ブログ・ご意見番の意見

 充実したホームページに仕上げていこうと、毎日目を凝らしながら取り組んでおります。淡々と書き続けてきただけで、10年2月に初めて4桁の大台1000回を、そして奇しくも74歳の誕生日に当たる2012年「文化の日」に連続2000回を、15年7月31日に3000回、18年4月26日に4000回、21年1月19日に5000回を数えました。ここでは、出来るだけポジティブな意見や、気軽な独言、時には戯言や想い出を書き込んで、自分自身の気持ちを素直に表わしながら楽しく読んでいただけるよう心がけたいと思っております。意見の主張というより、感じたままを日記風に書き綴って参ります。身勝手な意見や、独断的な表現も見られると存じますが、どうぞご理解下さいますようお願い致します。皆さまの忌憚のないご意見をお寄せいただければ有難く存じます。

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2834.2015年2月15日(日) 帝京大学ラグビー部の活躍に脱帽

 寒い一日である。今日もいつも通り駒澤公園にウォーキングに出かけたが、いつもなら休日で家族連れが多いところだが、小さな子どもはあまり見掛けなかった。北日本方面では、吹雪と豪雪で昼間でも視界が悪く車の衝突事故が頻発して困っているようだ。近年地球温暖化が言われ出し、現実に毎年地球上の平均気温は少しずつだが着実に上がっているようだ。しかし、最近の実感としてはとてもそんなようには感じられない。とにかく風が冷たい。気温も低い。

 そんな厳しい寒さの中で秩父宮ラグビー場では、日本選手権の準々決勝のひとつ、社会人トップリーグの東芝対唯一の大学チーム、帝京大学戦が行われた。先週日本選手権に臨んだ母校慶應を含む4つの大学チームの内、勝てたのは大学選手権6連覇中で大学チームの中では圧倒的な力を誇る無敵の帝京大学だけである。その帝京は先週の1回戦でNECを相手に大学チームとして9年ぶりに25-21で社会人チームを破った。

 かつては、日本選手権は社会人王者と大学日本一が雌雄を決していた。それが、年々社会人チームの力が向上する一方で、大学勢の力が社会人に付いて来られず、社会人と学生との間には大きな差がついてしまった。近年は社会人と大学のチャンピオン同士が覇権を争う制度を止め、社会人12チームと大学4チームがトーナメント方式で日本一を争う現在のシステムになった。

 今日も先週NECに勝った帝京大学チームに大きな期待が寄せられ、伝統の強さを発揮している東芝相手にどれほど闘えるかと注目されていた。

 結果として帝京大学は惜しくも東芝に敗れた。だが、スコアは38-24とかなり善戦した。特に帝京の凄いと思う点は、前半21-5でかなり差を付けられていたが、諦めず後半3つのトライを奪い取って後半だけだと19-17と東芝を圧倒したことである。ラグビーの試合では普通実力差があると、前半のリードがそのまま拡がり、ノーサイドには大差がついていることが多いものだ。その点でも今日の帝京は立派なものだと思う。同時に、大学チームは毎年最上級生が卒業して選手が入れ替わる宿命を背負っているだけに、その強さを維持するのは並大抵のことではないと思う。それを6年の間頂点を極めて譲らず、3年生以下にも素質のある選手がいるので、まだ大学チャンピオンの座から降りる様子は見られない。俗にチャンピオンは獲得するよりその地位を守ることの方が難しいと言われる。その意味でも帝京大学ラグビー部の精進と努力を誉めたたえたい。

 残念ながら、帝京の今シーズンは終わったが、来年はどんなチームになって登場し、今年を越える成績を上げてくれるか大いに期待したい。

2015年2月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2833.2015年2月14日(土) 駒澤公園管理にお役人の非常識

 いつも通り近くの駒澤オリンピック公園にウォーキングに出かけた。このところ気になっていたことがあった。1964年東京オリンピックの祭にはバレーボールやレスリング会場として使用された、屋内競技場の入り口付近に大きな広告塔が建っていて、そこには何と2年前の「スポーツ祭東京2013」の文字が大々的に案内掲示され、お粗末にも今日までお正月を2度も迎えているのである。いつも広告塔の前を通るたびに違和感を抱いていたが、多くの人々が訪れる首都東京の一等地の目立つ場所に、すでに行事が終わった案内表示をそのまま1年以上も掲示しているその無神経さに呆れていたのである。これについては、先月24日付き本ブログにも書き込んだ。近所の自治会の方も困ったものですねぇと言っている。

