漸く日中首脳会談が行われた。しかし、メディアが伝えているのは会談の中身ではなく、習主席のあの仏頂面である。元々中国の習近平国家主席には安倍首相に合う気なぞまるでなく、欧米メディアの間に対日関係修復のポーズを見せないと関係悪化の原因が中国側にあると思われることを懸念した挙句の果てに過ぎない。その結果は最初の両首脳の握手のシーンから、気まずいものだった。習主席は最初から安倍首相の顔を見ようとせず、目を合せるでもなく空々しく顔をそむけた。経済大国として世界2位と3位の国の首脳の顔合わせとしては、誰が見ても異様な光景である。これが現在の中国首脳の日本に対する嫌味なありのままの気持ちであろう。習主席はどこを見ていたのか。戦後徹底した反日教育を受けた中国国民に顔を向けていたのである。

 流石にこの習主席の大人げない素振りは、日本国内ばかりでなく、外国のマスコミでも批判的に取り上げられている。当然であろう。卑しくも中国はAPECのホスト国である。ホストはゲストを温かく迎えもてなすことが求められている。中国にはこういう外交上の儀礼やエチケットがまだ根付いていないのだろう。他国の領海を侵犯して自然保護の対象である赤サンゴを無断で奪い取り、他国と無用な諍いを起こすこと是とする国情では、いかに経済大国となったとしても世界の紳士とは誰からも認めてはもらえない。

 今朝のテレビ番組を観ていたら、中国通で知られる東京福祉大学国際交流センター長・遠藤誉教授が、習近平主席はスマイルや笑顔で今日の地位を築いた人物であり、その人がニコリともしないのはよほど腹に一物があるのではないかとまで言っていた。とにかく猶予ならない、傲慢な人物である。習氏のような傍若無人なパフォーマンスは中国の品位を貶めることに繋がるのではないかということが、世襲政治家の習主席には分からないようだ。このような不遜な習近平・中国国家主席については、しばらく考えるのは止めようかと思っているくらいである。

 さて、一昨日は大したニュースがないと本ブログに書いたが、半世紀前の1989年11月9日がベルリンの壁が崩壊した歴史的な一日だったことだけは忘れてはならないと思う。戦後しばらくして築かれた東西ドイツを分断した高いレンガの壁をハンマーで打ち壊しているベルリン市民の姿が強く印象に残っている。あの日を境に社会主義国家は堤防が決壊するように一気に崩れてしまった。共産主義の亡霊が闇に消えた日だった。それがやがて社会主義体制を率いていた社会主義の盟主ソ連をロシアへ衣替えさせる一日となった。

 まだ東西の壁があった時代に何度か、ベルリン市内の検問所チャーリー・ポイントを緊張しながら通って国境を越えたことがある。今や時代の彼方に消えた幻想になってしまったが、今思い出しても緊張感を強いられた東西ベルリンの国境通過の場面が、懐かしく思えてくるから不思議なものだ。

2014年11月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2737.2014年11月10日(月) 出版記念会滞りなく終える。

 ついに出版記念会の当日となった。開宴は午後1時であるが、荷を積み込んで朝9時に家を出た。妻の和服の着付けのため、やや早めに会場の「ハイアット・リージェンシー東京」へ向かう。毎度会場で手伝ってくれる懐かしい人たちも今度も来てくれた。元会社の同僚、宮田さんに小野さん、そして新たに2人の慶應の女子学生に受付をお願いした。それぞれ一所懸命お手伝いしてくれ、スムーズに受付業務をやってくれた。

 パーティの冒頭にスピーチをお願いしていた、いま超多忙の森喜朗元首相のご到着が遅れたので、順番を繰り上げ佐々木信也さんに最初のスピーカーとなってもらった。次いで、急遽来られなくなったジョン・フリッツ・ミクロネシア連邦駐日大使閣下の代わりに親戚の相澤光春さんに挨拶してもらったところで、森元首相が姿を現わされた。森さんのミクロネシアに対する思い込みは殊のほか強く、全出席者に対してミクロネシアを訪れるようしきりにPRしたり、来年終戦70周年の節目にパラオ巡拝を予定されている天皇・皇后両陛下に、将来早いうちに何とかミクロネシアを訪れて欲しい期待をオフレコと断りながらも本音を述べておられた。

この両陛下ミクロネシア巡拝の件については、拙著にもちょっと触れたが、現状では森さんも懸念していたようにミクロネシアの受け入れ態勢のハード不部分が充分ではないように感じている。森さんはこの後打ち合わせがあるからとそそくさと会場を後にされたが、そんな忙しい中でも私の出版記念会のために時間を差し繰って出席していただけたことは光栄であるし、有り難いと思っている。慌ただしかったため残念ながら森さんとじっくり話をすることができなかった。

 佐々木さんも相澤さんも拙著の上梓を大変高く評価していただいたことが嬉しい。この他にスピーチは小中陽太郎氏、ベオグラードから来られた山崎洋さん、「出版ニュース社」社長の清田義昭氏、湘南ラグビー部仲間の大島泰毅くんにお願いした。それぞれ好意的に、実態を話してくれた。本席に約100名の友人、知人に出席していただいた。