 そこで近所の一住民として東京都に対して、広告塔を別の新しい案内に書き換えるか、除去することはできないものかと問い合わせたが、予期していた通りなしのつぶてなのである。役所というところは、表向きは住民の意見を酌むような体裁の好いポーズを取っているが、所詮自分勝手なご都合主義に凝り固まっている人たちの集団なのである。いくら住民税を払っていても、お役所は一住民の声など無視することを屁とも思っていない。そこで今度は東京都のHPで調べた、それらしい部署へメールで問い合わせてみた。

 期待もしていなかったが、3日ほど経ってから、オリンピック・パラリンピック準備局スポーツ施設担当課長さんと名乗る人物からメールで待ち望んだ回答が送られてきた。そこで件の課長氏は何と言ってきたか。

 「ご意見のありました体育館前の広告塔につきましては、スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会、第13回全国障害者スポーツ大会)の広報活動の一環として設置され、その後指定管理者が管理を行っております。大会開催に伴うスポーツ機運の高まりを一過性で終わらせることなく、大会終了後も施設に引き継いでいくことを目的として、本広告塔を維持管理してきました。しかし、大会終了から1年以上を経過したことから、後利用を検討し、今年度内を目途に、体育館地下にありますカフェテリア、メモリアルギャラリー及び各種イベント等の案内標示に変更する予定です」。

 何とものんびりした対応なのである。お役所の言い分は、まったく的外れであり、自分たちが何もやっていないことを自ら告白しているに過ぎない。「スポーツ祭東京2013」以後指定管理者が管理を行っているとは笑止千万ではないか。どうも問題の本質がよく分かっていないようだ。行事が終わって何もやる予定がないが、一過性で終わらせたくないので、終わった行事をそのまま引きずっていくというようなわけの分からないことを言っている。幼稚にもイベントが終わったらそのままにしておくことが、一過性で終わらせないことだと思っているようだ。

 そして、今日現場へ行ってみた。広告塔はきれいに白ペンキで塗りつぶされ、みっともない過去のイベントの案内は見事に消去されていた。これで良いので、我々都民としては単純にこのことを求めていただけである。メールは屁理屈をこじつけているだけだが、やはり役所内にも常識派がいると見え、早速過去の遺物を消去してくれた。

 なぜ課長氏は、すぐ簡単にできるこのような措置を直ちに取らなかったのか。そして外部に対して言い訳ばかり言っているのか。お役人には無意識の内に住民不在と住民軽視思想があるせいだと思う。

 心配なのは、2020年東京オリンピック・パラリンピックの下準備がこういうお役人たちによって行われることだ。森喜朗さんも知ったらびっくりするのではないか。本当にオリンピックは大丈夫だろうか。お役人天国も好い加減にしてもらいたいものだ。

2015年2月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2832.2015年2月13日(金) 安倍政権の暴走を懸念する。

 昨夕行われた義姉の通夜に続き、今日は告別式参列のため妻と葬儀場へ出かけた。無宗教のため参列者がそれぞれお花を手向けて昨日同様にふるさとを合唱して永遠の別れを告げた。多磨墓地傍の火葬場内で表示されている他の故人の享年を見ると、ほとんどが80歳台と90歳台だった。やはり72歳というのはやや早いと感じた。

 喪主として兄が、病気発症から入退院を繰り返し亡くなるまでの病院側の対応にやや不満を感じたような挨拶をした。そのことが今後の医学のために少しでも役立ってくれればと願って病院側の要望に応じて解剖に同意し、亡くなった翌日解剖がなされた。還された義姉の死顔からはそんな様子はまったく感じられなかった。

 私より1歳年長の兄は現在77歳であるが、これからひとりで生活して行くことは辛いだろうし、寂しいだろうが、何とか好きな囲碁を楽しみながらでも前を向いて生きて欲しいと願っている。弟妹としてはこれまで以上に会う機会を作ろうと思っている。

 さて、昨日安倍晋三首相は衆参両議院で施政方針演説を行った。戦後以来の大改革だと位置づけ、改革を進めて行くことを訴えた。圧倒的多数の与党議員をバックに今や自信たっぷりに、大演説をぶち、自分の考えは正しいとの思い込みがちょっと強過ぎるようだ。実際に行動を起こした場合その強気がどうも危なっかしく思えて仕方がない。

 今すぐ安倍内閣が実施すると決断したわけではないが、懸念しているのは関西電力高浜原発3・4号機の安全対策が、原子力規制委員会により安全基準を満たすと許可されたことである。これで政府が着々と原発再稼働へ向けて布石を打つのではないかということが気になる。この高浜原発については、地元とされる福井県と高浜町の同意が得られることが再稼働の前提である。だが、その地元と隣接している自治体は含まれないのか。万一福島原発と同じように事故により放射能漏れが起きた時、当然ながら隣接自治体に放射能の影響が及ぶことは必定である。高浜原発については、京都府と滋賀県から懸念の声が上がり、すでに地元として捉えるべきであるとの要望が出ている。