 甥の江上友彦が率いたジャズ・バンドが終始会場内で演奏してくれて、やはりBGMに比べると格段に迫力があっていい。これも評判が良かったようだ。

 妻と私は3時間以上に亘って立ちっ放しだったうえに、ほとんど食べ物を口にしなかったので私の謝辞を最後に、お開きとなった時には相当疲労を覚えた。しかし、出席者からは良いパーティだったと言ってもらい、準備を含めて今日の本番に対して労を労ってもらったことは嬉しかった。

 フリッツ大使からはお花に祝電までいただいた。他にもお花を大島慎子・JAPAN NOW観光情報協会理事長と湘南ラグビー部OB会有志からと立派で大きな花飾りを現代書館社長からいただいた。祝電は近藤誠一・前文化庁長官、滝鼻卓雄・元読売新聞社東京本社会長、大島慎子さん、時乗洋昭・湘南高校長、門田庄之助・湘南ラグビー部OB会会長、ラグビー部先輩井上篤太郎さんからいただいた。有り難いことである。会場のすべての出席者から上梓をお祝いしてもらい、感動している。このノンフィクションを書いて本当に良かったとつくづく感じ入っている。

 約4カ月に亘る長い準備を経て何とか滞りなく出版記念会を終えることができてほっとしている。温かい言葉をいただいたり、気持ちを慰めてもらって、苦労は消えた。今後このようなパーティは心身ともに厳しいので、開催することはないと思うが、その意味でも今日のパーティを何とか無事に終えることができたことを密かに喜びたいと思っている。妻も疲れたと言っていたが、万事うまくいったことを喜んでくれた。それでも本音を言えば、とにかく疲れた。今日はゆっくり休みたい。

2014年11月10日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2736.2014年11月9日(日) 忙しい間に1日が過ぎる。

 忙しいこと、忙しいこと、朝から晩までパソコンに向かって情報を打ち込んだり、書類をプリントしたりで一日が慌ただしく過ぎた。頭を使わず、ただ時間ばかりが経過する。こんな馬鹿げたことはないが、本当に忙しい。それもこれも明日の出版記念会の準備のためである。

 友人からもいよいよ明日ですねと電話で激励してくれる。

 そんなわけで夜になってもこのブログを書いている時間がない。

 幸い今日はあまり大きなニュースがない。精々北京でAPECが開幕したくらいである。日中首脳会談が開かれるかどうか注目されている最中であるが、中国の習近平国家主席が「隣国をパートナーと見なし、友好的で周囲を安心させる外交政策を実施する」と日本を意識した発言をしたことが目を惹くニュースである。

 他には特段のニュースはない。

2014年11月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2735.2014年11月8日(土) ゾルゲ事件シンポジウム

 11時に駿河台の「山の上ホテル」で小中陽太郎さんとベオグラードから訪日中の山崎洋さんと待ち合わせてランチをともにした。この玄人好みのホテル別館は最近封鎖され、ホテルの人に確認すると元々借地だったが、地主に土地を返還するので今後は本館だけで営業するという寂しい話を聞いた。作家らに好まれた別館内の和食レストランも当然廃業ということになる。一度友人に評判の天麩羅をご馳走してもらったことがあるが、昔の趣のある建物やランドマークが消えていくのは実に寂しい。

 その後隣の明治大学リバティータワーで開かれた「第8回ゾルゲ事件国際シンポジウム~ゾルゲ・尾崎処刑70周年 新たな真実~」に参加した。これは日露歴史研究センターがゾルゲ事件の研究者らに対して、研究の題材を提供し、地道に啓蒙活動を行っているのだ。パネリストはもとより出席者も大学教授などの研究者が多い真面目な企画である。山崎さんはここでオーストラリアから来日中の異母兄ポール・ヴケリッチ氏と甥、姪と再会した。ポールと山崎さんはゲストとして最初に紹介をされた。二人とも今ではゾルゲ事件に最も近い身内の生き証人と言えるのではないだろうか。

 小中さんは5人のパネリストの冒頭に「ゾルゲ断章-わたしの執筆ノートより」と題して、現在執筆中のゾルゲ事件についていくつかの視点からご自分の考えを述べられた。小中さんのレジュメを見て何と山崎さんの母上とのやり取りの中に、私の名前と拙著が紹介されているのにびっくりした。

 主宰する組織の名に見る通りロシアとの交感が多いようで、今日もロシア駐日大使館から担当者が出席されていたが、パネリストのひとりとしてロシア国立軍事公文書館のミハイル・アレクセーエフ研究員が登壇され、ゾルゲ諜報団「ラムゼイ機関」は二重スパイだったと戦前の通説を述べられた。ゾルゲの奔放な性格にもよるが、彼の言動は誤解されやすく、とにかくソ連政府が戦後大分経過してからゾルゲの名誉を回復させるまで、ゾルゲは不審と疑いの眼で見られていたとの報告は傾聴に値するものだった。

 また、レジュメ集はなかなか内容の濃いものであり、日露歴史研究センターが真剣に日露の研究課題を発展的に拡大させていこうとの意図が感じられる。関係者の労を多とするものである。

2014年11月8日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com