 同じようにJパワーが現在建設中の青森県大間町の原発が、津軽海峡を隔てた北海道函館市は、原発所在地から僅か23㎞しか離れていないとして、国とJパワーを相手に建設差し止めを求める訴訟を起こすと言っている。国とJパワーが函館市を地元と考えれば、これは解決する。だが、何とか原発再稼働を目指している国や電力会社は、再稼働が遅れることを避けようとし、また再稼働が挫折しかねない地元の拡大の動きを警戒している。

 他にも政府は集団的自衛権の行使で、自衛隊とともに行動する他国軍の武器や艦船などの防護対象を、アメリカ以外にオーストラリアにも適用しようとしている。一旦厳しい壁を乗り越えたら、次の障碍はさほど厳しくないかの如くあからさまに実行に移そうとしている。

 このやり方を放っておくと止め処がなくなることを心配する。安倍政権は今有頂天になっているだけに、国の将来を慎重に考えないと取り返しがつかなくなることになりはしないだろうか。

2015年2月13日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2831.2015年2月12日(木) 急逝した義姉の通夜に参列

 8日に急逝した兄嫁の通夜が京王線仙川駅近くの葬儀場で行われた。本人の生前の希望により無宗教で行われた。従ってお決まりの僧侶の読経がなく、お花を手向けるだけの簡素なものになった。そして静かに流れてくるふるさとのハーモニーに合わせて参列者が合唱した。まだ他界して間もないせいもあり、兄の外見からはあまり悄然とした様子は見えない。だが、時間の経過とともに少しずつ寂しさが嵩じてくることは間違いない。近くに住む姪には、当分の間は父親を注意深く見てあげるよう話をしてあげた。久しぶりに兄弟妹、甥たちにも会えた。

 しかし、身近な身内を喪った親戚一同には寂しさと悲しさ、そして空虚感が漂うのは致し方がない。少々短かった72年の生涯を運命と呼ぶのは少々残酷のような気がする。明日は最後の別れ、告別式が行われるが、当分故人を想う気持ちは消え去らないだろう。

2015年2月12日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com

2830.2015年2月11日(水) 建国記念日は忘却の彼方へ・・・。

 今日は建国記念日、いわゆる旗日である。これについて今日の新聞には一行も書かれず、テレビ・ニュースではまったく報道されない。こんな惨めな旗日は他にはない。戦前の昭和15年2月11日には、紀元2千年祭を国家の大祭として行い、国を挙げて国威の発揚に努めたというのに何とも時代感覚のずれは大きい。思想に関係なく、国民が自国の誕生について考え、歩んできた歴史をレビューするのは国民として当然のことであると思う。だが、今や日本人は残念ながら国がどうやって生まれ、どういう歴史を辿って来たかについて考えようともしない国民になり下がってしまった。

 これでは戦後紀元節から衣替えした建国記念日は、何のための祝祭日なのだろうか。今小中学校では、日本国の肇についてどのように教えているのだろうか。調べてみようと思っている。アメリカの独立記念日の華やかさと盛り上がりに比べて何とも哀れなものである。昨年の今日このブログにも書き込んだが、現在の日本は建国記念日についてあまりにもつれないと思う。戦後昭和21年のこの日は最後の紀元節だったと思うが、最後の国民学校1年生だった私たちは、講堂で初めて紀元節の式典を行い、高崎正風作詞によるところの紀元節の歌を同級生たちと声を張り上げて合唱した思い出がある。

 ♪雲にそびゆる高千穂の 高嶺下ろしに草も木も なびきふしけん大御世を 仰ぐけふこそ楽しけれ

 今でもこの昔を思い出させる歌詞とメロディーが中途半端に口を衝いて出ることがある。思想的にどうこうではなく、国家が法律で決めた祝祭日(旗日)をそう邪見に扱っても良いものだろうか。終戦後アメリカから何とか建国を祝う日制定の許可を得て、国会で法律改正を経た後に右往左往しながら漸く1967年佐藤栄作首相時代に正式に「建国記念の日」がスタートしたのである。それが今では形骸化して、国民の中には何の日だったかを知らない人がいる有様である。はっきり言ってこんな調子で建国記念日を単なる休日にするなら、思い切って止めてしまった方がよほどすっきりする。日本は建国の日がないということで納得するより仕方がないだろう。この建国記念日離れは、報道することが職務のメディアに大きな責任があると考えている。

 日本人は、メディアを始めとしていつの間にか忘れっぽい民族になってしまったということだろうか。

2015年2月11日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com